第13章 終焉
康平五(一〇六二)年九月十七日、陸奥安倍氏最後の拠点、厨川柵は、激戦の末陥落し、清原・国府勢の勝利に終わった。
宗任はじめ貞任の兄弟は悉く捕らえられ、そのうち重任、並びに千代童子は首を打たれた。
安倍軍客将であり、元国府側でもあった経清もまた斬首となったが、頼義から激しい恨みを買っていた彼は、錆びた刀を用い時間をかけて首を斬り落とされるという特に酸鼻極まる処刑であったという。
彼の妻、有加と数え七歳となる子息は虜となった後、武則の息子、武貞のものとされた。
こうして陸奥の地から安倍一族は滅び去り、十二年に及んだ前九年合戦は幕を閉じたのである。
翌年、朝廷より前九年合戦の論功賞が行われ、頼義は正四位下伊予守に、義家は従五位下出羽守に叙任される、武則もまた従五位上鎮守府将軍に抜擢されるという、当時例のない破格の待遇であった。
しかし、清原の本当の狙いが奥羽統一に留まらず、真の目的は清原血統による傀儡化した安倍の再構築による国府からの支配脱却、ひいては新生安倍を旗印とした奥羽の独立であり、結局安倍が清原に代わるだけとようやく気付いた頼義は、宗任ら俘虜の処遇を巡り武則と激しく対立し、結果、生き残った安倍兄弟らは伊予をはじめとした源氏の勢力下にある西国へ流されることとなった。この源氏と清原、或いは奥羽との対立は後年まで禍根を残すこととなる。
その後、成長した経清と有加の子息は武貞の子として養育され、やがて成人し清原清衡を名乗り、後に藤原へ姓を改め奥州に新たな時代を築くことになるが、それはまた別に語られるべき物語である。
一加一乃末陪――即ち白糸姫を供養するため、後年源義家は奥六郡の地に十一面観音堂を建立し、彼女の死を悼んだと伝えられている。
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