それぞれの決断

 放置されたことに不満はない。むしろ好都合だ。神木の言葉が喉元に詰まり、飲み込めずにいる。それをどうにかしたかった。

 だが無情にも期待は裏切られ、早々に次の訪問者が姿を見せる。

「いやあ、声が聞こえたんでねえ。元気そうで安心しました」

「……先生」

 入ってきたたのは白衣の男。四角い顔に四角い体、頭に混じった白いもの、顔に入った深いしわは、中年よりは壮年に近い。梓真と輝矢、二人を幼い頃から診てきた小野院長だ。

 驚きはなかった。近隣の病院らしい病院といえば、この先生のところしかない。

「まったく、診察に来なさいとは言いましたが、こんな形で来るとはねえ」

 梓真は一言もない。

「気分はどうですか?」

「体中いてえ。……特に左腕……」

 先生は大きなため息を吐いた。

「左の肩の脱臼と骨折が三カ所、全身に打撲。いったい何をやったんだか」

 梓真は無言で左肩を押さえた。ギブスはかなり強く固められている。

「顔と手のやけどは大したことありません。ですが……」

「……なんですか?」

「右手、出してもらえません?」

 梓真は素直に従う。先生は、それをじっくりと眺めながら言った。

「吐き気とか、そういうのないですか?」

「いや……痛くてだるい、そんだけです」

「……怠いってのが気になりますが。まあ疲労のせいもあるんでしょ」

「それで、なんなんですか?」

「頭に影があるんですよ」

 さりげないひとことが梓真を不安にさせた。頭に影――つまり、脳のどこかに異変があるのだ。

「それは……今日できたんですか? それともずっと前から……」

 ぎゅっと、医師の口角が引き下がる。

「そういうことがあるから定期的に来なさいと言ってるんですよ」

「……すいません」

「九時から検査ですから、とりあえず体を休めて。わたしも一眠りします。ふぁ……」

 先生の口からあくびがこぼれる。今はいったい何時なのだろう?

「あの!」

 引き上げかけた小野医師を、梓真の声が引き留める。

「輝矢の父親のこと……は……」

「ああ、たまにね、お母さんと一緒にいらしてましたよ」

「……」

 言葉に詰まる梓真の姿に、医師は、輝矢の残したパイプイスに腰を落ち着けた。

「あの人の言ってたことで悩んでるんですねえ」

「……盗み聞き、ですか?」

 梓真が呆れ顔を向けると、彼も厳格な院長先生の仮面を捨て、お茶目な素顔をさらけ出した。

「いやあ、入るに入れなくて困りました。……それで、梓真くんとしてはどうしようと?」

「……輝矢の体のことを考えたら、しょうがねえのかって。……アイツって、そんなに悪いんですか?」

「あなたたちのやってることは、医者としてはお勧めしません。でもね、病気を理由に何もしない人生っていうのも、味気ないもんです」

「……じゃあ、やってもかまわない?」

「いや、そうまでは言ってませんよ。まず責任を負っているのは親御さんだし、もし輝矢くんがその言いつけに従うと決めたなら、その意思も大事にしてあげないと」

 梓真の勇み足を小野医師はたしなめる。

「なんか、ズリぃな、先生」

 先生の細い目が、さらにつぶれてしわと化す。

「わたしに子供はいませんが、彼の……神木氏の気持ちもわかるんですよ。長いことあなたたちを見てきましたからねえ」

「……」

「まだ時間はあるんでしょ? もう少し考えてみてください。わたしはもう失礼しないと。あなたにもね、お客さんが来てるんです」

「客?」

「もういいですよ、お入りください」

 現れたのは母、陽子だった。

「じゃあお大事に」

 声は梓真に届かなかった。強すぎる抱擁に堪えていたからだ。

「かあ……さん……。あ、の……」

「あなたは……まったくもう。……やっと、やっと瑞希ちゃんが帰ってきたのに……あなたがどうにかなちゃったら……」

「……」


 疲れからか、早くに取った休憩のためか、まぶたはまるで重くならなかった。

 白々と明ける空を窓のカーテンが映していたが、なんの感慨もない。

 ズキズキする腕のせいもある。だがそれ以上に昨夜のできごとが静かに興奮させていた。

 クレイとヴェル、オルターキラー、ポボスに、輝矢と神木幸照、母、そして……何よりマルス。

 理緒はどこに行ったのか。

 昨日までの自分から失ったものを差し引いてようやく出した結論に、梓真は立ち上がる決意を固める。

 枕元のイスには、壁にもたれて寝息を立てる母がいた。梓真はなるべく静かにベッドを降り、靴を探して病室の扉を開く。と――

「どこに行くの?」

 心地よい声に梓真の心は解放される。

 無事だった、また会えた――

 けれど、それをそのまま口にはできない。

「……見逃してくれ」

「ムリ」

 行く手に彼女が立ちふさがった。

「そんな体で何するのよ?」

「一刻を争う」

 すり抜ける梓真の肩に、理緒の手が掛かる。

「今のあなたがわたしに敵うと思う?」

「放せよ……」

「だから、どこ行くのよ?!」

「トイレだ!」

 沈黙のあと、理緒の顔が真っ赤に染まった。

「ば……ばばばば、ばっかじゃないの!」

「馬鹿はおまえだ。いいから放せ」

「……わか――」

「いや、邪魔した罰だ。トイレまで送ってもらおうか。中までな」

 さすがの理緒も、そんなマネはできないだろう。そうやって彼女の目を盗み、逃亡する――そのつもりだった。

 ところが理緒の辞書には恥じらいの項がないらしく、梓真の策は完全な失敗に終わる。

「それで、次はどうするの?」

「……もういい。出てけ」

「あなたが言い出したことでしょ」

「じゃあ、その馬鹿力で背中を支えてろ」

「遠慮しなくいいってば。……ほうらっ」

 理緒は一息で下半身をモロ出しにした。

「わわっ! 何しやがる!?」

「次は? 摘む?」

「冗談じゃねえっ! 向こう向いてろっ!」

「何よ。勝手なんだから」

「ったく、どんなプレイだよ……」

 梓真は恥ずかしさをこらえて悪態をいた。

「……」

「……」

「……ねえ、まだ?」

「……話しかけんなっ!」

 萎みかけていたモノが、理緒の声でまたもhappyなことに。そもそもさほど尿意もないので、気張るとかえって膨らんでしまうのだ。

 やっとのことで済ませた梓真は、手を洗いながら鏡の理緒に話しかけた。

「なあ、母さんの様子を見てきてくれねえか?」

「うん、わかった……って、引っかかるわけないでしょ!」

「ち」

「あんたなんかに騙されるのは、オルターキラーくらいのもんよ」

「おまえだって……ま、いいか」

「やっぱり、出て行こうとしてたのね」

「……そうだ」

 梓真はペーパータオルをくずかごに捨てると、病室とは逆方向に足を向ける。

「だめよ」

 無事な方の腕を理緒が掴む。

「一刻を争うってのは嘘じゃねえ。とっとと戻って、マルスを直さねえと」

「無理よ」

「無理じゃねえ」

「絶対無理。わたしでもわかるくらいよ」

「試してみなきゃわかんねえよ」

「輝矢はなんて言ってたの?」

「……あいつだって、間違うこともある」

「……お母さんは? ほっとくの?」

 暗い廊下に視線が落ちる。その言葉は梓真に重くのしかかった。

「……」

「ねえ、戻りましょ? お母さんのところに」

「けど、俺は……」

 目を上げる梓真を、目をつり上げた彼女の顔が待ちかまえていた。

 静けさに彼女の声がこだまする。

「なんでそこまでアレに出たがるのよ! あんなの、オルターの破壊ゲームじゃない! そんなにこだわるようなものじゃないでしょ!」

「……」

「なんとか言いなさいよ……」

 最後はほとんど涙声だ。

 梓真の肩から力が抜け、渋々ながら病室に向かう。

「梓真……?」

「忘れ物した」

「あんた、まだ――」

「わかったから! ちゃんと話す。とにかく、いったん戻ろう、静かにな。母さん起きちまう」

 しかし手遅れだった。明かりが灯った病室には、オロオロとする母の姿があった。

「……あっくん」

「あ、ああ、ごめん。トイレだよ」

「そんな体で……。コレがあるじゃない」

「……」

 固まる梓真。母が手にしたのは尿瓶しびんだった。

 年頃の男子だ。できればアレは見せたくない。

 そこで理緒が援護に入った――母の側に。

「ホントよね、お母さん。こいつにはカテーテルでもぶっ挿してもらいましょう」

「おま……てめえ」

「あら、そうねえ」

「ねえ」

「かっ、母さん!」

「……なあに?」

「俺の端末、ないかな?」

 梓真は軌道修正を試みる。

「……あなたの服があっちにあるから」

 梓真は母が指したクローゼットの中から自分の端末を見つける。

「母さん。俺、外の空気を吸いたいんだ……けど……」

「それならお母さんも――」

「り……瑞希が付いてってくれるっていうから、な」

「え? ええ」

「お母さんだけ、置いてきぼり……?」

 母の声は寂しげだ。

「お母さんには休んでてほしいの。わたしもちょっと散歩したいし。ね、いいでしょ?」

「……早く帰ってくるんですよ」

 後ろ髪を引かれたまま、梓真は理緒を屋上へと招いた。

「勝手に出てもいいの?」

「ここは、動ける入院患者が自分で洗濯物を干しに来るんだ。……ま、その分、ムードはねえけどな」

 赤を透かしたシーツと病衣が風にはためく。

 日が昇る直前だった。遠く、海岸線がうっすら明るい。

「ここも、三年ぶり、か。……輝矢が見舞いに来て、母さんと姉さんもいて……」

「……」

 輝矢と最初に出会った特別な場所――

 同時に苦い記憶もよみがえる。

 辛いリハビリの日々。そして何より、この病院で目覚めたあの日から、父と妹のいない生活が始まったのだ。

「来いよ」

 梓真はフェンスの土台に腰掛けた。眼下に田畑と民家を見晴らし、洗濯物も視界に入らない。

 彼に倣って理緒も座るが、そのあとの行動はお気に召さなかったようだ。

「せっかく外に来たのにネット?」

「……」

 梓真は黙って操作を続け、サイトの画面を理緒に向けた。

未来フューチャーデザイナーズ……会議?」

「四年に一度、世界各国の著名な科学者を集めて開かれる、将来の環境や人類のあり方をあらゆる方向性から探る――っつう、大層なイベントだ」

「これがなんなの?」

「次の開催は来年二月、チェコのプラハ。……出席者を見てみろよ」

 ずらりと並んだカタカナの中で漢字はやはりよく目立つ。理緒はそこに見慣れた名字を発見した。

「加瀬……太一郎?」

「家族には連絡も寄越さないくせに、こういうお祭りには参加するつもりでいやがる」

「……お父さんの無事な証拠ね。よかったじゃない」

「けっ」

「……で、なんなの?」

「どっかに“オブザーバー”ってリンクあるだろ。それ押せ」

「……“なお日本からは、今年度のSC優勝者の特別参加が認められました”……」

「……」

「え、これだけ? このために出場して、優勝したいの?」

「そうだ」

「参加できても、お父さんに会えるとは限らないじゃない」

「無理矢理でも会うさ」

「そんなに会いたいの?」

「……」

「会って、それから? 妹さんがどうしてるのか聞き出すの?」

「一発ぶん殴るのが先だな」

「なんだか強制送還されそうだけど」

「……」

 理緒は久々の笑顔を見せる。

「……そっか。そういうことか。……輝矢は知ってるのね」

「ああ」

 理緒は視線を空へと投げる。まだ暗いが、雲一つない快晴の空だった。

「じゃあお返しに、わたしのことも教えてあげる」

「……ああ」

「わたしの役目はこの町で、普通の学生として生活することだった……人として、ね」

「……」

「でも、それも今日でおしまい。つまりクビね」

「……。どうしてだ?」

「人間じゃないってばれちゃったから」

(……俺を、助けたから……)

 梓真はそれを言葉にしてはいけない気がした。

 少女はまだ空を見上げている。

「だから、あなたに協力してあげる」

「協力?」

「SCには、わたしが出るわ。マルスの代役として」

「……?! おまえ、何を言って……」

 言葉を失う梓真に、理緒ははにかむような笑顔を向けた。

 しかしそれは一瞬で消え、うつむいて言葉を継いだ。

「……輝矢には、わたしから話すわ」

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