夜明けのはばたき

 扉を開けると闇に沈む廊下があった。

 息を呑む。中へ入ることに躊躇いを覚える。

 何か、いるのではないかと不安に駆られてしまう。

 けれどそれに恐怖と名付けるのは間違いだ。

 その名はきっと願望。現実逃避の材料を欲して、何もない闇に何かを見い出そうとしている。

 ――いつものクセだ。良くないと分かっているのに、ついついやってしまう。

 俯瞰して自分を分析することも、ないものに怯えるのも、つまりは現実逃避。直面したくないものを上手く意識から逸らすための方策。

 保科には「頭いい」とか言われてるけど、こんなのは小賢しいだけで、心の弱さの現れでもある。

 私は、自分の城である1LDKのマンションの一室に入り、照明を点ける。後ろで扉の閉まる音がした。

 閉塞感。

 ため息をつく。

 一人暮らしを始めて2年目。誰もいない家は未だに慣れない。

 私は廊下を真っ直ぐに進んでダイニングキッチンの設けられたリビングへ。壁に手を当てて、スイッチを押す。点灯。白のLEDが部屋全体を無機質に照らした。

 バッグを置いて、コートを脱ぎ、手を洗って。ようやくソファの上に倒れ込む。

 全身を包む倦怠感の理由にフタをして、このまま眠ってしまおうか。だけど明日は月曜日。大学がある。

 のそり、と私は身を起こした。

 せめて夕食を……と考えたところで気付く。

「洗濯物、

 ああ、今回は重傷だな。独り言とはいえ茨城の方言が出た。東京こっちに来て、すっかり使わなくなってた言葉が不意に出るくらい、私は疲弊していたのか。

 地味にショックだ。

 ともあれ、ベランダに出る。とっとと洗濯物を取り込んで、リビングの一角に洗濯物の山を築く。

 ――ん?

 夜の闇に紛れて気付かなかったけど、ベランダに何か転がっている。

 スマホの明かりで照らしてみる。

「…………鳥?」

 ググってみると、どうやらムクドリの成鳥らしいということが分かった。

「……保護、した方がいい……はず」

 季節は冬。野生の鳥にとってどうなのかは知らないが、寒空の下、一匹きり(それもぴくりとも動かない状態で)放置しておいて明日の朝には死んでいたらいくらなんでも良心が痛む。ただでさえズタボロの精神が出血過多でひからびてしまう。

 【鳥 保護】でググるまでにそう時間はかからなかった。

 まず、適切な大きさの紙箱を用意する。

 ベランダに転がってたムクドリの大きさはだいたい25cmくらい。そこまでの大きさの箱を作ったことはあまりないが、幸いにも問題なく作ることができた。呼吸のための穴を開け、ムクドリを入れて家の中へ。

 次に保温。紙箱のそばに買い溜めておいたカイロを置いておくことにした。これでとりあえずは大丈夫なはず……。

 暗所に置いておくべしとのことだったので、このまま様子見。朝になったら然るべき機関に連絡しよう。

「――ふう」

 気がつくと、けっこう時間が過ぎていた。

 今から夕食を作るのは流石に気怠いな……。

 というか、不安になってきた。

 本当に私の対応は適当だったのか、誰かにケチをつけられる要素はなかったかと。

 ハイになってたテンションが冷静になった途端、これである。

「………………」

 まあ、でも。こんなのは今に始まった話じゃない。私は知っている。この場合の、適切な行動というものを。


「――で、夜中に人を呼びつけてついでにパシらせたって?」

「ぱ、パシらせたなんてそんな……まあ、そういうことです」

「はぁ」

 幼馴染の保科は玄関先でため息をついた。それから恨めしげな視線をこちらに向ける。

 ……まずい、これは怒ってる。

 なのに、保科相手だとむしろ安心できるのは何故だろう。

「お金。全部そっち持ちね」

 保科はコンビニ袋を揺らして部屋の中に入ってきた。

「大好き! 結婚して!」

「お酒くさっ! ……あの、なんで夕食前から開けてんの?」

「不安に耐えきれなくなって」

「……よく一人暮らしを許してもらえたよね。そのダメ人間っぷりで」

「あの頃はお酒と疎遠でしたから~」

「まあいいや……とりあえず適当にカップ麺買ってきたから好きなの選んで。サラダとピザまんは私のだから」

「一人だけ健康志向しやがって」

「だって恵理、食べないでしょ? サラダ」

 そう言われると返す言葉がない。

「……ほら。あ、そうそう。お風呂沸いてる?」

「え、なんで?」

「私、今日は泊まってくことにしたから。着替えもリュックに入れてきたし、ここからのが大学近いし」

「ふうん」

 まあ、その方はこっちとしても心強い。

「ありがとね。保科」

「恵理のことが放っておけないだけ……で、お風呂は?」

「忘れた」

「…………そんなことだろうと思った」

 それから保科は私の家の風呂掃除をさっと済ませて、パネルをいじって浴槽に湯を張る準備を終えた。シャワーだけならそんなことする必要もないだろうに……保科とは昔からの付き合いだけど、こういうところの価値観が合うことはきっと、一生ないんだろうな。

「恵理? なんで泣いてんの?」

「……なんか、哀しくて」

「はぁ?」


 ともあれ、その晩、私は久しぶりに楽しい時間を過ごすことができた。

 今日、バイト先であった失敗を話しては慰めてもらい、

 最近、店長に邪険にされてると話しては慰めてもらい、

 一カ月前、先輩にバカにされたと話しては慰めてもらい、

 三ヶ月前、前のバイト先の店長に邪険にされてたと話しては慰めてもらった。

「その話何度目?」

 とは言うものの、私のことをちゃんと慰めてくれる保科はやっぱり、優しいと思う。

 一生、こうしていられたら……とも。


「恵理。起きて恵理」

「ん~~? なんか、頭が痛い……」

「それはただの二日酔い。それよりあっち! ベランダ!」

 珍しく保科が急かしてくる。不思議に思いながら私は重い頭を上げてベランダに目をやった。


 ――キュル、キュ、キュ。


 そこには、昨夜私が独断で保護したムクドリがいた。

 元気に鳴いて、ベランダの上に立っている。

 私の視線を向けてか、ムクドリはバサっ――と羽根をはばたかせてベランダの縁の上へ。

 私の隣で、保科が言った。

「もっと、色々、直すべきところもあるとは思うけど……恵理は、もっと自分に自身を持ってもいいと思う。恵理自身が考えて動いた結果、こうなったんだから」

 視界の中、ムクドリは数度鳴いて、朝焼けの空を背にこちらをちらと見る。

 そして、東の空へとんでいった。


(了)

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