お題【犬】をテーマにした小説

「犬は人類の最も古い友である、なんて話を聞いたことがあるかな?比喩でもなんでもなく、人類が犬を家畜としていた記録は1万年以上遡れるらしいよ」


「それ、今僕らに何の関係があるんですか?」


 寒い寒い冬の嫌って程雪が降った日、それはもうびっくりするくらい雪が降った結果として僕と先輩は文芸部室に取り残されていた。頑張れば帰れないことは無いし雪国の人間にとって雪の中を歩き回るという経験は一家全員分の両手両足の指を使っても数えきれないほどにある。長靴やブーツ越しに貫通した水分が靴下をぐっしゃぐしゃにするであろうことに目を瞑れば普通に帰宅できるのだが、せめて降る雪くらいはおさまらねーかなーとぐだぐだしてたら単に積雪量が増えただけで今に至る。


 先輩はメガネを拭いたり文庫本でジェンガを組み立てたりてるてる坊主を作ったり何かと忙しそうにしている。僕はさっきからずっとスマホをいじりながら窓の外や部室やたまに先輩の様子を伺っている。幸いにして時代遅れの灯油ストーブが部屋の中をこんこんと温めてくれてはいるものの、同時にそれは部室という惑星の中外に出たくないという強大な重力を発生させている。さしずめ星の核と言ったところだろうか。


「こんな歌を知っているかな?犬は喜び庭駆け回る……ふふっ、私が犬だとしたら一歩たりともこんな雪の中に出たくはないね」


 先輩は憂鬱そうでありながらもどこか楽しげな表情を浮かべて窓の外を見る。言ってることがどうでもいいことでも顔面の造詣とシチュエーションだけでなんとか絵になるというのはこの世に美少女と美少女以外の人間を生み出した神を恨まずにはいられない。もっとも、そのシチュエーションにしても相変わらず振り続ける雪は今季最強寒波の名に恥じぬ豪雪っぷりで一面の雪景色なんてロマンチックな言葉では済まされない。つまるところこのなんとなくよさげな雰囲気は実質的に先輩の顔面に依存する形で成り立っているということだ。不平等だ。


「暇なんですか?」


「暇だよ?なにせてるてる坊主もついさっき完成してしまったからね」


「逆についさっきまで完成してなかったんですか?」


 先輩ははにかみながら首を縦に振った。今の会話のどこに恥ずかしがる要素があったというのだろうか。


「ほら、見てみてよ。ワンちゃん型てるてる坊主、名付けていぬいぬ坊主」


 そういって先輩が見せたのは一般的なてるてる坊主の頭の部分を少しとがらせてマジックで犬っぽい顔が描かれているてるてる坊主だ。


「ネーミングのセンスが壊滅的なことを除けばかわいいじゃないですか」


「えー?いぬいぬ坊主だめかい?ドッグ・テルテリアン8世の方が良かった?」


「もっと候補なかったんですか?」


 先輩は真っすぐこちらを見つめてないよ、と言い切った。きっと何かしらのこだわりがあるのだろう。僕は無言でてるてる坊主、否いぬいぬ坊主を受け取ると窓の傍に紐でつるした。


「これできっといぬいぬ坊主が晴れにしてくれるさ」


「あの、先輩?さっき先輩犬は喜び庭駆け回りって歌ってたじゃないですか」


「うん、歌ったね。それが?」


「犬、晴れより雪の方が好きそうじゃないです?」


 先輩は少し考え込むんでからすくっと立ち上がりすたすたと窓の傍に近寄ると無言のままいぬいぬ坊主の紐を切り、また元の席に戻ると机の上に飾り付けた。


「イヌー坊主……君はクビだ」


 さっきと名前が違う上に早くも解雇を宣告されている。てるてる坊主界にも不況の波が押し寄せているらしい。こういう時どうするんだろう?てるてる労基とかに相談するのだろうか?


「それにしてもだよ、イヌってこんな寒い日にでも外に出れるものなのかな?庭駆け回る日だって一応晴れてる日じゃないか?」


「ほら、イヌは毛皮あるじゃないですか。イヌの毛皮って人間で言ったら服着てるようなものなので大丈夫じゃないんですか?」


「私は服着ててもこんな雪の中外出したくないが?」


 ひどく冷たい目。今の寒波と比較したらギリギリ寒波が負けるくらい冷たい目だ。そりゃそうだ、僕だって雪の中外出したくない。


「だいたいさ、女子高生のスカートってのは防寒装備としてあまりにも心許ないわけだよ。タイツにしたってそうさ、生足よりはあったかいけど、雪国の冬に対しては布の服で魔王に挑むようなものだよ」


「なんで急にそんな話を?」


「寒いんだよ。タイツは1000デニール越えの毛布みたいなタイツ履けばまだいいとして、スカートはぶっちゃけかわいい以外の役目をあんまり果たせてないと思わないか?」


 スカートが実際どの程度寒いのかはわからないが、確かにズボンと比べれば外気と触れやすく非常に寒そうだ。


「まあ、寒そうな格好だというのは確かに同意しますが……それがどうしたんですか?」


「つまり、毛皮のあるイヌと服を着た人間を比べるならば少なくともこんな可愛さ以外取り柄の無いみたいな恰好をした女子高生なんかじゃなくて君みたいなちゃんとズボンを履いた人間が更にコートとかマフラーとか、そういうので完全防備を重ねた状態にしてからにするべきだ」


「でも服は夏と冬で変わりますよ」


「イヌだって夏毛と冬毛があるだろー?」


 見落としていた。先輩は勝ち誇った表情をしている。冷静になれば何も負けてないのだが負けた気がしてしまう。悔しい。


「おっ、とそろそろ時間だよ」


 先輩はスマホの待ち受け画面を見せつける。写っているのはこたつの中で丸くなる大型犬だ。


「先輩、イヌ飼ってるんですか?」


「そうだよ。今度モフりに来るといい。……じゃなかった、そろそろ電車の時間だよ」


 現在の時刻は18時20分。次の電車が出発するのは19時ちょっと前。学校から駅までは歩いて20分もかからないが雪のことを思えば早めに出発するに越したことは無く、おそらく今のうちに出発しなければ次の電車は更に1時間後だ。田舎の駅は平均して1時間に1本くらいしか電車が来ないのだ。


「あー、確かにそろそろギリギリですね……」


「うん、今のうちに出発しないと本格的に校舎に一泊コースだからね、サッサと帰っちゃおう」


「了解でーす」


 後ろ髪をひかれながらストーブのスイッチを切り、急いで荷物をまとめると僕たちは二人で部室を後にする。外に出るとどうやら無駄話してる間に幾らか雪の勢いは落ち着いてくれたらしく既に降り積もった足元の雪だけに注意すればどうにか移動できる状態になっていた。


「間に合いますかねー?」


「間に合うよ」


 そう言うと先輩は鞄からいぬいぬ坊主を取り出すと


「ワンチャン、ね」


 はにかみながらそう言った。


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