終章 縁


 

 時は流れ、永保四(一〇八四)年初夏。国府多賀城、源義家居所。


 自分の背中について歩きながら、きょろきょろと辺りを見回しては溜息を吐いて止まぬ連れの若者を流石に見かねた清原清衡が、「おい」と窘める。

「国府に来たのは初めてではあるまい。あんまり人様の家をじろじろ見まわすな!」

「いや、何分駆け出しの商人でございますもので、もしやもしや、こんな立派な御屋敷にお住いの御仁がお得意になるかと思ったら色々覚えておかなきゃならないこともあるじゃありませんか。間取りとか」

 筆で引いたような細い造形を更に細めアハハと笑う優顔の若者に、肩を竦めてみせながら清衡は門を潜る。

 丁度着いたばかりなのか、玄関に弟の家衡一行が顔を並べているのを見つけ、愛想よく手を振り歩み寄る。

「おや?」

 ふと、そのうちの一人に見覚えのある女武者を見つけ思わず声を掛ける。

「……もしや、そなた藤原千任ではないか?」

 ギクリと固まる女武者が、ぎこちない笑顔を浮かべながら振り返った。

「ああ、やはり千任か。よく覚えておるぞ!」

「あ、あはは。これは清衡様。お久しうございますわ」

 冷汗掻きながら愛想を振りまく。何しろ七つの頃に刀を突きつけた相手である。まさかこんなに偉くなるとは思いもしなかった。武貞は、自分の実子と妻有加の連れ子である清衡を分け隔てなく愛情を注いで育てたのである。

 しかも自分のことを覚えているとは。……これは明日あたり首が飛ぶか、とびくびくしていた千任に対し、清衡はにっこりと微笑みかけた。

「あの時は、そなたに命を救われたな。ずっと礼を言いたかったのだ」

「……へ?」

 思わぬ反応に面食らう。

「そなたが俺を人質にでもして母上を止めてくれなければ、俺も母上もこの世にいなかった。感謝いたす」

「い、いや。妾は仕事でやっただけのことですのであわわわ」

「炎に巻かれていた女達を救ってくれたとも聞いたぞ。それに、倒壊した矢倉の瓦礫から瀕死の侍女を救い出したとも」

「う、うーん、それは……」

「いずれ改めて礼がしたい。今度屋敷に招待しよう。では、いずれまた」

 笑顔で去っていく好青年に手を振りながら、悩ましい思いに胸中で唸る。


 ……正直、嫌なのだ。戦に限らず、目の前で弱い者が死んでいくのが、傍らで苦しんでいる人を見過ごすのが。だから悪者の振りしてでも手を差し伸べてやりたくなる。……まったく、損な性分だ。

(ただの妾の擬悪趣味でやっていただけだったンだけどね。……まあ、いいさ。お礼してくれるってんならお言葉に甘えて、今度何か美味しいものでも御馳走してもらおうかな!)




 広間に集うのは清衡並びに家衡一行。そして高座の傍らに座するのは清原家長老格、吉彦秀武である。

(……おい、なんであの親爺が上座に座ってるんだよ)

 隣に座る家衡を肘でつついて尋ねる。

(何でも真衡兄と我らとの調停役があの親爺らしい。僕も事情はよく判りませぬ)

(はあっ? そもそもあの親爺が今回の騒動の発端じゃないか!)

 昨年、清衡らの兄、真衡と、一族の重鎮であり保守派の秀武の間で諍いがあり、それを発端として清原家を二分する大きな内紛が発生した。今日兄弟二人が国府を訪れたのも、新しい陸奥守が着任して以来、内紛の為に先延ばしになっていた挨拶と、この度の身内争いの釈明を兼ねてのものだったのである。

 二人が肘突き合ってこそこそ内緒話をしていたその時、

「陸奥守様、御出座!」と声が掛かり、慌てて二人共居住まいを正し平伏する。

「面を上げよ」

 威厳のある低い声に皆が顔を上げ、高座の人物を注目する。

 源八幡太郎義家。この度新たに着任した陸奥守である。歴戦の勇士であり、軍神と称えられる人物であるが、肩書と渋い声の割には意外と愛嬌のある様子と見え、兄弟二人共少しほっとした。

「初めて顔を合わせる者達もおるようじゃが、中には懐かしい者もおるぞ。……清衡殿、俺のことを覚えておるか?」

「は……?」

 困ったように言葉に詰まる清衡の様子に、苦笑いを浮かべながら「はは、良い、良い」と詫びる。

 ……決して愉快な思い出話にはならぬはずだ。

 経清殿の御子息と――安倍の血を引く者と、まさかこのような形で再開するとは、な。

 それにしても、感慨深いものだ。かつて様々な思いを抱えながら長い戦いを繰り広げたこの地に、自分が陸奥守として再び舞い戻る日が来ようとは。

 出来れば、今度こそ平穏な日々を送りたい。


 あの日、心からそれを願い――そして、結局叶わなかった陸奥の平穏を。


「ところで、陸奥守様」

 清衡がおずおずと口を開く。

「実は、当家が得意先としている商人がおりまして、この度、是非お目通りの上ご挨拶申し上げたいとのことでございます」

「ほう、商人か。どれ、前へ」

 義家に招かれ、清衡の後ろで畏まっていた青年が前に進み出る。

 ……義家の掌から、扇子が落ちた。


吉次よしつぐと申しまする。どうぞ、何卒お見知りおきを」

 

 ニコニコと顔を上げる吉次の表情が相手の尋常ならざる顔色を見るなり驚きに変わった。

 只ならぬ義家の様子にその場の全員がざわついた。

「……そなた、その夏衣、何処で手に入れたのじゃ?」

「へ?」

 何のことかと袖を広げて見せる。

 間違いない。清和源氏を示す笹竜胆が薄っすらと編み込まれている。

「これは、母の形見でございまする。父が嘗て着ていたものと聞いておりますが?」

 蒼白になった義家が立ち上がり、吉次に歩み寄る。

「吉次と申したな。母上は……亡くなられたのか、いつ亡くなられたのじゃ?」

 戸惑いを隠せずに吉次が答える。

「私が元服したすぐ後でございます。その時にこの吉次の名を授かりました。本当は戦で行方知れずになった父の名から一字を貰い、「義次」と付けるつもりだったらしいのですが、私が商売の道に進んだもので、縁起を担いで同じ読みの「吉」にしたので――陸奥守様!?」

 突然自分を掻き抱き声を放って泣き崩れる義家の様子に吉次が驚きの声を上げ、皆が顔を見合わせた。何だか知らないが貰い泣きをする者もいる。


 ……軍神、源義家が、皆の前で初めて見せる涙であった。


 

その後、吉次は「金売り吉次きちじ」と呼ばれる伝説的な大商人となり、彼の縁を受け継いだ子孫たちは奥州の歴史に様々な形で名を残すこととなる。


                                     終


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