お題【入れ替わり】をテーマにした小説

 警察というのはなのだろうか。別に自分が悪いことをしたわけではないし、以前警察の厄介になったことがあるわけでもないというのになんとなく警察署や交番に行く時というのは緊張してしまう。


「もうちょっと待っててくださいねー」


 今対応してくれているたいらという女性警察官は最初から今までずっと温和な態度で接してくれている。包容力を感じさせる可愛らしい容姿と相まって彼女自身が緊張の原因とは思えない。おそらくは警察というも存在自体が持つ空気とでも言うのだろうか?展望台の中からガラス越しに見る風景に「もし落ちたら」という空想をしてしまうように、警察の近くにいることで「もし逮捕されたら」という空想をしてしまうのではないだろうか。


「お茶とかコーヒーとかお出ししましょうか?インスタントなんですけどね」


「いえ、お構いなく」


 ありきたりな返答をしてしまう。勝手に緊張してその理由を適当に分析しているのに気恥ずかしさを感じたのが原因だと理解できて、それがなんだか余計に恥ずかしかったがなんとか平静を保てるように努めた。


「にしても災難でしたねぇ。お相手の方はもうちょっとしたら来るみたいですけど……街中で偶然、でしたっけ」


「そうなんですよ。タイミングはたぶんお昼ごろかなぁ……その時たしかに人とぶつかったんで。びっくりですよね、だなんて」


 そもそもどうしてこんな思いをしてまで警察に来ているのかと言えば、それはもちろん用事があるからだ。自分の持っている鞄がどうやら他人の物であると確認したのが今から1時間ほど前、そして警察から連絡があり自分の鞄と取り違えたと言う相手と○○駅前の交番で落ち合う約束をしたのが30分ほど前だ。


「その鞄はちゃんと持ってきてます?」


 勿論、と言った後足元に置いていた鞄を取り出す。安物ではないがブランド物というわけでもない、どこにでもありそうな黒いビジネスバッグだ。ただし一点だけ、古いアニメのストラップが付いているということだけが他の物と異なっていた。


「中身、何が入ってたんですか?」


「いえ、まだ見てないんですよ……他人の鞄を覗くのってなんだか悪いなと思って」


「あら?って言うことは取り違えに気付く前に電話が?」


「そういうわけでもないんですけど……これ、ストラップが付いてますよね?」


 そう言いながら僕は鞄についているストラップを指さす。


「これ、もう古いものでして……少し塗装が剥げちゃってるんですよ。その塗装の剥げ方がいつもと違うなって思ってよく見てたら、ああこれ僕のじゃないなって気付きまして……そこに電話が」


「思い入れのあるストラップなんですねぇ」


 平さんの無難な返しを聞いて、社会人なってまでアニメのストラップを使っているということがなんだか今更恥ずかしいものに思えてきて口ごもってしまう。思えば緊張したり恥ずかしくなったり、警察に来てからというものの勝手に肩身の狭い思いばかりしている。


(早く来てくれないかなぁ、相手の人……)


 そう念じつつ時計を見てみるが、相手との待ち合わせにはまだ10分ほど時間がある。余裕をもって早く行動することが必ずしもいい結果をもたらすわけではないという誤った学習をしてしまいそうだ。


「あ、来たみたいですよー」


 そんな折に聞こえた平さんの言葉が救いのように思えて、勢いよく道路の方をきょろきょろと見回してしまった。右を見る。犬を連れた主婦、ジュースを片手に歩く学生のグループ。左を見る。散歩する老夫婦、自転車を漕ぐ若い男性、茶色い鞄を持った会社員。……注意深く観察してみたが、特にそれらしき人影は見当たらない。


「あの、平さん……?その、相手の方は」


「ああ、すいません。ちょっと目を閉じてもらえますか?」


 僅かな違和感。しかしその空気に流されるように、促されたまま目を閉じる。


「運が良かったですねー。中身見てたらこれだけじゃ済まなかったですよ」


 何のことを言っているのだろうか?ただその直後にパン、と手を叩いたような音が、次いでもういいですよという少し遠い平さんの声が聞こえたので目を見開くと、いつの間にかまだ高かった太陽は傾いて夕陽になっていて、交番の中には誰もおらず、そして鞄は見覚えのある自分の物になっていた。今度は中身まで確認したから間違いない。


「ねえ、キミ」


 何が起こったのか理解が追い付かないまま呆然と立ち尽くしていると急に声をかけられ、思わずそちらを振り向くと40歳くらいだろうか?少しくたびれた印象の男性警察官が立っていた。


「どうしたの?交番に何か用?落とし物だったら色々書類書いてもらうけど」


「あ、いえ、僕は平さんに言われてここで待ってたんですけど……」


「平?」


 その名前を聞いた瞬間男性警察官の眉がピクリと動き、明らかに警戒するような目でこちらを見て、そして


「誰?それ」


 予想もしなかった一言を告げた。





 あのよくわからない日から数日、アパートの郵便受けに封筒が届いた。差出人も不明、字体も見覚えが無い。ただしなんとなくだが差出人が分かったような気がして無警戒にも中に入っている手紙を開いた。


――拝啓


 あの後お変わりはありませんでしょうか?この度は我々の手違いで並木様にお手数をかけさせてしまい誠に申し訳ございませんでした。

 本来ならば並行世界の同一人物が同一座標上で遭遇、ましてやそのまま入れ替わってしまうようなことはあり得ないのですが、最近発生した次元断層の処理が追い付かず部分的な漏れが発生していたようです。

 せめてものお詫びとして、この手紙と共にささやかながらお礼の品を同封させていただきました。また、この手紙は現地時間で400秒以内に物質、および記憶から消滅するので処分については気にしないで構いません。それでは、これからも良き人生を。


敬具

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