第16話 お相手さん

「俺も会わして」などと言っておいて結局部活顧問助手だかなんかが忙しいらしく土曜の昼下がり、前回と同じその喫茶店に誠司の姿はどこにもなかった。まあそうであってよね。だいたい兄妹でもないのにお見合い相手に会うなんて、絶対おかしいからな。


 喫茶店のドアを抜けると「柏木さーん」と店の奥から声がした。見るとああそうそう、こんな顔やったわ、と思い出す。


 今日は前回よりいくらか緊張も解れた様子のお相手さん、沖野おきのさんは「なに頼まれます?」とどこか懐っこく訊ねてきた。


「ああ、じゃあブレンドで」


 ほんまは普通のコーヒーってそんなに好きやない。しゃあなしに飲むにしてもミルクもお砂糖もどばどば入れたいタイプやけど、今は我慢。だってそんな風に見られたくないから。お子様こちゃまに、思われたくないから。


「なら僕も同じものを」


 微笑んで店員さんに注文をすると沖野さんは「いやあ」と改まって落ち着きなくおしぼりで手や口もとを拭った。


「早速なんですけどね、あのう、まず、呼び方を変えさせてもらってもええかな、ち思いまして。ああもちろん、まだ早い、ち仰るんであれば、まだいいんです、ゆっくりで」


「え……と」

 そういえば今なんて呼ばれよったっけか。


「具体的には」

 訊ねると相手は少し恥ずかしそうに「できれば、下の名前で」と控えめに申し出た。


「ああ、そんなことなら、全然気になさらんと呼んでください。『真知』でもなんでも」


 言うと喜びながら驚いて「いやあさすがにいきなり呼び捨ては」と恐縮された。


「いいんですよ、年上なんやし、敬語も外してもらって。その方が堅苦しさもなくなりますし」


 愛想笑いは仕事で鍛えた。沖野さんは恐縮しつつも「なら……『真知ちゃん』ちて呼ばしてもろても、……ええんかな」と照れた顔を見せた。呼ばれて少し、ぞくりとしたんは、気のせい、気のせいでしょ?


「もちろんええですよ」


 こちらの敬語はなかなか抜けそうにない。たぶん、一生。だってこのお相手さんは十個以上も上なんよ? タメ口利くなんて絶対無理よ。


「あ、そうそう。今日はお聞きしたいことをいくつかまとめてきたんです」


 気を取り直してそう切り出した。内容はもちろん、この間誠司に指摘されたあの質問。悔しいけど、大事なことに違いないし。沖野さんは「ああ、なんでも聞いて」とすっかり機嫌を良くして微笑んでいた。


「お酒やタバコはされますか?」

「なるほど。そういう質問ちわけか」


 うんうん、と頷いて「昔はしたけど、最近はせんかな」と少しぼかした感じに答えた。ふむ……。


「ギャンブルは?」

「いやいや、そういうんは僕はせんよ」


 納得できるような、疑わしいような。でも嘘はなさそう。そう信じたい。


「趣味は」

「うはは。急にお見合いっぽいなあ」


 笑われて恥ずかしい。気を取り直して、質問し直す。


「集めよるもんとか、好きなもんとか、あります?」

「ああなるほど、『お金の使い道』ちいうわけか」


 立てられた人差し指は太く短めやった。楽器演奏には不向きかも、なんて関係ないことを思う。


「そうやなあ、最近はお見合いが趣味みたいんなってまって」


 そう言って頭を掻くから「えっ」と反応した。「どのくらい、なさってきたんですか?」半分は興味本位やった。


 沖野さんは少し「ああまずいな」という風な表情をしてから「まあ、多少」と下手にぼかして答えた。


「多少……」

 ピンと来ずに繰り返す。すると「いやあ」と笑って白状してくれた。


「真知ちゃんで、ちょうど二十人目です」


 大きな声を出しかけて慌てて両手で口を押さえた。にっ、二十人!? なんで、どうやったらそんなことに!?


「みんな、ええ子ばっかりじゃった。けど何回か会ううちに『やっぱりごめんなさい』ちて去ってくんよ。なにが悪かったか教えてくれ、ち言うても『あなたは悪くない』ちて、みんな言うんはそればっか」


「はあ……」

 原因不明……?


「けどこの前、十九人目の子にしつこく聞いてみたら、やっと教えてくれたんよ」


 相手はまっすぐこちらを見ていた。


「……それは、なんですか?」


 先生に訊ねる生徒のような気持ちになった。沖野さんはうん、と頷くとゆっくりと話した。


「『いい人すぎる』ちて」


「え……?」


 それは長所やないん? たしかに誠司みたいな最低カスが謎にモテたりすんのは見てきたけど、お見合いじゃわけが違うよ。結婚相手なんやもん、『いい人』で良くないはずないよ。


「真知ちゃんは、……正直には僕のこと、どう思う?」


「えっ……」


 突然まっすぐにそんなことを訊ねられても困る。けど相手はじっと答えを待ってくれていた。私の答えを……。


 その瞬間、真剣に考えた。この人と結婚したら。この人と、お店に立つ。この人の食事を作って、この人の服を洗濯する。この人の身につける物を選んであげて、この人と一緒に眠る……。くっついて、服を、脱いで……。


「……真知ちゃん? どないした?」


 顔がかんかんに熱うなって、なんでか涙まで溢れていた。


「あ……わ、……ご、ごめんなさい」


 慌てて差し出されたハンカチは先程までお相手さんが額の汗を拭っていたもので、とてもやないけど受け取ることはできんかった。失礼やけど……触ることすらもできんかった。


「また……連絡しますっ!」


 なんとかそう言って勢いよく頭を下げると、逃げるように喫茶店を飛び出した。



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