2‐1.朝の風景です



 船の窓から差し込む光に、ふと目が覚めました。

 壁の時計を見れば、朝の六時。丁度良い時間です。



 わたくしは、くわわわぁーっと欠伸をし、寝返りを打ちます。

 すると視界に入ってくる、素晴らしい大胸筋。

 なだらかな小山を築く右胸筋と左胸筋の間に、わたくしは顎を嵌め込みます。何度やってもジャストフィットです。まるでわたくしの為に誂えられたかのような胸筋枕に、思わず二度寝してしまいそうです。ですが、いけません。わたくしには、これからやらなければいけないことがあるのですから。



 腹筋布団の温もりを名残惜しみつつ、わたくしはベッドの上へ転がり降りました。筋骨隆々な腕の横を通り、ベッドボードの前までやってきます。


 そうしてわたくしは、飼い主であるレオン班長のお顔を、覗き込みました。眉毛がないせいか、寝入っていてもそこそこな強面です。




 わたくしが見聞きした所によりますと、レオン班長は、ドラモンズ国軍海上保安部第一番隊、という部隊に所属する軍人さんらしいです。しかも、特別遊撃班という、なんだか凄そうな名前の班を纏める長でもあります。


 ですが、実際は名前程凄くはないそうです。寧ろ、厄介者達を押し込める部署であるとお見受けしました。

 わたくし、こちらの船でお世話になるようになってまだ日が浅いですが、班員の皆さんの個性が豊かすぎる件については、薄々勘付いておりますよ。




『おはようございます、レオン班長』


 ギアーと声を上げるも、返事はありません。

 レオン班長は、厳めしいお顔と眉間を気持ち緩めながら、健やかな寝息を立てております。先程までわたくしが寝転がっていた胸からお腹に掛けてが、ゆっくりと上下します。



 セット前の髪からはみ出すライオンさんの耳も、ぴくり、ぴくり、と揺れています。



 どうやらレオン班長は、人間のお父様と、ライオンさんの獣人であるお母様の間に誕生した、所謂ハーフだそうです。人間性が強く出たらしく、ライオンさん要素は耳と尻尾だけ。身体能力も多少高いようですが、獣人程ではないとのことです。



 船内でも獣人を見ますが、見た目はまんま動物です。ただ、二足歩行をして、海上保安部の隊服を着て、お喋りをするという点が、普通の動物とは違います。

 言葉を話せるなんて、とても羨ましいです。わたくしも皆さんとお話をしてみたいですが、生憎わたくしはただのシロクマ。どう願っても無理なのです。残念ですが、致し方ありません。喋れぬ代わりに、日がな一日ゴロゴロしていられるのですから、我慢しましょう。



 さて。

 ではそろそろ、わたくしの数少ないお仕事に取り掛かるとしましょうか。

 



『レオン班長、レオン班長。起きて下さい。朝ですよ』


 わたくしは、レオン班長の耳を、ちょんちょんと突きます。

 ライオンさんの耳がピルピルッと震えると、レオン班長の眉間にも皺が寄ります。煩わしそうな唸り声は、まるで本物のライオンさんが威嚇でもしているかのように迫力満点です。ですが、そんなもので怯むわたくしではありません。

 今度は、レオン班長の腰付近へ移動し、先端にだけ毛が生えた尻尾を、前足で挟みます。


『レオン班長。六時ですよ。そろそろ朝食の時間です。わたくし、お腹が空きました』


 右へ左へするりと逃げる尻尾を、わたくしは一生懸命追い掛けます。最終的には、後ろ足も使って捕獲してやりました。参った参った、とばかりに揺れる先端の毛に、ついつい得意げな鼻息を吐いてしまいます。



 達成感に満ち溢れていると、はっと思い出します。いけません。遊んでいる場合ではありませんでした。


 わたくしは尻尾を離し、レオン班長の上へ乗り上げました。胸筋枕をお尻に敷き、様子を窺います。

 レオン班長は、未だ目を瞑ったままです。



『レオン班長。おーい、レオン班長。もしもーし。起きて下さいよー』



 しかし、いくらわたくしが叩いた所で、びくともしません。分厚い筋肉に、寧ろわたくしの前足が痛くなってきました。

 時計を見れば、既に十五分が経過しています。身支度の時間も考えると、いい加減起きて頂かないと困ってしまいます。



 致し方ありません。ここは一つ、奥の手を使うことにしましょう。



 わたくしは、徐にその場へ仰向けとなりました。前足と後ろ足を駆使し、四十五度回転します。眠る強面を確認しながら、レオン班長と水平になるよう、位置を微調節していきます。

 ここだ、という所を見つけましたら、わたくしは、静かに深呼吸をしました。それから、一度右半身を捻り、寝返りの要領で左を向きつつ、勢いを付けます。




 そして。




『えいやぁぁぁー』




 レオン班長の体を、上から下へ、景気良く転がっていきます。




 腹筋布団の端まできましたら、今度は反対回転です。ころころと横に転がりながら、胸筋枕まで戻ります。

 この時、首の方まで行ってはいけません。いくらわたくしが子供で小さかろうと、首に乗っては負担が掛かりすぎるでしょう。喉も潰れて息が出来なくなってしまいます。流石にわたくしも、酸欠で目を覚まさせようなどとは思っておりませんので。



『レオン班長ぉぉぉー。起きて下さぁぁぁーい。朝でぇぇぇーす。朝食を食べに行きましょうよぉぉぉー』



 麺棒の如く、ころころー、ころころー、と往復運動を繰り返します。勿論、優しくです。レオン班長の体を痛めてしまっては大変ですからね。

 そう思うならば、そもそも転がらなければ良いのでは? という意見もあるかと思います。ですが、レオン班長は寝起きがあまりよろしくないようで、これ位やらなければ、お昼まで寝てしまうタイプなのです。なので、毎朝あの手この手で起こしに掛かった結果、このような方法に辿り着いた、という次第でして。決してわたくしも、好きでやっているわけではございません。




「ふ……くく」




 つと、腹筋布団が、蠢きました。



 見れば、レオン班長のお口が、弧を描いております。



 かと思わば、わたくしの体が、軽々と持ち上げられました。



「何やってんだよ、お前」


 わたくしを高い高いするレオン班長と、目が合います。眉毛のない強面が、にたりと笑みをかたどります。寝起きでも結構な凄みです。



『おはようございます、レオン班長。朝ですよ。そろそろ起きて下さい』


 ギアーと声を上げれば、レオン班長は壁の時計を見ました。「六時か」と呟くと、腹筋の力だけで起き上がり、わたくしを膝の上へ下ろします。


「おはよう、シロ」


 ぽんぽんとわたくしの頭を叩くと、大きな掌で白い毛並みを整えてくれます。その絶妙な力加減に、思わずうっとりと目を細めてしまいます。




 あ、因みにわたくし、飼い主であるレオン班長より、シロという名前を頂きました。シロクマだからシロです。安直でしょう?



 最初は、不満しかありませんでした。ですが今では、それなりに気に入っております。頂いた首輪も、中々素敵です。わたくしの白い毛に赤が映えます。海上保安部のマークが入ったネームプレートも格好いいです。




 ですが、一つだけ疑問が。




 何故海上保安部のマークは、カバさんなのでしょうか? 




 いえ、カバさんが駄目だというわけではありません。しかし、何と申しますか、正直、もう少しあったのではないかな、と思ってしまいます。シャチさんとか、クジラさんとか。



 非常に不思議です、と内心小首を傾げながら、わたくしはレオン班長の手に身を委ねたのでした。



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