第11章 和平 4


 和賀郡黒沢尻付近、国府・清原勢本陣。


 両陣営武将が列席する中、宗任は畏まって連名を記した和睦の書状を拝受した。この時ばかりは宗任の表情も緊張に強張っている。

「これで我らと貴公らとの十二年の蟠りも消えたな。めでたいことじゃ」

 にっこりと笑いながら茂頼が語りかける。

「本当に……永うございました。この戦乱に於て幾度も飢饉に襲われ困窮に喘いだ我が民らの苦しみも、故国の安寧の為にと命を捧げた者達の悲願もこれにて報われましょう!」

 涙に咽びながら宗任が顔を覆う。

 満面の笑顔を浮かべていた頼義が立ち上がり、一同に告げた。

「ついては、両陣の積年の蟠りを払拭し、今後の親睦を深めんために、急拵えではあるが、ささやかな宴席を用意しておる。まあ、些か気が早いかもしれぬがのう。安倍の方々も、勿論同席頂けような?」

「勿論、有難く御相伴仕りまする!」

 二つ返事で頷き、一旦解散した一同がぞろぞろと席を立つのに続き、宗任も幕営から退出した。


「……業近よ」

「はっ!」

 宗任が側近を呼び寄せた。

「済まぬが直ちに厨川に戻り、この書状を皆に見せよ」

 手渡したのは先程交わした和睦の約定書であった。

「これを一目見れば彼奴等の真意が判る筈。くれぐれも早急にな。気づかれぬように用心し出立せよ!」


 その顔からは、先程の感涙に咽んでいた喜色が一切消え、絶望と慄きの余り蒼白に震えていた。




 

 厨川柵。


 書状を改めた貞任、並びに一同がほう、と息を吐いて業近を見やる。

「……それで、宗任は今以て国府本陣の宴に加わっておるのだな?」

「は、恐らく」

「ふむ……」

 頷きつつ皆を見回してみる。

「ならば我らも負けてはいられぬな」

 そう言って立ち上がり、一同を前に宣言した。

「明日は朝から宴を催すぞ。柵の兵糧も酒も全て持ち出して祝いの宴じゃ、皆よ、今から支度せい!」

 応っ! と全員が歓声を上げる。

「時に業近よ、その取り交わしの場に清原の連中は何人見えた?」

「は。武則、武貞の二人は見えましたが、署名の前に中座したようでございます。その後の宴にも加わらぬ様子」

「成程。随分お忙しいものと見える。ならば日と場を改めて、厨川の宴にて仙北の親爺殿をもてなして差し上げねばな!」

 そう言って貞任は皆の前で笑ってみせた。



 

 何やら傍らが心許ないと思っていたら、そうだ元親がおらぬのだ。

(あいつめ、無事であろうか……)

 聞いたところによれば、例の奇襲で傷を受け、命に別状ないものの、暫くは動けぬという事でこの度の解放には加えられていない。見舞いに行きたかったが俘虜との面会は許されず、あれ以来義家は元親と会えぬままであった。

 わざわざ出羽から連れて来たらしい仙北言葉の美女が頻りに酌を勧めてくれるが、どうも気心知れたものでないとやはり味気ない。

 何気なく視線を転じた先で、宗任が一人所在なさげに杯を弄んでいた。敢えて酌を遠ざけている様子であったが、義家は傍らの酌婦に詫びて立ち上がると、宗任の傍らに腰を下ろした。

「この度はおめでとうございまする」

 一瞬驚いた様子で義家を見上げる宗任であったが、すぐにいつもの恵比須顔に戻り、酌を受けた。

「……なにやら、未だに夢のような心地でございますな」

 どこかぎこちない口調で答える様子を見るに、言葉の通り、未だに長き戦の終わることに実感が追いつかぬものと見える。

「実は某も同じでござる。皆様に初めてお目に掛ったのが衣川の宴でございましたが、すぐに敵味方に分かれてしまいました故、再びこうして杯を酌み交わせる間柄に戻れましたこと、真に有難きことと嬉しく思っておりまする。宗任殿とは、いつかの夜は刃を交わしたこともあったが、……願わくば、以後は我が兄上として親しく慕わせて頂きたい所存にござる!」

 義家の言葉を聞いた宗任は、何故かまじまじと義家の顔を見つめたかと思うと、手元の杯をぐいっと飲み干し、涙を浮かべて義家に返杯を勧めた。

「……源太殿。貴殿は今宵より我が弟じゃ。この酒の味、某は生涯決して忘れませぬぞ!」



 宴を中座し厠に立った宗任が、用を済ませた後、酔い覚ましに庭を歩きながら、ぼんやりと厨川の方を見つめ考え込んだ。既に夜も更けている。

(……あの御曹司、どうやら何も知らぬ様子。何とも痛ましいことじゃ)

 不意にその背後から、幾人もの足音が近づいてくる。

「ああ、やはり思った通り、ここで俺を始末するつもりか?」

 振り返りながら宗任が冷たく笑う。

 黒装束の男が五人、自分の周りを取り囲んでいる。

「いつぞや衣川関に忍び込んだ輩か。俺も貴様等には含むところがあるぞ!」

 生憎、刀は預けてきてしまった。だが只では殺されぬ。

「小松柵で死んでいった部下達の仇じゃ。一人でも道連れにしてくれる!」

 徒手空拳でも最後まで足掻いてやる。身構える宗任を前に五人の黒子兵が鞘を払った。

 そこへ、一人の同じ黒装束の男が音もなく割って入り、宗任を庇うように刀を抜く。

「安倍の御方よ、お助け致す」

 五人の黒子兵達が動揺したように無言のざわめきを漏らす。

「そなたは?」

 同じく戸惑いながら問う宗任に、男は背を向けたまま油断なく身構えながら答えた。

「拙者は雪平と申す。安倍の姫君に命を救われた者じゃ。義に因り、厨川までお守り致す!」

 男の言葉に、宗任も力強く頷いた。

「恩に着る。すぐに厨川へ戻らねばならぬ。お力をお借りするぞ!」

 二人が駆け出すと同時に、五人の追手がたちまち斬りかかった。




 翌日、厨川柵周辺。


 砦城からの賑やかな宴の歓声が、七八町隔てたこちらまで聞こえてくる。

「まったく、度し難い連中よ」

 彼方の乱痴気騒ぎを、武装を纏った武則はじめ清原全将兵がせせら笑った。

 柵を囲む灌木や木立には清原勢全兵力が隠れ潜み今や遅しと合図が示される時を待っている。

「愚か者共め、約定書をよく読んでみれば気が付きそうなものじゃ。国府と奥六郡の和睦については文言にあるが、我ら清原が和睦に応じるなどとは一言も書いておらぬ。尤も、我ら清原も国府軍のうちに入ると言われればそれまでだが、そもそも我らは書面に記名しておらなければ取り交わしに立ち合うてもおらぬ。ずっと厨川の総攻撃に向けて準備を進めておったでな。残念ながら話が伝わっておらなんだ。入れ違いじゃ、不運なことじゃ。だが戦端が開かれてしまえば、後はどうでも良いことじゃて!」

 からからと大笑する武則の傍に、第四陣指揮官である橘頼貞が馬を寄せた。

「御館様、突撃用意が整いましてございます」

「宜しい。近接するまで法螺を鳴らすなよ、鬨も控えよ。出来るだけ目の前まで迫ってからにせい。宴に遊び惚けるあの間抜け共が仰天し飛び上がる様を見てやりたいでな」

「うふふ、楽しみですなあ!」

 頼貞もまた含み笑いを漏らし、陣へと戻ると自軍に出撃を下令する。

「続いて第一陣も出撃に備えよ!」


 一町、また一町と距離が詰められていく。どんどん宴の賑わいが近づいてくる。まだ気づかぬか、馬鹿な奴らよ!

「よし、もうよかろう。第四陣各隊、速駆け!」

 号令一下、高らかに法螺が鳴らされ、一斉に騎馬隊が鬨の声を上げながら馬足を速める。

 未だに宴の歓声は止まぬ。

「……待て、おかしいぞ。第一陣止まれ!」

 不審を感じた後続の武貞が自陣の進軍を止める。

 その目の前で、威勢よく馬を走らせていた第四陣の先頭集団が突如ふっと掻き消え、直後耳を覆う程の阿鼻叫喚が辺りに響き渡った。


「待て、まて、押すな! う、うわあああっ!」

「うぎゃあああっ!」


 緩やかな上りの傾斜に隠され、先頭騎馬隊が落下するまで、柵の周囲をぐるりと幾重にも堀が巡らされていることに誰も気づかなかったのである。堀の深さはおよそ三丈(九メートル)、一番手前の堀には隙間なく刀や槍が上向きに植え込まれ、知らず落下した騎馬ら数十騎は串刺しにされ呻き声を洩らしていた。

 思わず馬を止め動揺する次鋒騎馬集団に、砦から一斉に嵐のような矢が射かけられた。


 いつの間にか、宴の歓声は高らかな戦の鬨の声に変っていた。



 時に康平五(一〇六二)年九月十六日、厨川柵。


 十二年の永きに及ぶ陸奥の戦乱、その最後の戦いの幕がここに切って落とされたのである。

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