お題【欠落したものが回復する】をテーマにした小説

 幸福、或いは不幸とは人間の認識が作る、と言うことができる。たとえばある日突然「あなたは本来なら100万円を手に入れることができていたが、不幸な事故で別の人間に渡った」と言われたらどう思うだろうか?元々100万円を手に入れる予定が無かったにも拘らず損したような気分になるだろう。幸福にしたってそうだ。失って突然気付くだなんて言葉があるように、それが幸福なのだと気付けなければ金も名誉も幸福には繋がらないだろう。


                   ◇


「えーっと、小国、お前は要するに何が言いたいんだ?」


 八重樫は今、友人と二人きりで話していた。場所は自室、一般的な男子高校生の部屋のようだと言えば概ね正確な表現になるであろう没個性的な部屋だ。参考書や漫画本の置かれた勉強机、本以外にも写真や玩具がいくつか飾られた本棚、青無地のカーテンは隙間から午後の日差しが差し込み少し眩しい。


「だからだなぁ……」


 目の前の少女、小国はほとほと困り果てたような顔をして、何度目かの説明をする。


「なくなったんだよ、俺のおちんちん」


 その瞳は、真っすぐにこちらを見つめていた。


「あのさぁ、無いわけないだろ。おちんちんだぞ?おちんちんは普通取り外せないんだぞ?」

「そんなことは知ってるっつの!知ってるからこんなに困ってるんだろ!」


 小国の迫力に八重樫は思わず気圧されそうになる。小国の発言が事実だとしたらそれは確かに大変なことだろうがそんなことを言われて困るのは八重樫も同じことだ。おちんちんが無くなるなんて話は16年生きてきて聞いたことが無い。そもそも、八重樫にとってはそれ以上に根本的な疑問がある。


「小国さぁ、お前……男だっけ?」

「男だよ!男として16年も生きてきてんだよ!おちんちんが無くなるなんてこれまでの人生で一度も聞いたこねえよ!」


 どうやら思いは同じらしいが記憶は微妙に異なるようだ。八重樫にとっての小国は数少ない女友達の一人で、そもそもおちんちんが無くなるも何も、初めから付いていないものがどう無くなるというのだろうか。


「実は反陰陽なんてことでもなく?」

「……反陰陽って?」

「ちんちんとまんまんが一緒に付いてる奴」

「ねぇよ!生まれてこの方ちんちん一本で過ごしてんだよ!」


 ちんちんが二本ある人間もいないだろうが、やはり小国は自分のことを男子高校生であったと記憶しているようだ。


「俺はさ、お前のことを女友達だと思ってるわけよ?昨日までも今も」


 八重樫は記憶を確かめながら続ける。


「昨日は二人で遊びに行っただろ?一緒にゲーセン行って、昼飯はラーメン食って、本屋寄って帰ったよな?」

「おう。その時はまだ俺のおちんちん付いてたぞ」


 嘘や冗談を言ってる様子はない。小国の発言はそれだけの必死さを帯びている。


「じゃあ、状況を整理しよう。お前は昨日まで男だったけど気付いたらちんちんが無くなってたと思ってる。俺は昨日までも今日からもずっとお前が女だと思ってるんだよ。それ以外の記憶は特に違わないみたいだ」

「そんなこと、あるのか……?」


 小国はいよいよ追い詰められたような顔になっている。無くなったおちんちんの行方だけでなく自分の記憶さえ不確かになっているのだから無理もないだろう。そして、ここまで考えてから八重樫はあることに気付いた。


「小国、もう一度確認するけどさ、お前は昨日まで男だったけど今日気づいたらおちんちんが無くなってるんだよな?」

「だから、そう言ってるじゃねぇか!」


 余裕がなくなっているのか語気が強くなっている。八重樫は、それを気にすることもなく続ける。


「だとしたら、お前は今女子の体触り放題ってことじゃないか?」

「それだ」


 数秒前までの慌てようはどこへ行ったのか、小国の目は爛々と輝いている。


「え、嘘、マジ?神様が俺にくれたご褒美?」

「神様がなんでお前にご褒美やるんだよ……」

「ほら、俺こないだ空き缶拾ったし」


 空き缶を拾うだけで摩訶不思議なご褒美がもらえるなら誰も苦労はしないだろうが、状況が一切進展していないなりに小国の中では一つの前進をしたらしい。


「すまん八重樫!俺今から帰るわ!また明日な!」

「程々にしとけよー、明日月曜なんだから……」


 勢いよく立ち上がった後踵を返して部屋を後にした友人を見送ると、八重樫は少し静かになった自室でため息を吐いた。小国にとっては解決したようだが、どうにもスッキリしないことがある。即ち記憶の相違が何故起こったのか、だ。


「俺か小国のどっちかの記憶がおかしいんだ。小国の記憶がおかしいとしたらある日突然昔から男って思いこんだわけで、俺がおかしいとしたらマジでアイツのちんちんが無くなった……」


 こんなことで悩んでいる自分が馬鹿らしくなるが、どちらかと言えばあり得るのは前者だ。しかしそもそもどちらも普通はあり得ない。小国は普段から馬鹿なことは言うが頭が悪いわけでも妄想癖があるわけでもない。そしてあの迫力は嘘を言っているとも思えない。


(わっかんねぇなー……)


 結局この僅かな間の話し合いで八重樫は解決できないモヤモヤを抱え、小国は随分と幸せそうな表情で帰っていった。僅かな時間で悩む人間とそうでない人間が逆転してしまった不条理さを抱えたまま


(ていうかアイツ、仮にも自己認識が男なら女友達相手におちんちんって言い過ぎだろ)


 原因不明のモヤモヤを抱えたまま、八重樫は不貞寝を決め込むことにした。



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