第12章 厨川 1

 

 ――件の柵、西北は大沢、二面は河を阻つ。河岸は三丈有余、壁立して途無し。其の内に柵を築き、自ら固くす。柵の上に楼櫓を構へて、鋭卒之に居る。河と柵との間、亦隍を掘る。隍の底に倒に刃を立て、地の上に鉄刃を蒔く。


 『陸奥話記』における厨川柵の防御を表した記載である。

 油断を突いた強襲のはずが、予期せぬ障害や思わぬ伏兵、何よりも逆に自らが不意を突かれる態で壊滅に近い損害を受けた第四陣を飛び越していくように、続々と後続の清原勢が砦へと押し寄せていく。


 ――遠き者をば弩を発して之を射、近き者をば石を投げて之を打つ。適柵の下に至る者をば沸湯を建てて之に沃ぎ、利刃を振るひて之を殺す。


 これに対し、迎え撃つ安倍勢も柵外の要所要所より伏兵による撹乱戦や斬り込みの敢行、砦からは弓矢の狙撃を加え、それらを潜り抜け外壁まで至った敵兵へは矢倉からの投石や煮え立った熱湯を浴びせかけるなど激しく抵抗し、日没が過ぎた後も暫く攻防の剣戟が途絶えることはなかった。




 康平五年九月十七日未明、一加居室。


 ――父上が和睦を飲んでくれた。これで漸く戦が終わる

 ――上手く話がまとまれば、すぐにでもそなたを迎えに行こう


 思えば、同じ遣り取りを、六年前の衣川の河辺でも交わし合っていたのだ。

 そして、同じように引き裂かれた。

 もう、これが宿命と知るべきか。涙も既に枯れ果て、最早双眸からは何一粒湧いてこぬ。

 まるで能面のように笑みも嘆きも浮かばぬ表情で、一加はじっと手元の夏衣を見下ろしていた。


 ――暫しの形見に、あの夏衣はそなたに預け置く。……どうか天に帰り給うな


(許してたもれ。……私は、天に帰りまする)

 自分はきっと、今日明日にはこの世にいないだろう。安倍と共に滅び去る。

 結局自分は胆沢の狼、最後まで人喰い狼のまま。


(――さらばじゃ。源太様)


「姐さま、起きておられましたか」

 部屋の戸口で呼びかける声に振り向くと、戦装束の薄と、同じく蘿蔔、菘の姉妹が控えていた。

「……お別れに伺いました」

 座する女主人の前で、薄達は深々と平伏した。

「薄他二名、これより南西の四番矢倉守備に就きまする。……今までお仕えさせて頂けた御恩、我ら決して忘れませぬ!」

 声を震わせながら薄は畳にぽたぽたと涙を落とした。

 一加もまた、込み上げる感情に言葉を詰まらせる。

「お前達には生き延びてほしかった。あれほど逃げ延びよと言っていたのに、今日まで聞き入れてくれなかった。……強情な奴め!」

「……生き延びたとして、果たしてどこへ逃げ延びればよいのでしょう?」

 薄が涙を流しながら顔を上げ、主を見つめる。

「あたしは羽後の生まれ、これから我が手で弓引く仇は同郷の者らでございます。もう故郷の土は踏めませぬ。ならば最後まで姐さまの傍で戦い、姐さまの傍らで死にとうございます!」

 泣き崩れる薄を前に、堪らなくなった双子達が一加に飛びついて号泣した。

「姐さま、お別れしとうございませぬ!」

「生きていて欲しうございまする!」

 双子達の懇願に何も答えることができず、一加もまた二人を抱きしめながら涙を流すばかりであった。


 涙ながらにその様子を見つめていた薄は、袖で顔を拭うと決意を込めた眼差しで口を開いた。

「姐さま、その子達はあたしにとっても妹同然。……必ず守り抜きます。この命に代えても必ず守り通して見せまする!」

 一加が顔を上げ、涙に濡れた目で薄を見つめる。

「……私にとって、お前も私の妹なのよ?」

 手を伸ばし、薄の頬に触れながら一加は目を細め、穏やかに微笑んだ。

「お前こそ命を粗末にしてはならぬ。必ず生き延びておくれ」




「――もうすぐ夜が明けるな」

 白々と明るくなりゆく東の空を一瞥し、貞任と経清は矢倉の上から柵外に広がる昨日の激戦の痕跡を見渡し深く息を吐いた。

「果たして今日一日持ち堪えられるか……」

「……今日は持っても、明日はあるまい。これが最後の御来光とやるやも」

 階下の通路では、各配置に向かう兵士達がぞろぞろと隊列を組んでいるのが見えた。その多くが侍女や雑仕女といった女性達である。その手には弩が携えられている。

「女達は何とか逃がしてやりたかったが、その前に敵に囲まれてしまった。尤も、多くはあの通り自ら望んで我らと運命を共にしたいという申し出じゃ」

 勇ましいことじゃ、と遣り切れない様子で貞任が小さく笑う。途中で脱落した弟達は、磐井を経て出羽の母方縁者の元に身を隠し、再び戻ってくることはなかった。

「有加も最後まで言う事を聞いてくれなんだ。逃げよというものを、梃子でも死ぬまでここから動かぬと強情を張ってな。あまりの剣幕に倅が泣き出して大変じゃった」

「はは、あれも安倍の女じゃ。きっと手を焼くことになるぞ、と婚礼の前に言うたはずじゃが」

「まったく、義兄上の仰せの通りじゃった」

 二人して声を上げて笑った後、おずおずと貞任が低頭した。

「経清殿、貴公には真に助けて頂いた。貴公がいなければ、我らは今日を迎えることなくとうに潰えておったろう。改めて感謝申し上げる」

 経清もまた、頭を下げる。

「礼を申し上げるのは某の方じゃ。我ら亘理の将兵を快く受け入れてくださった。勇壮なる胆沢狼と共に戦えたこと、心から誇りに思うぞ」

「経清殿、今では貴公も立派な胆沢狼の一頭ぞ。それを仰るなら自身が胆沢狼であることを誇りとせよ!」

 その時、南の方から幾声もの法螺の音が鳴り響いた。

 合戦用意を告げる敵の号令である。

「やれやれ、いつの間にか夜が明けておる。我らも出迎えの支度をせねばなるまいのう」

「まったく、長い一日になるのう」

 最後に笑顔を交わし合い、それぞれの持ち場へと向かっていった。




 見渡す限りの敵勢、四方に轟く鬨声、いずれも昨日のそれを数倍上回っていた。

 清原だけではない。つい先日まで安倍に靡いていた日和見勢力も新たに攻め手に加わっている。

 第四陣をはじめ、昨日の戦闘において払った犠牲によって暴かれた、柵を囲む堀や障害の抜け道を潜り、濁流の如き勢いで敵勢が押し寄せる。

 しかし抜け道の先には西に亘理勢、東に遠野・物部勢、正面に胆沢精鋭が咢を開いて待ち構えていたのである。

「まさか、ここに誘い込むためにわざと抜け道を用意していたのかっ!?」

 思わずたじろいだ清原軍武将深江是則のすぐ目の前まで白衣の騎馬が迫り、慌てて左に馬を向けたところで忽ち亘理兵らの矢の雨を浴びた。

 討ち漏れた兵らが辛うじて外壁に辿り着きよじ登ろうとするところを、矢倉から次々と矢を射かけられる。

 序盤は厨川柵の護りに清原勢は手も足も出ぬ有様であった。



「早く次を番えて!」

 悲鳴のような声を上げ、薄が矢倉から下を睨みつけながら双子達を催促する。

 双子達は涙を滲ませながら必死で弩に矢を番え、終わった傍から薄に手渡していく。

 矢倉では侍女達が外壁に辿り着いた敵兵らを頭上から弩で狙い撃ちしていた。弓手一人に対し、番え手二人の三人一組である。

 薄に弩を手渡した菘が、ふと真下を覗こうとする。

「下を見るな!」

 鋭い薄の一喝に、びくりと肩を震わせながら彼女の足元に蹲り、作業に戻る。

 矢倉の下は地獄絵図であった。

 まるで積み重ねたように敵の死骸で埋め尽くされ、その上によじ登った敵兵が、或いはこちら目掛けて弓を射返し、或いは決死の覚悟で矢倉を登ろうと試み、その度に死骸の山は嵩を増していく。

 矢倉に向けて矢を番えた敵兵が、自分の弓の先にいるのが若い娘と知って思わず射るのを躊躇う。そういった人の血の通った兵士から倒れていく。

「……ううう、ひぐ、……うあああっ!」

 今自分が殺している相手は、皆薄の同郷の者達である。

 薄は涙に咽びながら引金を引いた。




 薄や双子達のいる矢倉を見返りながら、胆沢精鋭を率いる一加の目の前を火矢が掠めていく。

はっとして敵勢の後方に目を向けると、敵は射角を高々と上げ、砦目掛けて火矢を次々と射掛けるところであった。

(火攻めに切り替えたか!)

 しかし、そう簡単にこの柵には火がつかぬはず。

 念のため指示を仰ごうと兄の方へ馬を向けた一加が不意に口元を抑えた。

「――うっ⁉ ……ううっ、けほ、けほっ!」

 突如襲い掛かる激しい嘔吐感に、堪らず腰を折り馬の上で蹲る。

「姫様、如何なされたっ!?」

 異変に気付いた髭一が駆け寄る。


(……そんな、まさか⁉)


 ある可能性に思い至った時、ぞわりと背筋に慄きが走った。

 血の匂いが異様に鼻につき、一加は再び嘔吐を催した。

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