戻るべき場所

(……帰ってきた)

 無人タクシーが通い慣れた道をかき分ける。

 その窓の景色に、梓真はようやく“現実”にいる自分を感じた。

 この場所をはるか上空から見下ろしていたのは、ほんの六時間前。それは拡大した衛星画像のような、あるいはジオラマのような現実感のない箱庭の景色だった。

 それよりさらに前のできごとは、もう、遠い過去の記憶となっている。

 オルターキラー、SC、フェイカー、赤い悪魔、玲亜とスピカ、それに――理緒と歩いた無人の野。

 それらすべてが幻のよう……

 ポボスの背中を追って、休憩を挟みながら丸一日歩き詰めた翌朝、棒のようになった梓真の足は、動くことを拒絶した。

 いまだ通信は繋がらない。

 梓真はなおも進もうとする理緒に逆らって足を止め、色を取り戻しつつある荒野を呆然と見渡した。

 そこに、絶叫が飛び込む。

「空に何か見える! ほら! あそこ!」

 ギラギラの朝日が空の機影を浮かび上がらせていた。

『怪我はありませんこと!? 大丈夫なんですの!?』

「……ああ!!」

 こちらに近づき、下降してくるヘリコプター。風とともに夕乃の気遣いが大音量で降りかかる。

 理緒に支えられている梓真の姿は、彼女の目にどう映っているだろう。

(体裁を気にしてもしょうがねえか……)

 彼にとって深刻なのは怪我のほうじゃない。

 そのまま理緒に肩を借り、強烈なダウンウォッシュを進む。

 すると――

「おい……いや……」

 着陸した胴長のヘリから二体のオルターが降り立ち、梓真をかついで担架に拘束する。

「そこまでじゃねえよ!」

 大小二体のオルターは聞く耳をもたない。舞い散る砂の中、そのまま運搬作業を続ける。

 ようやくして、無理矢理着けられたヘッドセットから聞き慣れた声が返った。

『……そうですか。それならふつうにイスに座っていただきますわ』

 オルター二体の動きが止まる。判断に迷っているようだ。

 夕乃もまた、ヘリから降りて見下ろすように立っていた。

『かまいませんわ。そこまでおっしゃるんですもの、自己責任ですわよね?』

「ふん」

「でも、夕乃さんが探しに来てくれるなんて」

『そりゃあ、かわいい後輩のためですから』

 夕乃“先輩”は声色をころりと変えて理緒にほほえんだ。

 ヘリコプターが飛び立ち一息つくと、機内では、隣り合わせに座った夕乃と理緒のおしゃべりが始まる。

 梓真は丁寧に無視された。不満はないが退屈だ。目線はぼんやり、初体験のヘリの内部を漂って、夕乃の装備で止まった。

 仕立ては規正のレスキュー服だが、寸法の詰まった服は厚みばかりが強調されて、どこかのゆるキャラのようになってしまっている。……かわいい。

 しかし梓真の感想は違った。

(こんなミニサイズは存在しねえだろ。オーダーメイドなのか? 金持ちは違うな)

 その間もヘッドセット越しの女子トークは続いている。

「普段はわたくしのボディーガードも務めていますのよ」

「え? メティスなんですか? 彼女が?」

 向かいの理緒が、梓真の隣の女性型オルターをのぞき込む。

 “メティス”は薄い笑みを返した。

 明るい髪色に大人びた顔立ちが背の低さとアンバランスだ。そういう意味では夕乃に似ている。身代わりも兼ねているのかもしれない。

「えっと、でも……」

「試合のアレは装甲服着用時。普段はこの姿ですの」

「それって、性能的には劣ってしまうことになるんじゃないですか?」

「そういうコンセプトなんですの。お継父さまは、ただ試合に勝つことを目的にしているのではなくって……」

 梓真も話に聞き入り、いつか関心をメティスに寄せていた。と、突然に視線を返され、あわてて目をそらす。

(隣に座らせたのは、夕乃の嫌がらせなんだろうな)

 メティスも面白がっているのだろうか。表情に微妙な変化があった。

(……なんてお気楽なんだ……)

 思わず長い息を吐き出す。

 漂う空気は、おだやかで軽い。つい先ほどまで死線をさまよっていたのに――。

 この乗り物はもうすぐ梓真を“人の世界”へと送り届けてくれる。緊張もほどけるというもの。

 それでもやはり、会話に加わる気にはなれない。

 夕乃がわからなかった。それに自分自身の心も。

 あれほど敵対していた自分をどうして救援へ来たのだろう。

 絶望の極みから差し伸べられた救いと、その反動で生まれた究極の幸福状態。その勢いのまま、彼女に感謝してしまっていいものなのか。

 ぐるぐるとする脳内のもどかしさに、現実の会話が加わる。

 これは神木の会社が所有している一機で、近場の機体はすべて救助に当てたとのこと。

 神木は、何を考えてそんな指示を出したのだろう。

 息子の友達の命が掛かっているから? 見捨てた後ろめたさからか?

 ……輝矢が懇願したに違いない。

(間違っても夕乃じゃねえな……)

 ふと、足下の窓に見慣れた建物を見つける。ヘリは、すでに星川市に到達していたようだ。

(人の世界、か……)

 梓真は沈黙を解いた。

「どこに向かってるんだ?」

「病院」

 夕乃の返答は素っ気なかった。

「病院? 直接か? まさか、小野先生のとこじゃねえよな!?」

「この町でヘリポートのある病院はあそこしかありませんわ。何かご不満でも?」

「……」

 考えてみれば、どんなルートをたどろうとも最終的なゴールは変わらない。この機体が別のどこに着陸し、一時的に別の病院に収容されたとしても、いずれ小野先生の下へと送られるだろう。

「太丸さん、燃料は保ちますのよね?」

「はい」

 乾いた声は操縦席の太丸龍樹たまるたつきだ。副操縦席には長身の女性型オルターが着いていた。あれが普段のアマルテア?

「そこで検査と……軍の尋問が待っておりますわ」

「尋、問……」

 ころころと夕乃が笑った。

 それを太丸がたしなめる。

「お嬢様、事情聴取です」

「あら、そうだったかしら」

「……加瀬くん、別に怖がることはない。見聞きしたことをありのまま答えればいいだけだ」

 神木の腹心にして社の重役。SC第一回目から操縦士も務めている。神木と同じ軍人上がりとは知っていたが、ヘリの操縦までこなせるとは。

 その愛想のない声色の中に、“お嬢様”に対してと同様、暖かみが潜んでいるのを梓真は感じた。

「聴取は、わたしも含め、大会出場者全員に行われている。君たちだけが特別というわけではない」

「そう……ですか」

 ほっとする梓真。

 だがすぐに別の懸念が湧き上がる。

「おい! 待て待て待て!!」

「なんです、クソやかま……大声にも限度がありますわ!」

「マジイだろ……」

「だから、なんですの?」

 梓真は太丸を指すと、夕乃にはジェスチャーでヘッドフォンを叩いた。

「太丸さん。しばらくあなたの通信をオフにしてくださいません?」

 短い返答のあと、太丸の手がヘッドセットのスイッチに触れた。ヘリ内部には相変わらずクソやかましいローター音が鳴り響いているので、話を聞かれる心配はない。

「それで?」

「先生に、理緒の正体がばれる」

「それは――」

「そんな気遣いは無意味よ」

「理緒……! なんで?」

「……小野先生がわたしの保護者だから」

「なん……そりゃ……」

 理緒の顔からは、表情というものが消えていた。まるで機械のように……。

「あなたの家に来るまで、あそこから通学してたの。もちろん、わたしの正体も知ってる」

「……」

 その意味を考える間もなく、ヘリは白い建物の上空に迫りつつあった。屋上の大きなマルHの脇に、いくつかの人影も見える。

(あれ、小野先生だよな……)

 まだなんとなくの風貌がわかる程度の距離でしかないが、梓真にはわかった。

 小野医師は奇妙な癖の持ち主で、怒れば怒るほど、怒りをためるほど、顔が柔和に――笑い顔になっていく。怒りの度合いに応じて、細い目と額や頬のしわが寄り合わさるのだ。

 そして叱る時、たしなめる時は口数が増えるが、心の底から憤慨すると極端な無口となる。

 着陸後、予感は的中した。

「君はこっちだ」

 追おうとする梓真を小野先生は太く短い腕で掴み、そう言った。

 その間にも、理緒は白衣の男と二体の看護オルターに連れられ、階段へ消えてゆく。

 振り向きもしない。

「……」

 反発する道理はどこにもなかった。梓真も連れられるまま、エレベーターに乗る。

 院長自らの入念な検査と治療。それが済んで、待ちかまえていたのは件の事情聴取だ。

 うんざりするほどの時間の中で、梓真は包み隠さずすべてを暴露した。少なくとも本人はそのつもりでいたのだが――

「ブラフマン……千億の、個……?」

 跳ね上がる語尾に目尻の皺。“フェイカー”の正体についての説明のくだりで、女性調査官の態度があからさまに変わった。疑っているのか、小馬鹿にしているのかはわからない。

(無理もねえ、よな)

 “独力で構築した地球規模の人工知能ネットワーク”

 “統一されたAIと、そこから芽生えた自我”

 自分が見聞きしたのでなければ、梓真だって信じないだろう。

 いや――と梓真はそれを否定する。

 梓真自身、信じているわけではない。それこそフェイク、騙されていた可能性もある。

 だがいずれ理緒の供述とすり合わせるはず。そのまま答えるしかない。彼女にこそ嘘を吐く理由がないのだから。

(それとも、俺の記憶がおかしいのか……)

 そう、幻だ――

 梓真はとうとう自分を疑い始めた。

 けれど記憶こそが人のよりどころだ。嘘偽りなく話すと決めた以上、記憶にある嘘のような真実を初対面の調査官にも語るしかない。

 信じるかどうかは彼らの問題だ。

 三度同じ話を繰り返したのち、梓真は退出を許された。苦痛の時間はこれで終わりと信じたい。

 ……やっと、輝矢に会える。

 検査と治療の結果、梓真の両手と右足には関節をフレームで支える補助具が装着されていた。強化服の簡易版のようなものだ。通常、補助具の操作は脳波走査、神経走査、完全自動式の三つがあるが、これはそのハイブリッド型だった。梓真の不安定な指令を三つの手段で補っている。

 その動作は良好で、梓真はまっしぐらに輝矢の病室へ向かった。

 ところが――

「お帰りあっくん!」

 開けたドアから真っ先に出迎えたのはまこ先生だった。密着する彼女を、梓真はすんでのところで留める。

「ちょっと、せっかくの再会なのにぃ!」

「……こういう派手なのは、奥ゆかしさがモットーの……日本人に……」

「古いよあっくん、平成生まれの人でもそんなこと言わないよ」

「とにかく離れ……ろ」

「ぶー」

 押し戻された先生の頬が膨らんだ。そのわざとらしい仕草がかわいく、可笑しかった。

 けが一つない姿に梓真はほっとしたが、よく見ると、その目には涙を湛えている。

「あー……心配かけたみたいで……」

「ホントよ、もう」

 そっぽを向くと、髪がふわふわに揺れた。そこで会話が途切れてしまう。

 すると、

「先生」

 ベッドから声がかかる。

「え? あ、うん」

「何か用事があったんじゃありませんか?」

「あ、そうそう。行かなきゃいけないんだった」

 梓真と入れ替わりに真琴は戸口をくぐる。

「じゃ、あっくん、ハグはまたあとでね」

「しねえよ」

 ふわふわ髪が廊下にたなびき消えるのを見届け、梓真はドアを閉め、部屋の真ん中に向き直った。

「輝矢……」

「やあ、お帰り」

「……」

 なつかしさが込み上げる。なぜだろう? それほど長く離れていたわけでもないのに……

 足は自然に窓際へと向かう。ベッドの脇には先生の置き土産のイスもあったが、座るのはもううんざりだった。

 痛むお尻を壁に当て、窓の枠に肘をかけると、背中に季節はずれの涼やかな風が流れる。

 輝矢も体を起こし、スリッパに足を突っ込む。

「起きていいのか」

「寝てたってねえ、変わんないよ」

 輝矢は梓真の隣りで外を覗き込んだ。その顔は輝くように白い。

「……で、どうなんだ?」

「んー……」

 輝矢は体をくるりと返し、梓真と向きを合わせる。

「明日、手術する」

「……」

「ほら、そんな顔する」

 はにかむ顔で輝矢は続ける。

「梓真のせいじゃない。梓真にはなんの責任もないから。これはぜんぶ僕の決めたことなんだ」

 まこ先生の不自然な様子に覚悟を決めたつもりでいた。だが、その言い回しは梓真をより深い不安に駆り立てる。

「……転移があったのか?」

「場所的に、その可能性は低い、らしいよ。……体質なんだね、きっと」

「……」

「手術はね、一年以上前から決まってたんだ。放射線治療はほとんど効果がなかった」

「……すぐ、手術しなかったのは?」

「…………移植する臓器の準備ができていなかったんだ」

 輝矢は少し言いよどみ、梓真もそれに引きずられた。

「……治る……んだよな」

「命は助かる――それは保証してくれた。でも、元通りの……今の僕にはなれない」

 白い横顔に陰りが差す。

「この一年、ずっと治療してたのか? もしかして、毎日ここに通ってたんじゃ……」

「……」

「そうなんだな」

 小さくうなずく。

「早引けの日は、特別な検査と治療のある時……」

「部活なんかやらねえで……SCなんか出ずに治療に専念してたら、こんなひどくならなかったんじゃねえのか?」

「梓真……」

「……本当はもっと早く、手術できたんじゃねえのかよ!?」

「梓真は、いろいろ気を回すね」

「……やっぱ、出場するために遅らせたんだな。そうなんだろ?」

「言ったでしょ。梓真が責任を感じることじゃない」

「……責任、てえか……」

「僕はね、この一年、誰のためでもない、僕自身のために行動してきた。なんの後悔もないよ」

「……」

「サッカー選手とか、ピアニストとか、子供の無邪気な夢さ。ほんの一握りの、選ばれた者だけに許される……。それでも、僕は……」

 梓真は初めて会った無気力な輝矢を思い出していた。

 身体に人工物を入れた者は健常者を上回る能力を身につけたとみなされ、プロのスポーツ選手や演奏家になる資格を剥奪される。

 輝矢の夢は、叶えるはるか手前で否定をされた。

「SCじゃ、代わりになんねえだろ」

「そんなことより……」

 もう、この話は終わりにしたいらしい。

「……あれ、どうなるんだろ?」

「あれ?」

「僕たちの優勝さ」

「さあ、千……フェイカーに水を差されちまったからな」

 病院をたらい回しにされながら、梓真は隙を見つけて端末を叩いた。運営委員会では現在、今大会を認めるかどうかで紛糾している。言うまでもなく、結末を千億の個に台無しにされたためだ。投稿欄には“試合そのものに介入があった”だの、“最初からヤラセだった”などと、真偽不明な書き込みも多くあり、そのためか委員会は結論を先送りにしていた。

 もしかしたら無効、あるいは再試合、最悪なら今後一切の大会中止もありえるらしい。

 もっとも、梓真にとっては優勝かどうかより、その特典“未来デザイナーズ会議”への参加資格のほうが気がかりだったが。

 父に、妹に会える――それだけを目的に戦ってきた、のに――

 それを知ってかどうか、輝矢はその件に触れない。

「梓真。梓真は、あの神木幸照に土をつけたんだ。もっと誇っていいんだよ」

「……そうか、な……」

「そうさ。僕も十分満足してる。お釣りがくるくらいさ」

「……」

「それにね、梓真……」

「うん?」

「本当は、なんでも良かったんだ」

「んなこったろうと思った」

 梓真は顔に自虐の笑みを浮かべる。

「待って、誤解。話は最後まで聞く」

「んだよ?」

「……思い出が欲しかったんだ。一生、忘れられないような」

「……」

 思い出――

 梓真が口にしたら赤面しそうなセリフだが、彼の顔には、照れや恥じらいが微塵もなかった。

「だから、梓真には感謝してる。責任なんて感じてほしくない。だって……」

 うつむく輝矢。その目に瞬間、ほの暗い光が宿った。

「今日より先のことなんて、僕にはどうでもいいんだ」

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