第5話 ウ シ ロ ヲ ミ ロ


「あ、睦くん、おはよう」

「おはようじゃないよ、こんな所で何をしているの?」


 一郷は、香が意識を取り戻したので、心配を少し手放すように、揺さぶっていた手を離す。手離した心配と引き換えに、一郷が取り戻したのは、冷静さであり、冷静さが連れてきた警戒心の分だけ、一郷は香から離れた。


「ん?」

 香は、まだ意識がハッキリとしておらず、何が起こったのか……直前に何をしていたのか、思い出すのに時間がかかってしまう。

 周囲の暗さから判断して、それほど時間は経っていない事が推測出来た。

 長くて30分くらいと言った所だろう。


 一郷はそんな香の様子を黙って見ており、立ち去る様子も、かと言って、心配して近づく様子もない。


「あっ!パソコン!」


 香の意識と視線の焦点が、突然合う。PCが放り出されたであろう場所を見定めるが、そこにPCは無かった。

 PCを探して、彷徨う香の視線の前に、


「これ」

 一郷が持っていたPCを差し出した。

「あぁ、ありがとう」

 受け取ったPCを香は抱え込み、しばらく頬をきつく押し当てたあと、何処か壊れている所はないか、ひっくり返したりする。

 暗くて、良く分からなかったが、筐体のに大きい傷はなかった。


——ちゃんと動いてくれるかしら?


 香の心配は、から中に移った。

 電源はどうやら入るようだ。パスワードの画面までは、通常に進む。

 香の心は満潮を迎えるように、徐々に安心で満たされつつあったが、それでも 打ち寄せては 引いてを繰り返す、不安の漣の音は微かに聴こえていた。


 一郷も香とは一定の距離を保ちつつ、PCの画面が見える位置に回り込む。

 香の指が、香とは別の生き物であるかのように、目にも止まらぬ速さで、パスワードを入力して行った。


 立ち上がった画面に顕れたものは、香が想像していた 最悪の現象では無かった。

 白飛びしたり、粗いドットの画像が顕れて、色の三原色が乱れ狂っていたら どうしようかと思っていたが、目の前のモニターには、画面いっぱいの黒地に 白抜きの文字で、数字が並ぶ。

 その数字に 香は見覚えがあるが、何の数字だったかまでは思い出せない。


 —— なんの数字だっけ?

 

 一郷には分からない事を知りながらも、つい、振り向いて 後ろにいた一郷を見上げてしまう。

 両膝に、左右の手の平をそれぞれ当てて、腕で支えるように、中腰で覗き込んでいた一郷は、香と目が合うと、——さぁ?と言う風に首を傾げた。


 —— 睦くんって、こんなに眠そうな目をしてたんだ。


 香がまた場違いで、な事を考える。

 すると、眠そうだった一郷の目が、驚きで見開いていく。その目の色が途中から、驚きから恐怖に変わって行くのを、香は直視した。

 

 それを見た香は、すぐさま察した……

 私の後ろで、何かが起こっている……

 香は眼球だけを横にずらす……

 しかし、PCの画面は視界に入らない……

 毛細血管が千切れるほどに、黒目を目尻に寄せたが、やはり後ろで何が起きてるかは、確認ができない。香の頬がりきみと、恐怖で戦慄く。

 

 見ようとしていた訳ではないが、一郷が先程の影のように、ゆっくりと指を差すのが、香の視界に入ってくる。

 違うのは香を指差した訳ではなく、その後ろ、PCを指差し、その指先は恐怖に震えていると言う事だ。


 —— お前のPCだろ、お前がちゃんと見ろよ。

 

 視線はすれ違いながらも、一郷がそう訴えているのが判る。

 怖くて、振り返る事ができないが、振り返らなければ、恐怖は蓄積されて行くばかりだ。

 香は大きく息を吸い込むのと同時に、振り返った……


 

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