襲撃

(なん……だ?)

「お客様、申し訳ありませんが――」

「止めないなら、扉を蹴り破るわよ!」

「……」

 オルター車掌の笑顔が凍る。

 テロに近い脅迫だが、規則遵守のオルターにはかえって効果的だった。彼女らは安全な運行を何より優先する。

 ただちにLRTは停車を行い、理緒は外へ躍り出た。

 横目が一瞬、梓真を見る。まだ顔が赤い。

 しかし立ち止まることはなく、車体の陰に消えてしまう。

 梓真は唖然としながらも、急いであとを追った。

「世も末ねえ……」

 ぼやき声は老婆のものだ。

(婆さん、なんかスマン!)

 密かに謝りながら、理緒を探す。

 彼女は来た道を大きく戻り、車列が途切れるのを見計らっているところだった。

「おい、待てよ!」

 だが理緒はわずかな隙間を渡りきる。梓真にはできない芸当だった。

(なんで突然……。俺と一緒がイヤだった? じゃ、ねえよな、まさか……)

 梓真も道をようやく渡り、彼女を追う。追いついたのは狭くて暗いビルの谷間だった。

「どうしてよ!」

 人気のない通りに声が響く。

 呼吸も荒く近づくと、なぜか制服の男に詰め寄っている。

「やあ、君も、久しぶり。仲睦まじくて何よりだが、奇縁というのか、どうにも妙な偶然だなあ」

 親しげに話しかけてきたのは、あの雨の日の、縦と横に大きい警官だった。

「なんで……ハァ……理緒……」

「……」

 彼女の視線は路地のさらに奥を指していた。黄色い線が張られたその向こうには、どうにか人の形と判別できる薄汚れた残骸がある。

 梓真は目を凝らし、ようやくすべてを理解した。

「……まさか、クレイ……」

「東稜高って……そうか、君たちの学校だったな」

「女の子もいたでしょう! どこなの!?」

 理緒は警官に掴みかかる勢いで食ってかかる。

「あ、ああ、JYー5Cの……ヴェルちゃん、か? 彼女の通報でここに駆けつけたんだが、姿はその、どこにも……」

 オルターの通報には時間と場所、さらに自らのプロフィールまでもが含まれる。そこにヴェルの名前と所属があったのだろう。

「通報も一回きりだし。……いや、大至急捜索してるとも。これで四度目だし、“オルターキラーの出没する町”なんて不名誉な形で有名になってしまったしねえ」

 のんびりとした応えを理緒がにらむ。その迫力にふとっちょの警官はたじろぐばかりだ。

「あの……」

「や、何かね?」

 渡りに船とばかりに、警官は愛想笑いを梓真に向ける。

「クレイの状態は……」

「ああ、それも規則……んー、まあ、関係者ってことでいいか。えーと、例によってAIが抜き取られ、体の損傷もひどい。ヴェルちゃんの通報がなかったら所属先すら判明していないところだ」

 その言葉に、梓真はふたたび暗がりへと目を移す。

「間近で見せてもらうってわけには……」

「あいにく駄目なんだ。彼女にも言ったんだけど、現場検証が済むまでは誰も立ち入り禁止なんだよ。わかってくれないかな」

「いや――」

「わかりました! これで失礼します」

「そうか! 危ないから今日はもう帰るんだよ」

「おい……」

「いいから!」

 理緒は、なおも食い下がる梓真の手を引くと、

「今はヴェルを探すのが先よ」

 そう耳元でささやいて、駆け出した。

(またか……)

 理緒が先を行き、梓真が追いかける。

 彼女は規制線を大回りして住宅街を抜け、西のはずれに向かおうとした。

「ちょっと……ストップ!」

 足を止めた梓真に、理緒が険しい相貌を向ける。

「疲れたの? だらしないわね」

「ハッ……まさか、闇雲に探すつもりか……ハァ」

「い、一応考えてるわよ」

「ヴェルの行く当てなんざ、学校か、それこそ警察ぐらいのモンだろ?」

「化け物に追われてんのよ! 人のいるところに逃げ込むワケないでしょ!」

「……化け物、化け物か……」

「怖いなら、あなただけ帰ってもいいのよ」

 怖い。当たり前だ。オルターを破壊する凶暴な何かなのだから。

 伸びる影を夕闇が飲み込んでいる。日没まで間もない。捜索はさらに困難となるだろう。

「理緒、おまえ……」

「何よ?」

 もし彼女が特殊な備えを持ち得ているなら――そうも思ったが、そんな様子は見て取れず、聞けるはずもなかった。

(特殊な……そうか!)

「ねえ、急がないと――」

「いいから待てって」

 梓真は端末を取り出し、素早く指を滑らせる。

『……どうかした?』

 応答はすぐに出た。ゆったりとしたいつもの彼だ。

「輝矢、まだ学校か?」

『そうだけど……』

「緊急事態だ! 急いでポボスを起動してくれ!」

『……すぐやるよ。事情は追々』

 以心伝心。口調から、ただごとではない何かを察したようだ。

「あいつの足なら二十分ってとこか」

 通話を終えて余裕たっぷりの梓真に、理緒は異議を唱える。

「ここで、ポボスをずっと待ってるっていうの? イヤよ!」

「落ち着けって」

「落ち着けるわけないでしょ! もういい! わたし一人で――」

 駆け出そうとする理緒の手を、今度は梓真が握った。

「……!」

「こいつが位置情報を発信してポボスに俺たちの居場所を教えてる。……歩きながら話さないか?」

 端末を掲げると、理緒の険がかすかに解けた。

「何をよ」

「クレイを襲った奴の正体についてだよ」

 理緒が黙り込んだのはほんの短い時間でしかなかった。

「何悠長なこと言ってんのよ!」

 言い終わる前に走り出し、梓真を引きずる。

「だからこっちにいるかは――」

「クレイの姿を見たでしょ! ヴェルがああなってもいいの!?」

「オルターキラーの正体を――」

「走りながらなら聞いてあげる!」

「俺と輝矢が、話してたのを、おまえ……ハァ、……」

「覚えてるわよ。……神がどうとか、倫理機構とか」

 輝矢の名前が出た途端、理緒は勢いを弱めた。

「奴はこれまで人間を……襲ってない。だから……警察の捜査も甘かったん……ハァ、だが、今回は、ヴェルの通報で……面が割れ……」

「だから!?」

 やっと足を止めた理緒に、梓真は呼吸を整え言葉を吐き出した。

「危険だ。今度は人間だって襲うかもしれねえ」

 あるいは、人間そっくりのオルターでも……

 しかし――

 手を振り払い、理緒は駆け出す。

「理緒!!」

 梓真はもちろん追いかけたが、彼女の背中は隘路に紛れ、落日の中に消えていった。


 どれくらい歩いただろう。

 汗が冷え、梓真は一度外した首のボタンを留め直した。

 行き着いたのは、田圃を見晴らす街の端だ。

 水面に映った鮮烈な夕焼けも今はすべて宵闇に覆われ、目に届くのは灰色の道しかない。

 そこは人とオルターの境界だ。

 星川市の農地はすべてオルターに管理されていた。

 西に広がるのは漆黒の野、東にはまばらながらも人家の灯がある。

 梓真がいたのは正しくは道ではなく、道に平行する用水路の蓋だった。おぼつかない足取りが、コンクリートに不規則なリズムを刻む。

 辺りは暗くあてもない。梓真は自分の無力を思い知り、いつか歩みを止めていた。

 そこへ、待ちに待った朗報が届く。

『見つけたよ、梓真』

「……どっちを?」

『不審な人影さ。たぶん、こいつがオルターキラーなんじゃない? まあ確信は持てないけど』

「そうだな。誰も正体を知らねえんだし……」

『とにかく、今、場所を送る』

 端末の地図が示した光点は、南西のある一点を目指しているようだ。

(あそこに、あいつが……)

 梓真は顔を上げる。そこは無人の野で唯一、輝きを放つ場所だ。

 梓真は疲れた体にむち打って重い足を蹴り上げる。

 南へ、西へ。コンクリートがアスファルトに変わり、目的地まであと少しと迫る。

 そこでふたたび端末が響いて、歩調は自然と弱まった。

「どうした?」

『足音に気をつけて。君のほうが見つかるかも』

 梓真が走っていることを、輝矢は移動速度から推察したようだ。

「わかった」

 素直な同意には裏があった。もう体力が限界に近づいていたのだ。

『音声でのやりとりもこれっきりにしよう』

「ああ、そうだな」

 通話は途切れ、かわりにテキストメッセージが送信される。

 “ポボスからの映像を送るよ”

 梓真は光量を最小にして、それを表示した。

 画面は二つ。ノーマルと赤外線による撮影だ。

 貧弱な照明をゆくそれは、人でもなければオルターでもない、人の姿をした“何か”だった。

 大きな体にゆったりとした黒い服。この暑さを物ともせずに頭の先まで覆っている。確かに怪しい。けれど、何よりの異様さはその動作にあった。

 無理矢理に踏み出す一歩、揺れる胴体、安定を損ねる腕の振り。魔法仕掛けの人形が懸命に人を真似ているようだ。不合理を寄せ集めたその動きは、現代社会に許されない異物だった。

 しかしその異様さこそが犯人の証でもある。

(オルターキラー……こいつが!)

 梓真は乾いた喉に唾を押し込み、それからメッセージを送った。

 “他に誰かいるのか?”

 “ちょうど今、見つけたところ”

 その返信で梓真は決意を新たにする。


 巨大な球が夜の空に浮かんでいた。そこは都市ガスの中間貯蔵用ガスホルダー、いわゆるガスタンクの設置場所だ。

 敷地には管理所らしき小屋があり、その向こうにオルターキラーはいた。

 敷地全体は田圃から腰ひとつぶん高く、梓真は息を潜めて近寄った。物音一つ立てられない。あるいはすでに見つかっていて、見逃されているだけかもしれないが。

 屈んだ胸に冷たいものが伝い、梓真を止めた。

 本当に人を襲わないのか、今まではただの偶然だったのか、あるいは条件次第――

 その目に理緒は……人と映るのか。

 端末に表示したポボスの赤外線カメラがガスホルダーの一カ所を捉えていた。梓真からは死角となる位置だ。球体の裏側、高さ約二十メートルの回廊に、人の形があった。

 “いるのは誰だ?”

 返信は、素早く簡潔だった。

 “ヴェル”

(ヴェル……か)

 音か、熱分布によるものか、ポボスと輝矢は球体にへばりついているあれをヴェルだと判断した。とにかくオルターキラーの狩り場に理緒はいない。それに梓真は胸をなで下ろした。

 もちろんヴェルに対する哀れみはある。

(だが、俺に何ができるってんだ?)

 人の三倍の力を備えたオルター。ヴェルですら梓真より強い。彼らを破壊してきた何者かに、か弱い人に何ができる? 見つからないよう願うぐらいがせいぜいだ。

 しかし、それは叶わぬ祈りだった。

 突如、オルターキラーは宙に鎌首をもたげる。そして棒立ちから一転、両手を地に着け、四つ足で球体の根本へと向かう。狂気を孕んだその動きは、人のものでも獣でもなかった。

 だが速い。

 球体の支柱は鉄の檻に囲われていたが、鍵を一閃、たやすく侵入を果たす。大きな体を螺旋階段にぶつけながら、瞬く間もなく回廊へ躍り上がった。

 もはや、身を潜める意味はない。彼女もそれを悟ったか、逃亡を決断する。円形の回廊だ。より速く回り込んでしまえば、逃げるのは難しくない。

 しかし彼女の動作は鈍かった。人より遅く、そのうえ階段手前で転倒してしまう。

 オルターキラーが逃すはずもない。一気に距離を詰めて少女の形をしたオルターに迫る。

 回り込んだ二つの影は、すでに目視できる位置にあった。

 目前でオルターキラーは二足で立ち、両腕を広げる。

 弄んでいるのか、詰めを誤るまいとしているのか――

「いや……」

 ヴェルは鋼材に声を響かせ、上体だけで後ろに退いた。

 その姿に梓真は心を決め、メッセージを打ち込んだ。

 “ポボスで攻撃しろ”

 ところが送信ボタンを押す寸前、背景画像に目が留まる。

 いったいどこから現れたのか、回廊に理緒の姿があった。

(あのバカ!! 何やってやがる!!)

 どうする気なのか、理緒は忍び足でオルターキラーの背後へと近づく。

 ポボスの出撃は中止するしかなかった。今注意を引けば彼女まで発見されかねない。

 しかし、そんな配慮に意味はなかった。

「ヴェル!! 避けて!!」

 理緒の絶叫にヴェルは素早く体をくねらせ“道”を開け、そこへ理緒が体当たりを噛ました。

 振り向いても、もう遅い。オルターキラーは階段を滑り落ち、踊り場の手すりを壊して宙に舞う。

 地上で待ち受けていたのは錆びた鉄柵だ。穂先に腹部を突き刺され、断末魔の動作のあげく、二つ折りで停止する。

「なんて顔してるのよ」

 高らかな声に顔を上げると、理緒が梓真を見下ろしていた。

 だがすぐヴェルに駆け寄るのを見て、梓真も囲いをくぐる。

 理緒が彼女に肩を借し、梓真は階段の手前で出迎える形となった。そこでようやくヴェルの不自然な動き理由が判明する。片足首の欠損だ。

 地上へと戻った理緒の顔は、彼女をいたわりながらもどこか誇らしげだ。

 梓真は軽くため息を吐いた。

「無茶しやがって」

「本当ですよ」

「何よ、ヴェルまで。うまくいったじゃない」

「……いい、わかった。それよりとっとと脱出だ」

 ところが理緒は、

「待って。まだアイツに用事が残ってるの」

 ヴェルを梓真に預け、険しい顔で“アイツ”に向かう。

「何するつもりだよ、おい!」

 思わず梓真は追おうとしたが、転倒しそうなヴェルに慌てて手を添える。

 ヴェルはそれを押し返した。

「大丈夫ですから」

「とてもそうは見えねえが」

「でも、これでここまで来たんですよ。ほら」

 ヴェルは愛らしい笑顔を傾げて歩いてみせる。

 足首のないフレームは地面にめり込み、泥まみれの皮膚は断裂をさらに広げた。

 梓真はその肩を掴んで止めさせ、また叫んだ。

「おい、理緒!」

「あった……」

「何がだよ!?」

「クレイのAIよ!」

 オルターキラーの持参品だろうか、理緒の手が取っ手の付いたケースを探っていた。

「無事みたい。頑丈な入れ物のおかげ――」

「理緒!! 離れろ!!」

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