第6話 黒指細手

 振り返って 香が見たものは、先ほど見た数字。

 それと、浮かび上がって来る ごくごく普通の明朝体フォントの文字であった。フォントの色は、数字と一緒で 白色である。

 振り返ってすぐは、ボヤけて読めなかった。だが、浮かび上がって来ると共に、あらわになった文字は、「自惚れめ」そう書かれてあるのが、はっきりと読み取れた。耳があの時の声を思い出して、ゾクリと震える。

 「自惚れめ」この言葉と並び見て、香は先に表示されていた数字が、何の数字か分かってしまった。


 —— 閲覧総数だ。


 香が投稿した作品が、閲覧された回数。その数字が「自惚れめ」と言われながら、画面に出ている。

 見ていると、黒い画面がタールのように揺れ始めた。

 香は吸った息を、吐き出すのを忘れている。


「……て、……手が」


 後ろから一郷の声がした。


 香はいつのまに掴んでいたのであろう、モニターの開閉部あたりに、手を当てて、本来 はしない—— 移動したりはしないと言う意味で —— PCが、これ以上、自分に近づかないように押さえつけていた。

 その香の親指の爪に、第一関節の筋ほどの、小さな黒い亀裂が、縦に入っている。

 亀裂を目で辿って行くと、画面の中の黒に行きついた。画面からは 滴って出来たような、黒い線が幾筋か、画面の外に向けて伸びているのが分かった。

 けれど、怖さのあまり、思考を停止した香はPCから手を離すと言う行為をしない。

 香の意識を奪っていたのは、画面の中の黒い揺れだ。

 揺れは さっき香が感じた、不安を具現化したような、漣だった細かい 揺れ方だった。

 波立つたびに、その波は何かの形を為そうとしているようだが、一面の黒で判然としない。

 香が、画面に目を凝らそうとすると、


「野村さんっ!」


 恐怖に耐えかねたように、一郷が叫ぶ。


「野村さんっ! ユビ! 指! 手ぇ!」


 叫ぶ一郷を振り返り見ると、一郷は、香の手を指差している。

 一郷の声で 思考が動き出した香は、もう一度 自分の親指を振り返り見る。

 目に飛び込んで来たのは、黒い亀裂が小さな手の形になって、香の親指を掴んでいるところだった。

 香は吸い切っていた息を、更に吸おうとしたが、酸素は香の肺に届けられる事は無く、代わりに、もっと息を飲む光景を目の当たりにすることになる。

 それまで、漣のようだった細かい揺れが、いきなり激しく畝り出し、無数の小さな手となって 画面の中で絡まり合い始めたのだ。

 両手の先に違和感を感じて、見ると、無数の小さな黒い手が、画面の中から香の手をつたい 這い上って来ているではないか。


「野村さんっ!」


 一郷は恐怖で動けなくなった香をPCから引き剥がすと同時に、画面を閉じて、PCを放りやった。

 千切れた黒い線が、切れた場所から黒い霧となって、消えて行く。

 

 一郷が香の小さな肩に手を食い込ませたのは、香を守るためだけでは無く、自分の恐怖を抑えるためでもあった。

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