第2章 阿久利川事件 4


 同年葉月、義家着任の三日後。磐井郡狐禅寺磐井川付近。

 

「なかなか良いところであろう、陸奥の地は。何もないがな!」

 郎従達を従え馬を進める頼義が、後ろを行く義家を振り返り笑いかける。

「風光明媚な山々や美しい北上川の大河があるではございませぬか。良きところにござる」

 満更世辞でもなさそうに義家が答える。お侍様だと声を挙げながら後ろをついてくる小童達に愛想よく手を振りながらニコニコと辺りを見渡す。

「寧ろ、目障り耳障りなものが何もないというのが良い。京の公卿達相手のおべっか仕事には正直うんざりしておりました。何処へ出掛けてもいちいち鼻に障る香の匂いには閉口していたところでござる。やはり野山の木の匂い、土の匂いが俺は一番好きじゃ」

 一行は磐井川を渡り平泉付近を北上していた。道の両脇に延々と広がる田園風景を見れば、やがて実りを迎えるさやけき稲葉の合間からちらほら幼い穂を覗かせ葉の色も黄色味を帯びてきている。まだまだ日差しは強いものの、既に空の色は深く高く、東の方に鱗雲が伸びている。

「のう、十郎よ」

 義家が傍らで手綱を握る従者に声を掛ける。

「ここはまだ安倍の領地ではないのか?」

「この一帯は磐井郡故まだ我ら国府の圏内にございます。尤も、風向き次第ではどう転ぶか判りませぬが」

「風向き次第とは?」

 切れ長の双眸を細め義家が首を傾げる。

「この磐井郷に勢力を持つ金という豪族、安倍の身内にございますれば、事の次第によってはどちらにつくかは風向き次第、という事にございます。加えて、磐井東部は頼時の弟、安倍良昭が小松柵にて周辺の情勢に目を光らせておる。その上、磐井は東に気仙とも隣接している、勢力の拮抗している地にございまする」

「ふむ」

 ちらりと後ろを振り返る。

 先程まで一行の後ろをついて来た子供らが遠くの方でまだこちらに手を振っているのが見えた。

「事の次第ではこの美しい田園も戦場にもなりかねぬ、ということか」

 もう一度子供らに手を振り返しながら義家が呟いた。

「おぬしは鬼切部の合戦を経験したと聞いたが、俘囚らは強いか?」

 主の問いに、元親は重く頷いた。

「鬼のように強うございます。……努々御油断なされませぬよう」



 衣川まであと一里というところで、一行は足を止めた。

「お待ちしておりましたぞ、頼義様! 遠路遥々ご苦労にござる」

 二人揃って慇懃に下馬の礼を示す頼時、宗任親子の恵比寿のような笑顔に、頼義は狐に抓まれたような顔をした。胆沢へ訪問の知らせを送ったのは昨日一昨日のはずである。てっきり泡を食って衣川の館から飛び出してくるものかと思っていたのだが。

「おお、そちらが件の御子息、八幡太郎義家様か! やはりお父上によう似ておられる」

 それは流石に世辞だろう。と頼義以外の全員が思った。頼時親子ほどではないにしろ、義家も父親とは似ても似つかない。

「わざわざのお出迎え、忝うございまする。何卒以後お見知りおき願いたい」

 馬から降り、礼を返す義家に倣い、元親も続けて下馬し低頭する。頼義は何やら不貞腐れた様子でそっぽを向いている。

「では、既に宴の用意が整っておりまする故。僭越ながら先導仕りまする。なに、すぐそこでござる」

 笑顔で先頭を行く安倍父子の後ろを進む一行は、幾らも進まぬうちに驚きに言葉を失うこととなった。

 衣川並木屋敷まで、およそ一里ほど。その道の両側に、完全武装の武者が厳めしく薙刀を捧げ、ずらりと並んでいる。半町毎に左右二人の間隔である。その見事な不動の姿勢を見るに並大抵の練度ではない。よく見れば足元の道も奇麗に掃き清められ小石一つ見当たらない。とても昨日一昨日で準備を進めたとは思えぬ様子である。

(これは父上、してやられたな)

 内心愉快でたまらぬ心持で不機嫌そうな頼義の背中を見やる。どうせ向こうから招待など受けていないだろうとは当初から見抜いていた。

 衣川の城壁が見えてきたところで、「待て!」と頼義が声を上げた。

「どうかなさいましたか?」

 眉を寄せながら歩み寄る宗任に頼義が遠くにちらりと見える城砦へ顎をしゃくって見せる。

「あれが小松柵か」

「いかにも。粗末な砦にはございますが」

「前任の国司から聞いたものとは随分違うぞ」

 じろり、と惚け面の宗任を睨みつける。

「ああ、大分年季が経ちました故雨漏りが酷うございましてな。登任様が上洛された後に建て替えたのでございます」

「ほう、雨漏りの修理で矢倉が二つも増えると申すか」

 冷酷な笑みを浮かべる。

「国府に無断で柵に手を加えるのは大罪じゃ! 知らぬとは申さぬよな」

 鬼の首を取ったように笑う頼義の言葉に、さも驚いた様子で宗任が目を丸くした。

「それはしたり! 某、まことに不勉強でございました。もし大赦の後に手を加えていたとしたら、御仕置を受けていたところでござった。いや、大赦の前に修理を済ませていて良かった良かった」

「こ、この……!」

 流石に吹き出しそうになるのを義家は必死でこらえた。見ると、隣で元親も笑いを堪えている。これでは付け入る隙がない。


 

 広間では既に宴の席が設けられ、頼時の子息達が揃って平伏し一行を迎えた。

「某は頼時二男、貞任にございまする。庶子にございまするゆえ、お出迎えは控えておりました。御曹司殿、何卒お見知りおきを」

 一際大柄な男が低頭する。

 義家の後ろで、元親がハッとしたように息を飲む。

「貴公が……!」

「おや、そちらの御方、依然何処かでお会いしたことがあったかな?」

 ちらりと顔を向ける貞任に、「いや、失礼。人違いにござった」と首を傾げながら元親が頭を下げる。

「あいにく長子は盲目でございましてな、本日は顔を見せておりませぬ」

 座に着いた一同に酒を勧めながら主人が詫びる。続々と運ばれてくる料理の数々に目が回りそうになる。

「そういえば、そなたの娘御は美人と巷で評判らしいではないか。本日は見えておらぬのか」

 酒が入りいくらか機嫌の戻った頼義が尋ねる。そろそろ余興が欲しいところでもあった。

「巷間の噂とやらは寡聞にして存じませぬが、上の娘二人は既に嫁いでおりましてな。歳の離れた下の娘ばかり手元に残っておりまする。わざわざご覧頂くほどの器量でもありませぬが、ご要望とあらば只今呼んでまいりましょう」

 頷いて頼時は雑仕女に命じ呼びに行かせた。


 程なくして、二人の侍女を連れた美しい娘が一同の前に現れた。

 上座の者達が一様にどよめいた。

「これは……」

 流石の頼義も思わず唸る。

 いくら掃いて捨てるほど金の有り余った安倍氏の令嬢とはいえ、流石に俘囚の頭目風情の娘が、都の女房らのような贅を凝らした単衣を重ね、ずるずる裾を引きながら公の場に参上するわけにはいかない。いかにも控えめで簡素な夏衣姿である。しかしその素朴な清楚さは、却って美しい野山を望む深窓の離宮に相応しい。都の美人が庭園に咲き綻ぶ八重の牡丹なら、さしあたりこの美少女は深山の夏風に蕾揺らす可憐な撫子か。すっと涼しく通った柳葉の眉と、意志の強さを感じさせる鋭い一重の眼差しは、都でいう美女の条件には当てはまらぬものの、寧ろそれがこの娘の一番の魅力になっている。

ふ、と勝気に微笑んで見せるところなど、まるで大人を相手に何か危ういことを挑んでいるようで、全員が息を飲んで杯の手を止めた。この人先月胆沢川で釣りしていたお姉ちゃんだよ、と隣で肩を叩かれ耳打ちされたところで、誰も笑って信じないであろう。

「これ倅や、酒が零れておる!」

 ぽう、と銚子を傾けたまま見とれていた、一行の中で一番年若い景季の頭を隣の景通がぴしゃりと叩いた。

「一加と申しまする」

 そう名乗り楚々と低頭する姿もまた可憐である。

(成程、これは評判になるわけじゃ。これから討ち取る相手の娘でなければ、息子の嫁に是非所望したいところだが)

 内心無念を感じつつも満足そうに頼義が頷く。その視界の端で、「よくもまあ分厚くぬたくってきたもんだ」と呟きながら貞任が笑いを噛み殺しているのが見えた。

 一方で、元親の杯を受けながら義家は割と冷めた様子で娘を眺めていた。

(ほう。なかなかに美しい娘じゃ。だが、これくらいの器量なら都にいくらでもいる)

「いやはや、聞きしに勝る麗しい娘御じゃ。ところで、折角自慢の娘御を我らに披露されたのじゃ。ここはひとつ、舞いなど所望したいが、一加とやら、心得はおありかな?」

 上機嫌で尋ねる頼義に、ちらりと頼時が一加を見やるが、任せておけとばかりに娘が頷いた。

「京の華やかな舞いは見たことがありませぬ故、どのようなものか存じませぬが、剣舞でございましたら些か心得がございます。田舎芸能ゆえお目汚しにならぬと良いのですが……」

 戸惑い気に口元に手を遣り目を伏せる妹の様子に、堪え切れず貞任が肩を震わせ畳を叩く。

「おお、剣舞か。それは良い!」

 頼義の腹心、佐伯経範が手を打って喜んだ。

「我ら武家が加わる宴に相応しいではないか。一加殿、是非眼福に預かりたい」

「私が笛を吹きまする」

 蘿蔔が篠笛を取り出して言った。

「私が手拍子を取りまする」

 菘が両手を広げて言った。

「では、恥ずかしながら」

 そう言って扇を取り出した一加は、一同を見回し尋ねた。

「恐れ入りまする。どなたか太刀を貸して頂けぬでしょうか」

「それなら拙者の太刀を使ってくだされ」

 義家が傍らに携えていた自身の太刀を差し出した。

「有難う存じます」

 恭しく受け取った一加が、義家の太刀に深々と一礼し、鞘を払い刀身を目の当たりにして思わず息を飲んだ。

「……なんと美しい」

 後年、「髭切」という恐ろしい銘を持つことになる伝家の名刀の妖しい輝きに、一加は頬を上気させ、うっとりと目を奪われた。

「これ倅や、酒を零すな!」

 ぽう、と手元疎かに見とれていた息子の頭を景通が再びぴしゃりと叩いた。


 やんやの喝采を受け、恐縮しながら剣舞を終えた一加が一同から勧められる杯を年齢を理由に辞退し座に着いた後は、幼い侍女二人の可愛らしい舞いなどを余興に宴が続けられていた。

「やれやれ、剣舞が終われば、後はいつもの宴と変わらぬ」

「外は涼しゅうございますな」

 宴席を中座し中庭に下りた義家と元親が汗を拭いながら手団扇を扇ぐ。

 そういえば、いつの間にか、あの娘も宴席から姿を消していた。

「もう主賓がおらずとも大丈夫だろう。十郎よ、俺は暫し散歩に出る故、悪いが父上にはうまく取り繕っていてくれ」

「では某も御伴致す」

「いや、それには及ばぬ。しばらく一人で涼みたいのだ」

 主の言葉に、元親が表情を曇らせる。

「ここは俘囚の地でござる。くれぐれもご油断なきよう。あまり館の外へは行かれませぬよう。安倍に要らぬ勘繰りを受けるかもしれませぬ」

「判っておる。心配無用じゃ」

 そう言ってひらひらと手を振りながら義家は中庭から外に出た。



「貴公も夕涼みかな?」

 濡れ縁に腰を下ろし中庭の池を見つめる元親に小柄な男が話しかけてきた。

「この池には魚が沢山泳いでおります。それを眺めておりました」

「生簀替わりじゃ。本日の宴の肴にも何匹か上った。何でも都の庭園では池に魚は御法度らしいの。何故かは知らぬが」

「水鏡に映る庭園の景色を楽しむために池を拵えるのだそうです。魚は水面を乱しますので」

「ほう。都人は妙なことを面白がるものじゃのう」

 元親に勧められ隣に腰を下ろす。

 長い髪を髷に結うでもなく項で適当に紐でまとめている。それ以外特徴のない、印象の薄い男である。言葉の割には年若く見えるが、実際のところはどうか。年齢不詳というほかない。

「拙者は重任と申す。貞任兄の同腹の弟じゃ」

 そう名乗る男の腰に帯びる刀に、元親は先程から注意を引かれていた。

「この刀が気になるか?」

 元親の視線に気づいた重任が、鞘を払った刀を差し出した。

「この刀――!」

 紛れもない。鬼切部で立ち合った漆部利と名乗る男が振るっていたものと同じ形のものである。

「これは嘗てこの地を跋扈していた蝦夷の戦士、阿弖流為の配下達が携えていた物じゃ。この刀を用いて、倭の侵略者共を、散々に血祭りに挙げたと伝えられておる」

 さして誇らしげでもなく、淡々と重任が語る。

「この地では今でもありふれたものなのですか?」

「さてな。今ではこの刀を打つ技が途絶えてしまった故、新たなものは出回ってはおらぬが、なにしろここは蝦夷の地。戦士の子孫が祖先への想いと共に代々伝え祀っておることもあるだろうて。この刀も、我が母方の祖先から受け継いだものじゃ。……この刀を所望か? 悪いが、これはやれぬぞ」

 冗談めかして男が笑う。

「それより、拙者も貴公の太刀が先程から気になってならぬ。一寸見せてはくれぬか?」

 重任に太刀を返し、代わりに自分の太刀を鞘ごと手渡す。

「ほう」

 鞘を払い、抜身の刀身を西日に翳し、しげしげと眺めていた重任が溜息を吐く。

「月山の綾杉肌。出羽の作か。未だ見ぬ新しい技よな。舞草の鋼を鍛えたか。これなら流石の蕨刀の斬撃も容易に弾き返すだろう。――良い太刀を持っているな」

 ぶつぶつと呟きながら元親を見やる。

「貴公、この刀はどこで手に入れた? 最初から貴公のものか?」

「いや、これは四年前の戦で死んだ友の形見でござる。下総の生まれと聞いたが」

 相手の質問の意図が判らず、訝しみながら答える元親を他所に、重任は納得顔で一人頷いている。

「四年前の戦。鬼切部か。では、やはりこれで間違いないのう。……いや、眼福であった。友の形見とは。大切になされよ」

 元親に刀を返すと、重任はおもむろに立ち上がった。

「そろそろ宴に戻られよ。わが父と陸奥守殿が二人揃って管を巻き始めて皆閉口しておったぞ。誰か素面の者が止めに入らねば」 

「はは。それを聞くと戻りたくないのう。では失礼いたす」

 頷いて席を立つ元親の後ろ姿を見送りながら、重任はク、と唇を歪めた。


「……そうか、死んでいたか。一人殺し損ねたわ。――ヒャハ!」

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