とある人魚の推理と追想

 8月19日の朝はせわしなかったのを覚えている。

 寝不足の私を叩き起こして好奇心旺盛な幼馴染、須佐之すさのナディアは開口一番に叫んだ。

「殺人事件ですよ! アンナちゃん!」

「……事件?」

「この海底街の近くで、殺人事件があったんです!」

じゃなくて?」

です」

 私は瞼をこすって、頬をぺちんと叩いた。これは気を引きしめて聞いたほうが良さそうだ。

「……で? どんな事件?」


 ナディアから聞いた事件のあらましはこうだ。

 被害者は佐々木鈴乃。享年16。種族は人間。

 遺体発見現場はこの海底街――第3わだつみ町最寄りの砂浜とのこと。もっと具体的に言えば、砂浜端の岩場に遺体があったそうだ。

 死因は現状不明。海辺に倒れていたことから溺死と見られている。しかし、単に溺れただけと考えるにはいくつか、不自然な点があった。

 例えば、服。

 鈴乃はびしょ濡れの服を着ていた状態で倒れていたらしい。海水浴にしては不自然だ。

 また、死体の側には台車――三面枠付きの四輪――とバケツが転がっていたらしい。なぜそんなものがあるのかは不明とのこと。

 そして、台車のわだち跡を踏むようにして、足跡ができていたようだ。被害者の少女、鈴乃のものでもなければ、無論人魚のものでもない。足跡は大人の男のものが一人分だったそうだ。


「……現状、分かったことはこのくらいかな。ねえアンナ。アンナってこういうの得意でしょ? 何か思いついたりしない?」

「思いつくって……何を?」

「そりゃあもう真実だって真実! いつも一つ!でお馴染のアレ!」

 ナディアははしゃいだような口調で言う。……さすがに不謹慎だぞ、おい。

「なんだってそう、私に推理をせがむの……言っとくけど私、ただ推理小説が好きなだけの人魚だからね?」

「いやでもさ、アンナだって気になるでしょ? 犯人」

 ナディアは言った。

「――だって殺されたの、アンナのお友達でしょ?」


 ◆ ◆ ◆


 私と鈴乃の関係を一言で表すのは難しい。

 相互に干渉し合う関係性というものは流動的で、どちらか一方が死ぬまで確定することなんてないんじゃないだろうか――とさえ思う。

 ただ、客観的な見方として友達と言うのは間違っていないし、ある意味で友達以上の関係性と言うこともできただろう。

 けれど、どうにも私にはそれらの言葉がしっくりこない。

 ゆえに、ここでは私の視点から表現してみるとしよう。

 ――佐々木鈴乃は、私の命の恩人である。


 ◆ ◆ ◆


 遺体発見から数日が経った。私たちのところへ警察が来たのは、ほんの一度きり。あとはこれといって音沙汰なしだ。

 ニュースでも、これといった進展が報じられることはなかった。もっとも、これは彼女の家――佐々木家が極度の隠蔽体質であることが影響しているのだろう。


「どーゆーこと?」


 私が話すと、ナディアは首をかしげた。

「富豪、佐々木家は事なかれ主義ってやつでね。都合の悪いことはなんでも隠したがるの。鈴乃のことだってそう。彼女がどこに住んでたか、知ってる?」

「ううん」

「……丘の上の別荘。一見して悪くなさそうなとこだけど、本人が言うには、実態は軟禁と変わらないみたい」

「そんなことされるってことは……その、もしかして鈴乃さんって」

「まあ、問題を起こしていたみたい。私にも、話してはくれなかったけど」

「うーん。中々キナ臭いですなあ」

「ていうかナディア。もしかしてまだ調べているの?」

「まあね? 新情報もあるよ? 聞く?」

「……じゃあ、一応」

「――警察、容疑者を一人絞り込んでるっぽい」

「渡良瀬さん?」


 私が鈴乃の監視役の男性の名を挙げると、ナディアはほんとうの魚みたいに口をぱくぱくとさせた。


「なんで知ってるの?」

「単純な推理。まず、警察は私達人魚に疑いの目を向けていない。……つまり、おかの種族の犯行だって決めてるのよね? ということは、人魚が犯人だとすると実行不可能な点、不可解な点があったはず。……たとえばそう、被害者が溺れたのは海水じゃなくて淡水だった、とか」

「おおーっ! よっ名探偵!」


 不謹慎という言葉を知らないのか、この幼馴染は。


「だとすれば、二通りのことが考えられる。犯人はどこか別のところで鈴乃を殺害したあとで、海で殺されたと見せかけるために遺体を――台車でも使って、運んだのか、」


 あるいは。


「逆に、別のところで殺したと思い込ませるためにあえて淡水で殺したのか。足跡が一人分しかなかったのは、遺体をそこまで運んだと思い込ませるために鈴乃の足跡の上を踏んで歩いた結果かも」

「でも、それで犯人にどんなメリットがあんの?」

「……アリバイの偽装とか? 犯行方法が違えば犯行に必要な時間もおのずと変わってくるし」

「ああ、なるほど」

「話を戻して、なんで渡良瀬さんなのかっていうと……まず、あの別荘に住んでるのはどうも鈴乃と渡良瀬さんの二人だけみたいなのよ。お手伝いさんとかはいるみたいだけど、それも毎日通いで来るみたい」

「ええと、つまりこういうこと? 鈴乃ちゃんの周囲にいる一番それらしい男性が、渡良瀬って人しかいないって」

「そういうこと。けど、渡良瀬さんが殺人をするようにも見えないけどね……」

「だとすると、アンナは犯人が別にいると思ってるわけだ。その男の人に罪をなすりつけたい誰かが真犯人だって」

 私はうなずく。

「まあ、今に至るまで逮捕されてないってことはさ。渡良瀬さんを逮捕するのに必要な決定打が、警察にはないってことじゃないのかな。もしくは鉄壁のアリバイでもあるのか」

「……ううー。思ったより複雑怪奇……」

「この事件は、残念だけど迷宮入りかもね」


 私は海底の街のゆらめく景色を見ながら呟いて、一つ、提案をした。


「ねえ、ナディア。せっかくだから事件現場に行ってみない? 足を生やして、陸を歩こう?」


 ――そう、言ってから気付いた。

 犯人は現場に戻ってくるというけど、あれは本当だったんだな、と。


 ◆ ◆ ◆


 8月18日の夜は静かだった。

 私が海から上がると、そこでもう、鈴乃は待っていた。彼女は軽く右手を挙げて、


「やっほ。突然呼び出して悪いね」

「どうしたの、今日は。……ていうか、なんで台車なんて」


 彼女は台車にバケツをいくつか乗せて運んできていた。中には水が、並々と注がれている。


「……人魚のエラってさ。顔のとこにあるんだよね?」

「ん? まあそうだね。それがどうかしたの」

 鈴乃は夜風になびく髪を手で抑えて、

「このバケツに……淡水に顔を突っ込んでって言ったら、嫌……だよね」

「…………嫌、だね」


 私達人魚は海水に棲むものだ。エラ呼吸と肺呼吸を切り替えることはできるが、淡水なんかに浸かれば死んでしまう。


「……じゃあ、私の自殺を手伝って?」

「え?」


 鈴乃は白のワンピースの裾を風に踊らせ、にっこりと、しかし凄惨な決意をにじませて言った。


「……私が、なんであの別荘に入れられてるか、知ってる?」

 私は首を横に振った。

「私、異種族の人を見るとどうにも、剥製にしたくなっちゃうみたいなの」

「――それって」

「あ、大丈夫だよ。私はまだ、あなたと友達でいたいと思えてる。でも、遠からず、私はあなたの顔をこのバケツに突っ込んじゃうかも。その鱗とか、ずっと見ていたいし」

「――だから、私に自殺の手伝いをしろと?」

「大丈夫だよ。バレないようにしてるから――ホラ」


 鈴乃は子供がいたずらを白状するような顔で、靴を脱いで見せた。


「……それ」

「渡良瀬さんの。貰っちゃった。どーせあの家の人達は渡良瀬さんみたいな末端の人の醜聞だって、なるべく隠蔽したがるに決まってるんだからさ。渡良瀬さんのせいにしとけば自然と、事件は迷宮入りになるよ。……だから、ね?」

「でも、」

「靴は適当に海に流して。それで、あとはどうにかなるだろうし」

「…………」


 私には、鈴乃を止められないと悟った。

 私は言われた通りに、鈴乃の頭をバケツに突っ込んだ。

 鈴乃は抵抗したけど、人魚は人間より腕の力が強い。問題なく抑え込めた。

 一応の事後処理として、遺体を置いたあと、私は足を生やして、渡良瀬さんの靴を履いた。犯行を終えた犯人が現場から去る足跡がないと不自然だ。

 しばらく歩くと、黒服の男性が見えた。

 渡良瀬さんだ。

「……鈴乃お嬢様のために、ありがとうございます」


 私が靴を渡すと、彼はただ、そう言った。


 ◆ ◆ ◆


 後日、鈴乃殺害事件の犯人が自首したとのニュースが報じられた。

 鈴乃の存在に蓋をした佐々木家に対する、彼なりの抵抗だったのだろうか……私は、海底の家の中でぼんやりと、そんなことを思った。


(了)

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