8万字ほどを入れ替え キャラの性格「面白い事」と「エピソード」」

ここ数日、長編恋愛小説の手直しをしていましたが、結局8万字ほどを入れ替えました。

――って、1作書けるくらいの書き直しやないかい!!!


削除したわけはなく、取った文自体は保存してあります。


大枠では何も変えてないのですが、商業小説とも見比べてみて

「趣味で書くのはいいけど商業っぽくない部分」を思い切って取り払ったりしました。説明が少々だらだらと続く場面などです。(一度推敲して短くしていたのですがそれでも・・・)世界観や物語そのものを変えたわけではなく、「クローズアップすべき部分」を入れ替えたという感じです。

会話が続くところで風景描写を取り入れたり(心情を思い起こさせるような)するのは楽しかったです。


主人公の男の子の扱いに苦心しました。

大人しくて誠実な性格でないとこの恋愛は成立しなかったと、書き手としては考えるわけですが、どうも、

「大人しい=自分の意見を言えない・信条を持たない・弱弱しい」

「誠実である=面白くない奴・マニュアル通りの事しかできない」

といった、歪みに歪んでいるというか人種差別に近い(アフリカ人はxxだ、ユダヤ人はooだ、等)考え方をする人がいるようです。

そこで、大人しいけど自分の意見は言うし信条は持っているし強い面もある事、誠実だけど面白い(人を笑わせてしまうという単純な意味で)ところもあるしマニュアルの事しかできないわけではない事をもう少し強調しました。


例えばですけど「お酒に強い」なんてどうでしょう。

そういう描写をしてみました。私は別に、酒が飲めないからといって「弱い」とは思いませんが、「大人しい=弱い」なんていう連想をする人に対しては「酒に強い」という設定は「性格も芯としては実は強い」というイメージをきちんと教えてあげるには十分であると思うのです。

ただ、酔っ払いやアル中、酒癖が悪いなんてのはだらしなく、それこそ最悪の性質だと思っていますので、「飲めるけど飲まない」という設定にしました。俺はこんなに飲めるんだぜえなんていうアピールをするんじゃなくて、飲めるけど別にそれが偉い事だと思わないし、みたいな。

これは、ボクシングのチャンピオンが、強いからこそ普段は暴力を振るわないといった事に通じると思います。

書き手の都合でキャラを改造したというよりは、キャラ本人の1つの特質をより強調してクローズアップするというつもりで書きなおしまた。


あとは、「小柄だけれど肩はがっちりしている」「中学高校では運動部に入っていた」「重い物も普通に運べる」といった、ほんのちょっとした描写によっても「弱い」というイメージに対する反論を試みました。

(※ある商業小説では、一見大人しい主人公が「ピアノをやってるから、普段から指を使う関係で握力は結構強い」なんていうのがありましたね。)

これについても、私は別に体格ががっちりしてなくても、運動部に入っていなくても、重い物を持つのは苦手でも、その人が人間として「弱い」とは思いません。

ただ、「大人しい=弱い」なんていう連想をする人に対して、いや別に弱くはありませんけど?という事を教えてあげるにはそういう記述も必要かもしれないのです。

もちろん、自分で自分の肉体をひけらかすのってみっともなく恥ずかしい事だと思うので、例えば割といい体格である事をおばちゃんに褒められるとか(嬉しいかは別にして)、そういうさりげなく他人から言われる形にしました。


「誠実=面白くない奴」という偏見に対する反論としては、キャラの過去のエピソードでただ教科書通りに生きてきたわけでないと分かる部分をさりげなく載せました。

別に、漫才やモノマネだけが、笑わせるという単純な意味での「面白い」を実現させるものではありません。

見識の狭い人は、例えば飲み会で芸ができるような奴を「面白い」と言ってるんだと思うんですけど、そうじゃないんですよね。

例えば、サザエさんが「鰻マムシ」を蛇のマムシだと本気で思い込んで仮病使った事で結局うな重を食べ損なったという「エピソード」を考えてみましょう。この場合、サザエさん自身は別に芸やモノマネをやってみせたわけではありません。本人は、本気で勘違いしていたのです。ですけど、それをエピソードとして見て時に、人は笑ってしまうわけです。そして、「サザエさんって、ほんまにおもろい人やな」ってなるわけでしょ。

そういう例が商業作品でも普通に見られるのに、「芸やモノマネができない=面白くない奴」って考える人は本当に発想と考え方が貧困なのだと思います。

だから、サザエさん的なエピソードをさりげなく紹介して、「この子、こんなにおもろい奴なんやで」という事を分かりやすく伝える工夫をしてみました。

あるいは、本人自身のエピソードでなくても、本人の周囲のエピソードでもいいと思うんですよ。例えば、変人の友達がいたとか。そういう場合、「面白い体験をしてきた」っていう事になると思います。それは単調でつまらない人生ではなくて「面白い人生を歩んできた」っていう事の表現になると思います。

例えば、本人のお母さん、「おかんが、こんなおもろいおばはんやった」というだけでも、やっぱり現実問題として違ってくると思うんですよね。周囲を見たり周囲に影響されたりして、やっぱり子供って育つわけじゃないですか。

だから、おかんが面白いっていうだけでも、その子供のである男の子が面白いって事にも実は繋がると思うんですよね。


だから、直したり入れ替えたりしたのって、そういうところですね。

そういうのを徹底的にやっても、「大人しい=弱い」「誠実=面白くない」っていうレッテルが前提にされて読まれるなら、それは仕方ないですよね。ただ、そうやって決めつけた読み方をするなら小説ってあまり読む意味がない、あるいは少なくとも、読む楽しみが大きく損なわれるのではないかと私は思います。


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