第3話 おまえのではない

 それは翌朝のこと。


「答え……聞かしてくれる?」


 『しつこそう』とはよく見抜いたな。などと誠司を褒めよる場合ではない。私は昨日と同じ場所に、同じ相手、掛井かけいくんと対峙していた。


「……その」


 言葉を探して目を泳がせた。なんと言うたら傷つけずに済む? そして傷付かずに済む? 経験のほぼない私には難題すぎた。


「じゃ、一回デートしようや。一回だけ。えっと日曜ひま? 駅前でさ、十一時くらいに待ち合わせして──」

「ちょ、ちょ、待って!」


 必死なのは、わかる。もしかしたら誰かに入れ知恵されてそういうゴリ押し作戦を教わったんかもしれん。けど、なんというか、ごめんなさい。私、無理です、そういうの。これ以上流されてはあかん、と慌ててその続きを制した。


「あの。私、付き合えん」


 ごめん、と言おうとしたところでがばっと抱きしめられて仰天した。ひいい、なんで!? むりむりむり!


「……ちょっとずつでええし」

 ど、どこが『ちょっとずつ』ですやろか!?


「あの、や、放して……」

「放さへんよ」

「いや、えと……」

 あかん無理。むりむりむり。


「『付き合う』言うなら放す」

 ひいいいい、なんコイツ──!



「ぷふ。なーにしよるん、おまえら」


「!?」


 そんな絶妙なタイミングがたまたまなわけがない。このクズ野郎はずっと見てたんよ。困る私を指さしてクツクツ笑って見物してたんよ。絶対そう! アホ! 最低!


「く……久原くはら先輩っ、なんでここに!?」


 掛井くんは小さく叫ぶようにそう言いながら慌てて私から飛び退いた。ああ……息ができる。


「引退しよったって部活来てもええじゃろが。文句あんの? は?」


 あからさまに敵意剥き出しな態度は私としてもやめてほしい。ただでさえおっかない風貌やのに、小さい子が見たら泣くわ。


「そ、そうやないですけど……」


 相手は途端に気が萎んだようで見た目もいくらか小さく見えた。気の毒に。理由はほかでもない、この久原 誠司という先輩が見た目通りのおっかない不良で、その上、私らの部活のという謎に最強な位置におる奴やから。こうなるともう目の前のこの子が可哀想になる。


「いっこ教えとこか」


 得意らしい蔑む目を受けて更にいくらか縮まる掛井くん。今度は何を言うつもりか。嫌な予感がした……。


「柏木 真知は俺の女やで」


「えっ……」


 は? なにって?


 掛井くんは頬をぴくりと引き攣らせてからそろりと私の顔を見て、その場からゆっくりと離れ始めた。そして「ああーっと……」と硬い笑顔を見せると「嘘。うそうそ。嘘でした、ドッキリ。ドッキリ、大成功! ……失礼しましたっ!」と謎なことを連発してびゅん、と頭を下げてから一目散に走り去っていった。


 『嘘』とはなんや。


 その場に取り残された私を見てにやりと笑う最低野郎を睨んだ。「……誰の女て?」一応確認をしておきたい。


「一緒にねんねした仲やん」

「幼稚園の頃の話じゃろ!」

「裸も見たで。風呂も入った」

「だからそれも幼稚園!」


 まぎらわしい言い方をすな!


「それより俺に言うことあるん違うん?」

「えっ……」


 不良はにやりと笑ってこちらに期待の眼差しを向けよる。く。


「べつに……困ってなんなかったわ」


 苦し紛れにそう返した。すると相手は予想通りやったらしく嬉しそうに「ほおー? 泣きそうに見えたけどなあ」とニヤニヤしながら返してくる。


「誰がっ! ちうか見てたん」「おっと電話じゃ」


 会話の途中でも構わず出る。しかも相手はどうやら女の人らしくキモい声で「ナナちゃん好き」やの「会いたい」やの恥じらいもなく言いよるからアホらしくなってさっさとその場を離れた。しかも今の彼女は芹那ちゃんちゃったんか。はあ、あかん、穢れる。


 だいたい助けるにしてもあんな言い方はない。あれでは私と誠司が付き合いよると誤解されるしそんな噂が広まったら今後彼氏のひとりも出来んわよ、もうっ!


 心の中が大荒れに荒れて一日中イライラして過ごしてしまった。全部あいつのせい。なんなんよ、もう。大好きなはずの部活の時間も結局その影響が続いて演奏も態度も珍しく荒れて、近くにいた後輩たちをビクつかせてしまった。


「ど、どうかしたんですか、真知先輩」

「はあ……なんでもないんよ」


 言いながらやっぱり今日はもうあかん、と自主練は休むことにしてクラリネットを片付けて早々に校舎を出た。真冬の夕方の空気に身が縮まる。白い息を吐きながら毛糸のマフラーに顔の下半分を埋めて、眩しい夕日に向かって力いっぱい自転車のペダルを漕いだ。

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