南米の男達

 その指先は、まっすぐに始まりの方へ向けられていた。

 浅黒い肌の男達二人の目の前にあるのは、二つの看板である。指を模して作られた看板にはそれぞれこう記されていた。


 ←至:TDL | 至:ブラジル→


 男の一人――活発そうな印象のアジア系――が喜びの声を上げた。

Que sorteやったぜ! おい相棒! みろよこいつを! この指――右の方の――示す方へ行けば帰れるんだよオレ達! ブラジルに!」

「ウエー、マジかよそいつは?」

 男の片割れ――厳めしい顔つきのアフリカ系――は眉を顰めた。

「オレは日本語が読めねぇんだ。お前がミスってオレも死ぬってのは御免だぜ。マリア様に祈っとかねぇとな、お前がラリってねえことを」

「オレァ麻薬ヤクはやらねえって言ってんだろ……なんにせよ、ここまで長かったな、相棒」

「おうよ。……突然、足元に穴が開いたかと思えば地球の裏側なんだもんな。ワケが分からねぇぜ。帰ったらカシャッサを飲もう。アルティザナウだ。金なんか気にせずぱーっとやろうぜ。…………日本語なんて何の役に立つんだって向こうでお前をさんざバカにしたこと、改めて謝らせてもらうよ」

「なあに、これもキリストさまの思し召しってやつさ。気にすんな。お前のおつむの出来についてはずっと昔から分かってんだ。今更気にしたりしねえよ」

「はぁっ!!?? ちょ、待てお前今なんて――」

「さ、行こうぜ相棒。クリスト・ヘデントールがオレ達を待ってる」

「だな。さっさとオサラバするに限るぜ。こんなじめじめした、イカれた村はな」


 言って、二人は思い出す。この因習に満ちた、先進国日本にあるとはとうてい思えぬ、山々によって文明から隔離された村落での数日間を。

 ブラジルに突如として空いた大穴に呑まれた男たち二人――彼らは目が覚めると、日本のとある村落の井戸の中にいた。

 村の名は分からない。知るつもりもない。とにかく、男達は隠れ潜みながら行動することにした。ワケの分からない土地で下手を打てば即座に殺される――そんな、本能的な判断に基づくものであった。

 ほどなくして、男達は自分たちの育った殺伐とした環境に感謝することになる。きっと、彼らがもっと安穏とした地で生まれ育ったパンピーであったなら、今日この日まで生存することはできなかったに違いないから。

 若者の少ないこの村落で起きたのは、殺人事件であった。それも、いずれもが猟奇的な方法で殺害されていた。

 男のうち、一人――日本語に堪能な方はいくつかのそれらしい日本のサブカルチャーを思い出していたが、結果を見れば、それよりも凄まじいのかもしれなかった。

 死体の詳細については、ここでは割愛する。ただ、比較的死のにおいに慣れているはずの彼らでさえ、その異様さには胃を空にした。

 犯人は未だ捕まっていない。警察は、というとまるで登場する気配を見せない。

 村人たちの中には恐怖というよりむしろ、安堵の表情を浮かべる者さえいた。

 おそらく、この村は特異な宗教によって様々な意味で外界から隔絶されているのだ。男達は普段は祈りを捧げない神に祈り、しかし不安になった。

 ――果たして、この異常な土地にまで神の愛は届くのか――と。

 そんな生活が数日続いたある日。男達は足を踏み外して村外れの山を滑り落ちた。

 そうやって見つけたのが、この洞窟である。

 逃げ道があれば――と思いながらも、いささかも期待せずに男達は洞窟を進んだ。結果、あの看板を発見した。

 かくして、現在に至る。


 幾許か進んだところで、厳めしい顔つきの男が眉間のシワをさらに深くして言った。

「……なあ、にしてもこの辺、なんか変な臭いがしねえか? まるで死体みたいな……」

「しっ! おい! あれを見ろ!」

 先導していた一人が進行方向を指差す。そこには、蓑を被った老人がいた。不気味だったのは、その蓑が赤黒く塗り染められていたことだ。まるでそう、人の血をいっぱいに浴びたかのような――

「イケニエじゃぁぁぁぁぁぁぁ――っ!」

 アンブッシュ! 老人は衰えを感じさせない、野獣の如き機敏な動きで二人に襲いかかる!

Vixe Mariaウッソだろ!」

 すぐさま男達は応戦の構えを見せる。

 相手は――男達の想像が確かならば――ここ数日間、村で人を殺し回っていたシリアルキラーである。血塗られた凶刃にはどんな毒が付着しているかも分からない。

 男達は果たして、このまま故郷を目前にして分けの分からない異教の生贄になってしまうのか?

 ――否である!

「Shyyyyyyyyyyyyyy!」

 前方の男はその屈強な体躯からは想像できないほどの柔軟さでもって老人の一突きを避けた。

 そして、後ろで待ち構える男は両手を地面につき、大きく片足を振り上げた!

RABO DE ARRAIAハボ・ジ・アハイア――!」

 爪先が老人の喉を的確に突く!

 老人はさきほどまでの威勢がウソのようにノックダウンされ、斃れた。

 そう。この日本の村落に落ちてきたブラジル人二人、彼らはブラジリアンマフィアに属するカポエイリスタだったのである。普段より気力体力ともに衰えていることは否めないが、老人一人を相手どるくらい、わけない。

 老人が死亡したことを確認すると(念のために老人が持っていたナイフを喉笛に突き刺してから)、彼らは看板の指差す方へと走り抜けていった。

 その先には光が見えて――二人は意識を失った。


 ◆ ◆ ◆


 次に男達が目を覚ますと、そこはサンパウロの街中であった。

 彼らが感涙に咽び泣き、カシャッサを浴びるように飲んだのは、言うまでもない。

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