お題【慌てない 慌てない】をテーマにした小説

「慌てない慌てない。慌てたって人生、何にもいいことないんだから」


 まるでひなたぼっこをしながら猫を撫でているのかと錯覚させるほどに穏やかな声で桜木さくらぎひなたさんはそう言った。


「慌てる、という文字は心が荒れると書く。上手いこと言ったもんだよね。心がまるで時化た海みたく大荒れだから冷静な思考ができない。冷静な思考ができないから普段はやらないようなミスをやらかしたり、ちょっと考えればわかるような答えを見落としたりする。だからどんな時でも慌てず騒がず、落ち着いて対処するくらいがちょうどいいんだよ」


 なるほど確かにその通り、彼女の言うことはもっともだ。


「慌てたって仕方ないって言うのは分かるんですけど……もうちょっと慌てません?」


「そうかなぁ?」


「そうですよぉ。だって、ねぇ」


 そう言った後僕は上半身ごと首を動かし天井の向こうに広がる星空を見る。


「地球、ぶっ壊れちゃったんですよ」


 そして、そこにあるはずだった青い母星の残骸を見つめる。


「ぶっ壊れちゃったねぇ」


 ひなたさんは相変わらずのんびりとしたトーンを保ったまま空を見上げている。





 さて、ここで改めて僕たちの置かれている状況を解説する必要があるだろう。2521年10月、僕たちウェルズ高校の生徒は修学旅行のために宇宙ステーションへと集合していた。目的地は木星、衛星を改造した観光都市と工業都市を巡る5泊6日のツアーだ。いざこれから宇宙船に乗り込もうというその時、よくわからないが滅茶苦茶デカい魚みたいなナニカが突撃してきてあっという間に地球が壊れた。本当にあっという間のことで、しばらくはそれが現実だと信じられなかった。現実だと信じられないうちに衝撃の余波で宇宙ステーションがぶっ壊れた。僕たちのいたモノも含めた124のステーションは全部ぶっ壊れたと思う。詳しく探査したわけでないのでわからない。

 そしたらなんで僕たちは生きてるの?って話になるじゃないですか。なんと僕とひなたさんは偶然無重力酔いしまして、2人だけ疑似重力区画に避難してたんですよ。他のステーションがクッションになって偶然その区画だけ破壊を免れたんです。本当ならその区画だけだと生命維持機能が間に合わないんですけど、地球を壊した魚みたいなナニカの吐き出した泡的なものに包まれたら内部の気体組成や気圧、重力が滅茶苦茶地球に酷似していたせいで結果として凄い安定しちゃってるんですよ。何それ凄い。信じられないと思うことでしょうが僕だって信じられないんです。はい、回想おしまい。本筋に戻ります。





「だってさぁ、ここから慌てたところでできること、無くない?」


「いやぁ正論にも程があるんですけど、それにしてもですね……」


 本当にその通りなのだ。これが例えば宇宙で遭難した、とかならばまだ地球に信号を送ったりできるしどこか知らない惑星に不時着したとしてもとりあえずそこで生活しようと思える。それに対して僕らときたらどうだ?宇宙空間にぷかぷか浮かぶ泡の中、破壊された宇宙ステーションの残骸の中で高校生の男女が二人きり。物資も技術も挙句の果てに助けを求めるアテもなし。だというのにひなたさんは落ち着き払っていてまるで僕だけが空回りしているように思えてしまう。


「それじゃあさ、逆にどうしたらいいか考えてみよっか」


「どうしたら、といいますと」


「だからねぇ――ここから生きていくにしても、何もかも投げ槍になって諦めるにしても、方針を決めて計画を立てないといけないのさ。君は生きたい?それとも死にたい?」


 一転、ひなたさんの空気が変わる。落ち着いているのは確かなのだが、さっきまでのひなたさんをひなたぼっこしている時の落ち着き方だとしたらいまのひなたさんは勉強した内容がそのままテストに出た時の学生みたいな、そういう落ち着き方だ。


「生きたい、です……少なくとも死にたくはありません」


「オッケー、じゃあ自殺は後回しだね。そうなると今ある資源を食いつぶしながら生きれるだけ生きるか、どうにかして寿命が尽きるまで生きられるくらい安定した環境を構築するかなんだけどその二択だったら?」


「ええっと……後者、ですかね……」


 まるで子供にヒントを出しながら正解に導く教師のよう。思わずつられて僕の思考までクリアになっていく気分だ。


「じゃあそうなったらまたしても二択だね。この場所にその安定した環境を作るか、どこか別の星なりの生きていけそうな環境を探すか、だ」


「それは……」


 今の環境はそもそも様々な偶然が重なって生み出された空間だ。この泡?がいつ弾けるのかもわからない。弾けたら最後、宇宙ステーションの1区画に残された生命維持機能はよほどうまく運んでも1年はもたないだろう。


「別の環境を探す、ですかね」


「そうだね、私もそう思うよ。この場所で生きていくくらいなら君と2人で退廃的な日々を過ごす方がまだ建設的だ」


 正直に言えば退廃的な日々に興味が無くもなかったが、聞かなかったことにして話を続ける。


「あの、つまりひなたさんには考えがあるんですか?その、新しい環境のアテが」


 ようやく僕は気付く、ひなたさんがここまで落ち着いていた理由に。つまりひなたさんには最初からアテがあったんだ。そこまで先を見据えていて、だからこそ余裕をもって動くことができていたのだ。今僕は同い年の少女に対して親や先生にも抱いてこなかったような尊敬の念を抱いている。


「え?無いよ?」


 違った。尊敬の念が勢いよく霧散した。返してほしいがそれを言うのも悔しいので黙っておくことにした。


「ええ……じゃあどうしたらいいって言うんですか」


「慌てない慌てない。アテは無いけどそこまで決まったならあとは探すだけだよ。アテと言えるほどじゃないけど候補くらいなら提示できる」


 そう言うとひなたさんは窓の向こうを指さす。そこにはさっきまでと同じような残骸だけの宇宙空間が――


「え?なんですかアレ」


 大きな、おおきな、全貌すらわからないは今まさに僕たちのいる小さな空間を飲み込もうと突き進んできている。


「え?見ての通りついさっき地球をぶっ壊した魚っぽいナニカだよ。宇宙空間よりは酸素とかあって暮らしやすそうじゃない?」


「だから、もうちょっと慌てましょうよー!!!」


「まぁまぁ、もしどうしようもなくなったらめいっぱい退廃的な日々をおくらせてあげるから」


 どうしようもない危機とどうにもできない好奇心で頭の中がぐちゃぐちゃになりながら、僕たちの視界は宇宙とはちがう闇に包まれたのだった。


<了>

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