目を開き、神を討て

 神さまは言った。「ヒトは弱いのだから、助け合わなくてはならない」と。

 だけど今日、私は抜け駆けをしてしまった。

 誰にも言わず、たった一人で、この、硬くて重い扉の向こうへ行こうとしている。

 砂漠の真ん中。大岩によって日陰になっているところにその扉はあった。ほかのところに比べて砂が冷たいから、砂を払うのに苦労はしない。

 薄手の手袋をして、しばらく砂を払っていると青みがかった扉が姿を現した。取っ手を掴み、押し上げる。扉は中々口を開けてくれない。


 ――こんなことなら、シヴねえを連れて来れば良かったな。


 私は思う。シヴねえは聖人だ。あのどこにでも行き、どんな重いものも持ち上げてしまう神の腕があれば、きっと、この扉を開けるのだってなんてことないのだろう。


 ……扉を開ける頃には、昼になっていた。

 疲れた私はそのまま、扉を開け放ったままで昼食をとろうと穴の近くに座り込む。

 すると、声を聞いた。

 少年の声だ。


『やめた方がいい。そんなところでは、口に砂が入ってしまうよ』


 ――誰?

 声の主を探すけれど、周りには誰もいない。それもそうだ。みんな、教主さまに言われた通り、【神さまの躯体】を探すために砂漠中に散っているのだから。

 この周辺に、私以外の誰かがいるはずもないのだ。


『この地下施設の中さ。大丈夫。僕は君のようなヒトを待ってたんだから。おいでよシーニャ』

「私の、名前……?」


 ごく。

 知らず、私は固唾を飲んで一つしかない目をこの、薄暗い扉の中へと向けていた。はじめに階段があって、その先は通路になってるようだ。通路は、ぼんやりと青い光によって照らされているようだった。天の川を思わせるような、幻想的な光。


 …………こつ。こつ。こつ。


 光に魅入られるようにして、私は扉の向こうへ足を踏み入れた。

 にわかに湧きで出るのはじんわりとした罪悪感。ああ、私は神さまの教えを破ってしまった。

 父の借金を返すためにこの右目を盲者に与え、【聖人の卵】として教会で暮らすことさえ受け入れたのに。

 あの頃の、まだ聖人の卵になる前の私にとって、教会とは恐しいところだった。理由は分からないけれど、私はたしかに恐れていたのだ。


 階段を降り、薄暗い通路を歩くと、扉があった。磨りガラスの張られた長方形の扉に触れると、それはひとりでに開く。涼やかな風が吹きつける。


『――やあ。よく来てくれたシーニャ。聖人の卵となるべく哀れにも、目を奪われた少女よ』


 部屋の中には、一人の少年がいた。金髪碧眼。その容姿はまるで、話に聞くアンクルサムの悪魔に少し似ていた。……いや、だけど彼はアンクルサムの悪魔のように筋肉ムキムキというわけでも、頭にツノが生えているというわけでもない。


「あなたは……?」

『僕は、そうだね。君たちが信仰する神様の、偽物といったところかな』

「偽物の、神様……?」

『ああそうだ。偽物だよ。正真正銘。――君は、君たちの神さまの正体を知っているかい? この地が、どこにあるのかを知っているかい?』


 私は首を横に振る。


『ここは、北米大陸の真ん中。かつては『アメリカ』と呼ばれた超国家の、地理的な意味における真ん中だったのさ。別に国の中心ってワケでもなかったようだけど、街があったし村があった。こんな、広大は砂漠なんてなかった。……ああ、君にはこう言うべきだね。

 ここは、アンクルサムの一部だったんだ』

「え……?」

『さて、それじゃあどうやってこの地が砂漠になったのかというと、ソラから神様が飛来したんだ。それは、ヨソの星の文明が作った侵略機械だった。燃え尽きることなく地上に到達した侵略機械は、その機構によって砂漠化を開始。同時、こうした方が良いと判断したのか、住民たちを洗脳して己の信徒にしたんだ』


 私は、なにを聞かされているのかまるで理解できなかった。ただ、分かること。それは、この心臓が、煩いくらいに高鳴っているということ。

 世界の核心に触れた感触があった。


『……たしか、神様の躯体はアンクルサムの悪魔によって引き裂かれた――そういうことになってるんだっけ? だからアンクルサムは敵だと――だけど、実際は違う。これを見なよ』


 少年が指差すと、空中に映像が投影された。まるでこれは、

「神の舌の権能……!?」

『おや。説明は不要かな。しかし舌か。なるほど。映像の投影を説明や物語るという行為の延長線上に捉えれば、たしかにそれは舌の領分になる』


 一人合点する少年がなにを言ってるのかよく分からないが、ともあれ私は映像を見た。

 砂漠の真ん中、そこには独りの女性がいた。いや、女性と呼ぶのは違うかもしれない。その人間の皮膚とは異なる金属の体はまるで神の躯体――ああ、つまりこれは。


「あ、あれが……神さま……?」


 少年は頷く。


 映像の中で、神さまはひとりでに分裂した。散った体の各部位は砂漠の中に消える。

 神の躯体はアンクルサムの攻撃によって13に分裂した――そう、聞かされていたけれど。


『……参ったな。時間がなさそうだ』

 少年が言う。近寄ってくる。

 なに? なにをしようとしてるの?

 彼は、眼帯を取り払って――すさまじい力だ。人間とは思えない――私の右眼窩を覗き込んだ。空っぽの眼窩を。

「な、へ、……あ、あの」

『動かない。ちょっとビリっとくるけど、我慢してね……5,4,3,2,1……0』


 ――突き抜けるような衝撃。


「――――――――」


 私は、叫ばずにはいられなかった。なにが起きているのか、理解できない。考えられない。それに割く思考のリソースが、圧倒的に不足している。

 全てを見ていく。

 全てを聞いていく。

 現在に至るまでの、記録の全てが、私に、流れ込む。


 ………………果たして、どれほどの時間が経っただろう。

 10秒か、10分か、10時間か。あるいは、もう、1日以上――いや、分かってる。さすがにそれはないと。今の私なら分かる。人間に、それだけの時間絶叫する性能はない。

 私は、私を俯瞰して見ることができるようになっていた。

 この地下研究所の監視カメラのログを洗えば、私が硬直していた時間なんて、すぐに――なんだ、たったの3秒か。


『さあ。来るよ。本物の神様のおでましだ』


 少年――模造機械アインシュタインが告げる。ああ、分かっている。私もきっと、同じものを見てる。


 ……感情としては、信じたくない。

 だけど事実として。アインシュタインと同期するこの思考回路は、はっきりと認識している。

 夜の砂漠のような頭脳が、彼女を敵だと告げているのだ。


 ――ガシャン!


 ガラスを叩き割ったのは、一本の腕だった。自由自在に空を飛ぶ機械の腕。それを私は、憧れの眼差しで見ていた。

 ――だけど。


「シーニャ~? だめだよ。そんなやつの言うこと信じちゃ。そいつは、アンクルサムの手先なんだから」

「もうやめて。シヴねえ。……いや、神様」

「…………」

「シヴねえに、その体を返して」

「それはできない」


 偽物の神と名乗った彼と繋がることによって、私が得た情報はいくつもある。その中で、きっと、私が最も衝撃を受けたもの。私に、『ウソだ』と思わせたもの。

 それはただ一つ。

 ――聖人が、体を失った神の、仮の肉体であるという事実だ。

 こともあろうに神は、ヒトの肉体を複数同時に乗っ取ることで、合衆国の目を逸らそうとしたのだ。


 ――今にして思えば、幼き日の私には。聖人の卵なんて呼ばれる前のシーニャにはたしかにあったのだろう。人を見る目が。


「――器が一つ減るのは残念だけど、仕方ない。この地下施設ごと、あなたには死んでもらいましょう」


 神の言葉は、冷徹無慈悲なものだった。


【続かない】


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