第7章 叢雲

 

 康平四(一〇六一)年師走。出羽国仙北郡大鳥井山、清原氏居城。


 居並ぶ清原重鎮ら、そして高座に着く自身の前で平身低頭する頼義、義家親子を前に、羽州清原当主光頼は驚きと怒りの余り腰を浮かしかけた。

「い……いい加減になされよ陸奥守よ!」

 相手の慇懃無礼にとうとう激高した光頼が立ち上がって声を荒げ、寄こされた文書を床に叩きつける。

「如何なる御態度で臨まれようとも、我ら清原は安倍とは縁深き間柄である! それでも国府に慮りこの度の動乱に際しては不本意ながら中立の立場を取ったのですぞ。本音を言えば、頼時殿と共に貴殿ら国府と刃を交えてやるつもりであったところをじゃ! 挙句このようなものまでこさえて押し掛けてくるとは、いくら俘囚相手に額づいたところで額は目減りせぬものと貴殿はお考えのようだが、これ以上の斯様な御振舞いは当家への侮辱と捉えようぞ! 我らは血盟を裏切るような軽薄な真似は決して致さぬ! この際確と心得られよっ!」

 わなわなと肩を震わせながら平伏する頼義を睨みつける。

 しかし屈辱に肩を震わせているのは頼義も同じ。

 陸奥守、鎮守府将軍、そして河内源氏棟梁。どの肩書一つのみ取り上げてみても、たかが出羽の俘囚長風情を前に頼義が低頭するなど在り得ぬ所作であった。

 その上、只今光頼が床に打ち付けたのは頼義の「名簿みょうぼ」。名簿を預けるという事は即ち天下を二分する武士団頭目が清原に臣下の礼を示したことに他ならない。それを目の前で床に叩きつけられたとあっては、屈辱の上の屈辱、腸の煮えくり返る思いであったことだろう。

 だが、全ては安倍を葬り去るため、忍び難くとも耐え忍ばねばならぬ。

 最早国府は万策尽き果てた。清原を頼る他に術はない。

(……父よ、貴方は何故にここまでして陸奥に拘るか!)

 ともに屈辱を味わいながら、傍らの父の無様な姿を義家は忸怩たる思いで睨みつける。

 そんな中、くつくつと低い笑い声を漏らす者が一人、二人。

「何を笑っておるか!」

 光頼が怒りを露わに怒鳴りつける。

 やがて光頼を除く座に居る全ての者がケラケラと笑い声を上げるに至り、初めは不謹慎な者共めと睨みつけていた清原当主は困惑を隠しきれぬ様子で一同を見回した。

「な、何が可笑しいのじゃ、おぬしら?」

 戸惑った様子の光頼の傍らで光頼の弟、武則が意地の悪い笑みを兄に向ける。

「実に目出度き申し出ではござらぬか。そうは存じませぬか、兄上よ?」

「何だと?」

「然り然り。御館様よ、よく御目を見開き御覧じろ。如何か、ご自分の尊き矜持を顧みず、只朝敵討伐の一念を貫かんという、御誠意に溢れた頼義殿の御態度を! 全く以て恐れ入る」

 側近の斑目四郎が重々しく頷く。

「それに、今日まで陸奥守様がお越しになるたびご持参される珍物の数々にも、真心がこもっておりましたしのう」

 貝沢の頭目、清原武道がホホと笑いながら目を細める。

「陸奥守様、御曹司様御二方の御熱意、我らがそれに応えずして清原一門の顔が保てようか! 頼義殿、我ら全身全霊を以て御君の義戦、微力ながらお力添えいたしまするぞ!」

 武則の子、武貞が満面の笑みで頼義に答える。

「有難く存じまする。出羽に聞こえる皆々様のお力があれば、我が念願、きっと果たすことが出来ましょう。感謝に堪えませぬ!」

 頼義が畏まって深々と低頭する。

「ま、待て!」

 光頼が血相を変えて叫ぶ。

「貴様等、どういうつもりじゃ!?」

 狼狽える当主の様子が可笑しくて堪らぬという様子でさざなみのような笑い声がひたひたと広間に溢れかえる。

 ハッとした光頼の顔からみるみる血の気が引いて行く。

「……まさか、おぬしら皆、弟奴に取り込まれおったか!」

 蒼白となった光頼を横目にニヤリと武則が嘲笑う。

(ふん、今頃気づかれたか、馬鹿な兄上よ! 陸奥守の提示する御褒美をチラリと見せてやっただけで、側近らは皆尻尾を振って儂の方に着いてきおったわ。今やあなたの御味方は片手に数えられるほどしかおらぬ。このうんざりするような身内の派閥争いも、ようやく儂の方に軍配が上がったようじゃのう)


 黄海合戦の敗北以来数年に渡り、頼義は清原一門の中の急進派であり、親国府派である武則に接触し、彼の本拠地である横手金沢柵に幾度となく自ら通い詰めては、陸奥攻略の助力を求めていたのである。その見返りとして約束したのは、羽州への陸奥の併合並びにいくつかの利権の他に、武則の鎮守府将軍及び上級官位の推挙という極めて破格のものであった。

 当初は半信半疑であった武則も、頼義自身の名簿の提出という実質武則への服従に等しい態度に遂に決意し、頼義の協力の下、幾年もの時間をかけて清原家重鎮殆どの懐柔に成功していたのである。

(成程、父上の最近の挙動、訝しく思っておったが、そういう魂胆だったとは……)

 義家もまたこの場に於て初めて一連の企てを理解するとともに、傍らで畏まり平伏している自身の父親が得体の知れぬ怪物のように見えた。

 崩れるように高座に座り込む光頼を他所に、武則ら側近は頼義と早速今後の進行に着いて協議を進めている。

「……ところで、陸奥守殿や」

 側近の一人であり武則の甥、吉彦秀武きみこのひでたけが口を開く。

 猫背の小男で、青白い顔に常に脂汗を浮かべ、酷薄な双眸をひくつかせながら時折「ひひ、ひひ」と引き攣った笑い声を漏らす、どことなく嗜虐的気配の漂う男であった。

(なんという、見るからに生理的嫌悪を禁じ得ぬ男じゃ!)

 義家が内心顔を顰める。先程から自分達を殊更に蔑み見下ろすような視線にずっと不快感を覚えていた。

「貴殿は非常に魅力的な提案を我らに示してくだすったわけじゃが、実はもう一つばかり欲張りがしとうてのう」

「ほほう? 何なりと」

 頼義が顔を上げる。相手に対し、父も胸中では息子と同じ印象であるらしくあまり愉快そうでない様子が背中から伝わってくる。

「頼時に三人の娘がおろう? なんでも大層美人で評判だそうではないか」

 ひひ、と嫌らしい笑いを漏らしながら秀武が舌なめずりする。

 義家はカッとなって思わず相手を睨みつけた。たとえ秀武ではなくても一加のことを嫌らしくねぶりまわすように口にされるのは我慢ならぬ!

「安倍との戦に勝利した暁には――儂らにくだされや」

 義家は耳を疑った。

「お安いことでございまする。しかし、上の娘は既に嫁ぎ、真ん中の娘は夫を亡くしてより出家しておる。下の娘のみ安倍の元に残っておるようでござるが」

「ならば下の娘だけでも良い。仏道に入られた方はどうにもならぬだろうが、上の娘にしても、亭主など、どうとでもできる。我ら清原の次世代を背負って立つ、逞しい子を産んでもらうでな」

 ひひ、と聞くに堪えぬ、それ以上に見るに堪えぬ、ついでに描写にも堪え得ぬ好色な醜笑を満面に浮かべ秀武は腹を揺すった。

「聞き捨てならぬっ!」

 とうとう我慢できずに義家が立ち上がった。

「これ、源太よ、控えよ!」

 父親の諫めにも構わずに義家は秀武を怒鳴りつけた。

「控えるのはそちらの御方じゃ、秀武様と申したか! 頼時の御息女、有加一乃末陪ありかいちのまえ様はじめ御三姉妹は貴殿ら清原と同じ血を引く方々ではないか! それを置いても、女人を戦の戦利品のように言われる貴殿の謂い様、源氏に連なる士道の者として断じて許せぬ! 言葉を弁えるがよいっ!」

 激昂する義家を前にさも驚いたというようにわざとらしく肩を聳やかして秀武が答える。

「これは異なことを申される! 源氏の若君よ、そもそも、女人の掠奪は戦の褒美のうち、と我ら俘囚の民に対して幾度も示して見せたのは、貴公ら倭武家の輩ではないか。んん?」

 唇を噛み切らんばかりに噛み締める義家の怒りも何処吹く風といった様子で嘲笑ってみせる。

 不意に、悄然と高座で俯いていた光頼が口を開いた。

「……秀武よ、そのお若い方の言う通りじゃ。そなたの言い分、儂も捨て置くことはできぬ」

 しかし、その諫めの言葉には最早最初のような力は感じられない。

「安倍には幾人もの当家に連なる女人が嫁いでいるのじゃ。あの者らがもし今のそなたのような物言いで語られたとすればどう思う? 安倍は我らと一心同体。安倍は清原、清原は安倍。……今まで、ずっとそうやって平穏な奥羽を治めてきたというのに、どうしてそれを清原の名の下に崩そうとするか」

 顔を覆い肩を震わせる光頼に、勝ち誇ったように武則が囁きかける。

「そう、兄上の仰る通り、清原は清原、安倍が清原になるだけのこと。今までと何ら変わることはありませぬぞ。あまり深くお悩みになられるな――」

 頼義らの方を横目でチラリと見やりながら、武則がク、と唇を歪め含みのある嘲笑いを浮かべる。


 ……この武則の言葉の真意を頼義が戦慄を以て理解したのは、ずっと後になってからのことであった。




 康平五(一〇六二)年文月、日没六ツ半。金ヶ崎西根、安倍氏居城。


「如何でしょうか?」

 二人の着付けを終えた薄が、ホッと息を吐きながら女主人を顧みる。

「二人とも、良く似合ってよ」

 思わず一加も顔を綻ばせる。

「うふふ」

 主人と先輩侍女にまじまじと見つめられ、照れくさそうに二人の侍女が頬を染める。

 近々、当時の女性の成人式に当たる裳着の儀礼を控え、昨日届いた二人の晴れ着を試し着させて寸法の確認をしていた所であった。

「早いものだわね」

 しみじみと一加が呟く。

「二人とも、ここに来たばかりの時は本当に世話ばかり焼かせてくれたものさね」

 薄が後ろから菘の頬を軽く抓りながら笑う。

 もう彼女らに禿髪の頃の幼い名残は残されていない。

 背中まで伸びた長い髪、奇麗に剃り整えられた眉。二人とも誰が見てもハッとするほどに美しい女性に育っていた。

「しかし、大人になれば幾らか区別もつくようになるかと思ったけれど、大して変わらないわね、あんた達」

 薄が二人を見比べながら悩まし気に腕を組む。

「菘は背中の真中に痣がありまする」

「蘿蔔姉さんは右のお尻にほくろがありまする」

「剥いてみなきゃわかんないじゃないさ!」

 呆れたように薄が笑う。

「さて、寸法も大体わかったことだし、二人とも、皴にならないうちに服をお脱ぎ。もうすっかり暗くなってしまったわね」

 それでも外を見やるとまだ微かに仄明るい。漸く梅雨が明けたところであった。

「なんだい、ついこの前までなら、まだ脱ぎたくないって駄々捏ねてたのにさ」

 大人しく服を脱いで畳む双子達を眺めながら、薄が少し寂しそうに言った。



 皆が寝静まった後、一加は縁側に腰かけて庭の蛍を眺めていた。

 こうしていると、五年前の合戦が嘘のような平穏であった。

 あれから、国府側の動きは聞こえてこない。

 貞任も重任も、それぞれの居所に帰っていった。

 経清は、朝廷との和睦に向けて着々と準備を進めているという。

 もし、経清の努力が実って、本当の平穏が陸奥の地に訪れたとしたら。

 一加はじっと自分の両掌を見つめている。


 ……もう、この手を染めていた赤いものは、奇麗に流れ落ちているだろうか。


 突然、庭の茂みががさがさと揺れ動いた。

(……獣か?)

 思わず身構える。すぐ裏手の山から、狸でも迷い込んで来たか。


「――一加!」


 ハッとして立ち上がった。

 どうやって、金ヶ崎まで?

「……源太様?」

 いや、あの人は危険を冒してまで衣川まで逢いに来てくれたこともあるのだ。

 ただ、居てもたっても居られぬというだけで。

 思わず駆け寄ろうとして、躊躇った。

 最後に逢った戦場の光景が過る。

 ……自分はもう、衣川の頃に戻ることはできないのだ。

 茂みから、その姿を現す。

「一加、すぐに逃げろ!」

 一加の元に駆け寄るなり、血相を変えた義家が彼女の肩を掴んで告げた。

「間もなく国府の大攻勢が始まる。詳しくは言えぬ。何も聞かずにすぐに逃げろ。金ケ崎から、奥六郡から、少しでも遠くへ逃げろ。今度こそ――安倍は絶対に勝てぬ!」

 その警告に息を飲みそうになる。

「何を……お言いか?」

 だが一加は相手を冷たく見やりながら答える。

 本当は、真っ先にに駆け寄りたかった。抱きしめてほしかった。

 何よりも、彼が命懸けで伝えてくれた言葉に耳を傾け、身を任せたかった。

「貴様は国府の手の者ではないか。敵の話を只鵜呑みにせよと?」

 一加の肩を揺さぶりながら、必死になって言い聞かせようとする。

 もっと他に話したいことはたくさんあった。なのに。

「一加、頼む後生じゃ! 俺の言う事を聞いてくれ!」

 懇願するように義家が見つめる。

 ああ、こんなに目の前にいて、触れあっているのに、どうして。

「嫌じゃ!」

 義家を突き飛ばし一加は部屋へと駆けこんだ。

「一加?」

 そして、薙刀を掴むと再び庭へ飛び出して義家に向かって構える。

「貴様のことなど忘れたわ! これ以上戯言を申すなら斬り捨てる!」

「……一加、俺はそなたのことを忘れることはできぬ」

「黙れ!」

「……片時も、忘れることはできぬ」

「黙れ!」

「衣川でそなたと出逢ったことを、初めて天女を目の当たりにしたと、笑いあったことを、逢瀬を交わしたことを……忘れることなどできぬ」

「お願い、もう……黙って」

 声を震わせながら、猶も薙刀を構え続ける。

「……嫌われても良い、忘れたというならばそれでも良い。ただ、そなたを失いとうはないのだ」

 これ以上、義家と向き合うのが辛かった。

 言葉を重ねるほどに、どんどん目の前の人が遠くに離れて行ってしまう。

「何事でござるか!」

 慌ただしく髭一達が駆け付けてくる足音が聞こえる。

「一加!」

「……戦が近いと言ったな。では次にお会いするのは戦場か。今度は私から逢いに行きまする。――あなたを殺しに行きまする、御曹司様!」

「曲者か!」

 わらわらと武器を手にした番兵達が駆け寄ってくる。

「――一加」

 義家の頬に涙が伝った。

「……もう、敵としてしかそなたと相見えられぬならば、俺がそなたを討とう。そなたの首、誰の手にも触れさせとうはない。そなたを……誰にも渡したくないのだ。誰であろうと一加を好きにさせて堪るか! 俺が、この手でそなたを殺そう。……俺を殺しに来てくれ。――戦場で待っておるぞ!」

 闇の中へ走り去っていく義家の背中が滲んで見えなくなり、一加はその場に泣き崩れた。

「姫様、大事はござらぬか、あの曲者に、何かされたのではあるまいな?」

 気色ばんで髭一が女主人を抱き起す。

 一加は涙を拭いながら、義家が消えた闇の彼方に、もう一度彼の背中を探した。




 数日後、羽州清原氏が国府に与し、安倍に反旗を翻したという凶報により、五年に亘る束の間の平穏は唐突に終わった。

 そして、この後、陸奥安倍氏に再び平穏な日々が戻ることは遂になかったのである。

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