お題【著作権フリーの作品から1行引用】した小説

 虫の鳴き声が聞こえる。コオロギか、或いは鈴虫か。「アレ松虫が鳴いている」という歌は知っていても、それではこの鳴き声はなんという虫なのかは思い当たらない。ただ何かしらの虫が鳴いているというその事実が私の心に風流という感覚を想起させる。夜風が静かに私の頬を撫で、花瓶に刺したススキを揺らす。なんとなく、そういう空気に浸っていた。


「夢野ちゃん、これどこに置いたらいいかな?」


 聞きなれた声に振り向くと、幾つかの月見団子を載せた三方を両手で抱えた女性が気怠げな顔で立っている。白衣を着て、長い癖っ毛をヘアゴムでまとめ、縁の太い眼鏡をかけている彼女はこの学校の養護教諭にして文芸部顧問の景浦先生だ。


「窓の傍の適当なとこに置いといてくださーい。なんかこう、いい感じに雰囲気出そうな場所に」


「適当とかいい感じとか、人に指示を出す時はもうちょい具体性をだね……ま、いっか。どうせたったふたりのお月見だ」


 本当は、こんなはずではなかったらしい。景浦先生は体力もやる気も無くて、保健室を休憩室代わりに使うような生徒すらも性行為さえしなければ見逃したり、あまつさえ診断書(と言っても学内で他の先生を相手にだけ使える程度のものだが)を偽造してくれるような、そんな社会に出していいのかよくわからない先生だ。けれど時折凄い行動力を見せることがあり、今回もわざわざ校長に直談判し、夜の校舎を部分的に開放する許可を貰って、更にはポスターや様々な飾りを準備してまで月見を企画した。もっとも、その行動は高い確率で空回っており今回も月見に参加するのは私だけ。更に言えばある程度準備を整えたところで気力を消耗しきったらしく、飾りつけの段になって私に頼りきりになっていた。


「そもそもこういうのって先生がやるべきなんじゃないんですか?言ってみれば先生がホスト、私はゲスト側ですよ?」


 身を乗り出していた窓から離れ、二人分のコップと何種類かのジュースを机の上に置きながら当然の主張をする。


「いやぁ、ほら、なんていうかさ……イヤほんと全くもってその通りなんだけどね?体力にしたって飾りつけのセンスにしたって、無いものはいきなりひねり出せないよ」


「センスなんて私だって似たようなものですって。インテリアとかそういうの、全然気にしたことないんですから」


「いやいや、なかなかどうしてサマになってるよ?将来はデザイナーとかもいいんじゃない?」


 へらへらとした表情で見え見えのお世辞を言いながら、景浦先生は一足先に席に着く。私も、そんなお世辞は無視しながら後を追って対面のイスに腰かけた。


「ところでところで、先生なんでそんな風にやる気ないくせしてへんなとこだけ頑張るんですか?」


 ちょうどいい機会だと思ったのでかねてからの疑問をぶつけると、景浦先生は注ぎ終えたサイダーの蓋をしめてから口を開いた。


「んー……そうだねー、キミにはわかってほしいようなそうじゃないような話なんだけどね?私、学生時代から頑張んないで生きてきたのよ。大学も勉強しないで受かっちゃったし、部活も熱中してこなかったし。だから今更になって何かしら頑張ってもいいのかなって思って、思い付いたことは色々やってみてんのよ」


「んー、学生時代に彼女作れなかった男が制服コスプレを好むみたいな話ですか?」


「夢野ちゃんさぁ、そういうネタどっから仕入れてくるの?」


 ネットで、とだけ答えるとインターネットの使い方を注意されたけど、先生はそれ以上追及することは無かった。後日その理由を尋ねてみたところ「そこまで進行しているなら何を言っても無駄だから」らしい。納得できる自分が悔しかったがそれはまた別の話である。


「ところで先生、聞いたんですけど去年とかはお月見なんてやらなかったらしいじゃないですか。なんで今年はお月見なんて?」


「お?なんだよく知ってるねぇ。それはねー、今年のお月見が特別なお月見だからだよ。時間的にはそろそろかな……あ、ほら、見てごらん?」


 そういって先生は窓の外を指さして、私も釣られるようにその先を見る。


「——ああ」


 すぐに分かった。丸く、きれいな満月が、翳っていた。


「皆既月食、それが秋に見えるんだよ?お月見も月食観察もできてお得だと思わない?」


「でも先生、これってお月見って言えるんですかね……?」


「さぁ?まあほら、今は見えてるわけだしさ?これからだんだん見えなくなっていく様を楽しむとしようよー」


 先生が何を考えているのかは今でも正直わからない。これを見せるために、わざわざこんな大掛かりな準備を整えたのだろうか?普段のやる気のなさと本当に見合わない行動力に驚く私のことなんて気にしないで、先生はのんびりと月見団子を口に放り込んでいる。


 そんな姿になんだか毒気を抜かれた私は大人しく先生に倣って月見団子を放り込んでから空を眺める。


「あの月ってさー、植物も動物もなんもないんだよねー。兎の一匹でもいりゃあ楽しいのにさ」


 そんな言葉を聞いたからだろうか。空の中に散らばる星々を天の川だとか銀河だとか昔の人はとにかく水に例えたけれど、今の私にはまるで荒涼とした砂利の地面に思えてしまう。ただそこにあるだけだった地面の上に景浦先生が忙しなく動き回っている姿を想像してしまい、なんだかくすりと笑ってしまう。実際には星の中に浮かんでいるのは月だけなのだが。


「先生の学生時代も月面みたいに寂しい感じだったんですか?」


「口を慎め―?大人だって泣くんだぞー?」


 空想と空想が結びつく。一人寂しく浮かんだ月が誰もいない場所で動き回っているような、なんだか寂しい想像だ。


(鋼のように澄みわたる大空のまん中で月がすすり泣いている)


 ふと、そんな一文を思い出す。けれどそれならば問題ない。


「先生、あの月って今泣いてるんですかね?笑ってるんですかね?」


「お、詩的だね。そうだねー、アレはきっと……」


 あの詩の月は、泣いた演技をしてから笑っていた。


「楽しいと思うよ?一回隠れてまた出てくるだなんていないいないばあをしているみたいじゃない」


「なんだ、先生の方が詩的じゃないですか」


 空虚さが原動力だとしても、今が楽しいのならきっとそれは楽しいってことなんだ。



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