「オチ」と起承転結 4コマと小説の決定的な違い

「オチ」というものについても考えてみたいと思います。


個人的には、その言葉あまり好きじゃないんですね。

とくにシリアスな内容の場合には。

オチなんて、本当は落語とかそういうものに使う言葉。

商業作品でもアマチュア作品でも、ものによっては失礼で無礼な言葉と言ってよいでしょう。


そのうえで、少し考えてみます。

賞に応募する時の、添付する「あらすじ」の事です。

ここには、基本的にはオチ(ラスト、結末)まで書いたほうがいい、あるいは書くように指示がある場合があります。


さて、そこでもし「くだらないオチ」があった場合どうなるでしょう?


主人公が悪になってしまったとかそういうレベルではなく、

「(シリアスな話の後)なーんちゃって!全部作り話でした」

「全部夢でした。あはははは!!!」

「死んだ登場人物が特に理由もなく全員生き返り『お芝居でした!』」


そういうのも、あらすじに書かないといけないと思うんですね。

(書かないでだまし討ちする手もあるのかもしれませんが果たしてプラスに作用するか・・・)

すると、どうでしょう。


主人公Aがいて、ワーッ

(すごくシリアスな話)

なーんちゃって!全部作り話でした

おわり


これって結構、自分で見て「しょーもない話やなあ・・・」ってなりそうですね・・・。

しかも、本編の内容がまともであればまともであるほど。


普段、結末まで含めたあらすじって自分自身では書かないじゃないですか。

趣味でやってても、同人にするにしても。賞に応募する時だけだと思うのです。

そして結末までのあらすじを1000字でも2000字でも、その程度でまとめてみると意外な事が見えるのかもしれませんね。

「あれ?こんな終わりで本当にええんか…?」とか、

「ああ、全然中身があらへん」とか…


確かに、本編がシリアスでラストが思わず笑ってしまう「上手なオチ」の仕上がりの商業小説にはあります。個人的にも嫌いではないし、惚れ惚れするものもあります。

ただ、そういうものは単に奇天烈なちゃぶ台返しをするのではなく、本編の内容にきちんと沿ったうえでの「驚くべき内容」なんですよね。

まあここら辺は、出版社の方々が「プロ」を自認しているわけですからきっちり基準を設けていると信用します。

すなわち、本編の内容を無視してひっくり返すような、読者をナメてるような「オチ」は何よりもまず大きい減点項目であると。

よく「伏線を全然回収しない」事が誤字脱字や文法ミスと同じく論外の答案になってしまうとネット上で言われますが、まさにそれに該当するのではないかと思います。最後の最後で全て馬鹿げた茶番であったというオチは、言ってみれば「結末を書くのを放棄した」事に等しいと思うのです。

(※連載漫画の場合、終わる時は「打ち切り」というゲームオーバーで終わるという暗黙の了解が読者側にもあるのでフザけた終わりである事はしゅっちゅうですが。)


しかしそうだとすると、「あらすじの最後は一体どうなってるのか?」という事は、意外と見られたうえで下読み・審査される?…そんな気もします。

最終的には出版社によって違う、審査する個々の人によって違うでしょうが。


あらすじをざーっと目を通して行って、当たり障りのない内容が続き、

最後に「全ては主人公の妄想による幻であって、それに気付いた彼は新しい人生を歩み始める」

・・・などと書かれていたら?

あくまで個人的な推理ですが、もしかして、序盤の数ページの書き出しが少々まずいよりもよっぽど、捨てられる可能性が高いのでは!!


「笑ってしまう意味でのオチが上手」な商業作家の場合、作品内の劇中の事件の収束に関してはそれでまとめて、主人公の動向なども含めた舞台全体の物語としてはやんわりとした形で終了しているように思います。

ですから、そういう意味でのラストについては何らひねる必要はなく、静かにまとめるだけでいいと思うのです・・・。


その意味で、小説って、4コマ漫画とは違うとも思います。

(個人的にはあの4コマ漫画などというものは嫌いで、「起承転結」の引き合いに出されるのも好きではありません。)

4コマ漫画で、「笑わせる部分」はもちろん4コマ目、ラストの「オチ」であるわけです。起承転結の「結」で笑わせるわけですね。

しかし小説の場合、一番の盛り上がりは「転」だと個人的には思のです。

そして、さらに4コマと違うのは、「転」の部分自体にもそれぞれの緩急の付け方があって、多いパターンは「転」の中での終わりで一番の見どころがあるようにも思えます。

その後で、多くの場合に静かにまとめに入って「結ぶ」ように思えます。


まあそもそも、長さもそれぞれ違う長編小説を一概に起承転結の筋書きで論じようとする傾向自体が私は好きではありません。

例えば、1000ページ近くある長編文学で、一体どこからどこまでが「起」でどこからが「承」であるといった事など、正確に分類してみろと言われたらほぼ全員が感覚でしか答えられないと思います。

4コマみたいにご丁寧に1つ1つのコマがあるわけではないので。


ある商業小説などは、「起」の後、分量としては結構だらだらと続く「承」があって、比較的短い頁数の中に鋭い形の山場の「転」があり、最後に比較的静かな「結」をつらつらと書いて結んでいます。(無論個人の感想ではありますが、結局は起承転結というのは最終的には個人の感想でしか語れない代物だとも思います。)

その作品の場合、少々長い「承」の中にも起伏があって文章描写も細かく、「転」についてはあらすじで予めほのめかしておくスタイルでした。

私には、例えばその作品であれば最大の盛り上がりの部分が「結」だとは到底思えないのです。

4コマの場合、3コマ目で笑わせる事は少ないと思います。(まあ、4コマ目まで見たところで何も笑えないものが多いと思いますが。)


ググると、こんな例文が出てきます。

桃太郎

起 桃から桃太郎が生まれた

承 鬼が島で鬼が暴れているので、仲間を集めて

転 鬼が島に乗り込み、退治する

結 金銀財宝をもって村へ帰還する

これを見ると、明らかに最大の盛り上がりは「転」です。

これは仮にお伽話の小説形式でなくとも、漫画でも映画でも同じだと思います。

どう考えたって、敵の本拠地でのバトルシーンが最大の見せ場です!

(※ある別のホラー商業作品などでは、盛り上がりの場を2段階に分けてます。1つの盛り上がりがあり、そこで少し読者を安心させて一番怖い真の見せ場が続き、不安を残す感じの不気味な余韻で締めくくります。ホラーにはよくある事ですが、事件の根本的な意味での完全解決はなされないまま幕を閉じます。)


しかし、4コマだと見せ場は4コマ目の「結」なのです。

1:夕飯は「まむし」にしようと家族が話し合う

2:サザエさんがそれを聞いて「蛇なんて食えない!」と内心怖がる

3:サザエさん「あいたた・・・急にお腹が」仮病で回避を企む

4:実際は「うなぎまむし」の事で、サザエさんだけうなぎを食べれない

笑うところがあるとすれば4コマ目の「オチ」だと思います。

これは大きな違いと言ってよいように思います。

なので、小説で一番面白い所は「最後の少し前の部分」であって、笑ってしまうようなラストのラストでの上手なオチっていうのもあり得るけど、極端な話それはオマケではないのか?とさえ思います。


なので…

オチというか、最後まで書けと言われているあらすじの最後に閉じる文章は、

①そんなに奇抜である必要はなく、

②むしろ話の流れからは自然であり、

③物語の冒頭からだけ見れば「予想はつかない」

・・・という感じがいいのかなあ。

もっとたくさん商業作品とも比較して考えてみたいです。


で、結末に至る前の所…「転」の所の盛り上がりが一体何なのかをきちんとあらすじで伝える事が大事でしょうか。

自分の作品の中で最大の山場は一体どこなのか、もちろん認識はしているつもりですがもう一度見直してみる必要もありそうです。


尚、推理小説の場合は、最大の山場は「真犯人・トリック・ナゾの解明」だと思いますが、その後で「犯人逮捕で終わり」だとワンパターン過ぎるので、少々気の利いたオチが用意される事も少なからずあるのかもしれません。

確かに、個人的に一番つまらないパターンが「刑事・探偵が犯人に説教→逮捕」というものです。推理小説に限定するなら、確かにこれは水戸光圀のドラマ並にワンパターン過ぎて読んでいて寒気がします。

よって、犯人が自殺する・別の者に殺される・巧妙にまんまと逃亡するなどの、事件自体の種明かしは終えた後の「結」の部分でも物語全体での「仕掛け」を用意すべきなのかもしれませんね。

しかしそれは、推理小説という全体の大枠のパターンは決められたものであるからこそ当てはまる気もするのです。



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