1‐2.拾われました
『いやあぁぁぁぁぁぁーっ!』
ばたばたと前足を羽ばたかせてみますが、当然飛べるわけがありません。落下速度を落とすことも出来ません。
ただただ、船へと吸い込まれていくだけ。
『た、鷹さんっ! 鷹さぁんっ! 起きて下さいっ! 大変ですよっ! このままでは、船にぶつかってしまいますよっ!』
しかし、鷹さんは微動だにしません。白目を剥いたまま、
あれ程饒舌にわたくしを甚振ってくれましたのに、こういう時に限って頼りにならないのですからっ。
『どどどど、どうしましょう』
船までは、結構な高さがあります。このままデッキに墜落したら、わたくし、ぺちゃんこに潰れてしまうかもしれません。何か、クッションのような、網のようなものはないでしょうか。そちらへ落ちれば、まだ助かる見込みはある筈です。
必死で辺りを見回し、それらしいものを探します。けれど、わたくし達を見上げる船員らしき方々がいらっしゃる位で、クッション代わりになりそうなものは見当たりません。
己の体から、血の気が引いていくのが分かります。
鷹さんに捕食される未来は回避出来たようですが、次は転落死ですか。わたくしの人生、一体どうなっているのでしょう。
いえ、人間ではないようなので、“人”生ではありませんね。では一体何なのでしょう? わたくし、自分が何者なのかも分かりません。動物ということしか知らぬまま、死んでいくのでしょうか。
止まっていた涙が、また込み上げます。
ですが、体からは力が抜けていきました。
神様。もうどうにもならないのならば、せめて苦しまないようにして下さい。それと、出来れば顔は綺麗なまま死なせて下さい。動物と言えど、乙女なので。
どうかよろしくお願いします、と祈りつつ、わたくしは体を丸めました。前足で顔を覆い、そのまま時がきたるのを、じっと待ちます。
終わりは、唐突にやってきました。
全身を襲った衝撃は、思ったよりも強くはありません。
寧ろ、全く痛くないような……?
『……あら?』
恐る恐る前足を退かしてみれば、わたくしの視界に飛び込んできたのは、一人の男性でした。
非常に強面です。しかも眉毛がありません。むっと凄むような表情も相まって、逆立てられた金茶色の髪が、ライオンさんのたてがみに見えてきます。体も相当鍛えているのか、全体的に中々厳ついお方です。
そんな男性が、わたくしを両手で掴んだまま、凝視しております。
“男性に凝視されている”と、わたくし、理解出来ます。
……つまり、わたくしは、死んでいないということです。
試しに前足を挙げてみましたが、なんの違和感もなく動きます。
……わたくし、生きているのですね。
実感が、じわじわと胸に染み渡ります。
感動に、白い毛がざわめきました。
勝手に体は震え、涙がせり上がってきます。
『う……うわぁぁぁーんっ! わ、わたくし、生きていますっ! 生きていますよぉっ! やりましたぁぁぁーっ! ばんざぁぁぁーいっ!』
ギアーッ! と盛大な声を上げ、わたくしは万歳三唱と共に、前足を持ち上げます。
突如暴れ始めたわたくしに、男性は驚いたのか目を丸くしています。そうして、わたくしを落とさないよう、わざわざ抱き方を変えて下さいました。丁度赤ちゃんを抱っこするかのように、自分の胸にわたくしを凭れさせて、縦抱きにします。
逞しい腕にお尻と背中を支えられ、安定感と安心感が半端ありません。この温もりから離れたくなくて、思わずしがみ付いてしまいました。
服越しに感じる心臓の鼓動に、また涙が零れ落ちます。鼻水も止まりません。淑女として、鼻を垂らしっぱなしというのはいかがなものかと思いますが、今は良いのです。そのようなことよりも、生きている喜びを噛み締める方が大事なのです。
あなたもそう思うでしょう? とばかりに見上げれば、男性はむっすりと唇をひん曲げながら、わたくしを見ています。けれど、険しい表情のわりに、わたくしの背中を撫でる手はとても優しいです。それどころか、ハンカチでわたくしの顔を綺麗に拭ってくれました。あやすように軽く揺らしてもくれます。
非常に心地良いリズムに、わたくしの心も次第に落ち着きを取り戻していきます。落ち着きすぎて、少々眠くなってきました。ですが、流石にこのまま寝るわけにはいきません。どうにか起きていようと、男性の胸元へ、うりうりと顔を擦り付けました。
「はんちょー。おーい、レオンはんちょー。さっき狩った夕飯用の鷹、解体終わったよー、って、うわぁ。どうしたの、はんちょ。一人でニヤニヤしちゃって。気持ち悪。堪えようとして堪え切れてないし。何? いやらしいことでも考えてたの?」
ゴチン、という痛々しい音と、どなたかの悲鳴が、わたくしの意識を引き戻します。
しょぼしょぼする目を開けば、そこにはまっピンクのつなぎを着た少年が、頭を押さえてしゃがみ込んでいました。一体どうしたのでしょうか。どこかにぶつけでもしたのでしょうか。
「痛ったぁー。ちょっと何すんのさ。いきなり殴るとか酷いと思いまーす」
「煩ぇ」
「煩ぇじゃないよー。折角報告しにきてあげたんだから、感謝の一つもしてよねー」
と、不意に、涙目の少年と、目が合いました。
「え? はんちょ、何それ? なに抱えてんの?」
「シロクマ」
「え、シロクマ?」
『え、シロクマ?』
わたくし、思わず男性を見上げました。男性は、わたくしを見下ろしながら、背中をぽんぽんと叩いてくれます。
その細められた瞳には、確かに小さなシロクマが映っていました。
「え、なんでシロクマなんか抱っこしてるのさ」
「拾った」
「拾ったって、え、どこで?」
「ここで。落ちてきた」
「え、シロクマって、落ちてくるものなの?」
「知らねぇ」
男性と少年の会話を余所に、わたくしは、男性の瞳の中のシロクマを、じーっと見つめます。シロクマも、わたくしをじーっと見つめ返してきます。
……試しに、ちょいっと前足を挙げてみましょう。
すると、瞳の中のシロクマも、ちょいっと前足を挙げました。首を傾げれば、シロクマも同じ方向へ傾げますし、わたくしが口を開ければ、同じく開けてみせます。
……成程、そうですか。
全く自覚はありませんでしたが、どうやらわたくし、シロクマの子供だったようです。
「え、どうするの、その子」
「飼う」
「え、飼うの?」
『え、飼うんですか?』
「あぁ。必要なもん、用意しとけ」
男性の手が、わたくしの頭を程よい力加減で撫でます。それからわたくしを抱え直すと、歩き出しました。船内へ続いているであろう扉へと向かいます。
……まぁ、あれですね。差し当たって、当分の生活には困らなさそうですね。
目まぐるしく変わる状況に、わたくしは、考えることを放棄しました。
取り敢えず、この居心地の良い腕に凭れ、しばし現実逃避をしようと思います。
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