玲亜

 今この時、人類の友が誕生した――

 アメリカの大手企業、メタトロン社の発表した次世代型アンドロイドのキャッチフレーズだ。

 汎用型として家事全般、事務仕事、さらに工場での軽作業もこなすその製品は、国内外でベストセラーとなり、愛称である「オルター」とともに広く世界に浸透していった。その名はいつしか「ロボット」「アンドロイド」に替わる機械人形の総称として世界中の人々に定着することとなる。

 自分たちに似た外観こそオルター――それが人々の常識となっていた。

 だが梓真は違う。彼にとってオルターとは、人に化けた不快な何かではなく、マルスのような鋼鉄の肌を持つ無骨な人型機械であり、彼らこそが“友”だった。

「よし、降りてこい。そっとだぞ」

 その言葉に従い、マルスは荷台でくるりと背を向け、片足ずつ丁寧に地面へと降り立った。

 何しろレンタカーだ。荷台にはマットを敷いていたが、マルスの重量は百キロ弱。ジャンプして凹ませるわけにはいかない。

(目玉焼きでもできそうだな)

 薄曇の下、ピカピカのボンネットから陽炎かげろうが立っていた。黒地に赤く模様のあるド派手なトラックは真琴のチョイスだ。

 次にメルクリウス、ディアナの順で降りてゆく。面白いのは、降着までの時間をマルスよりもメルクリウスが、メルクリウスよりもディアナが短縮していることだ。無線通信で情報を共有している彼らは、その前の機が得たデータを元に、荷台から地面に降り立つためのより効率的な動作を学習していた。

 梓真は、布製のカバーを元に戻して荷台を覆うと、迷彩仕様となった三体を改めて振り返る。

(おお、こいつはなかなか……)

 梓真たちがいるのは山林の中腹、谷を見下ろす高台の駐車場だ。新緑に映える三機の勇姿は圧巻だった。

「……んで、理緒とまこはどこ行った?」

「あっちじゃないかな?」

 輝矢は少し先の雑木林が指さした。その手前にはしっぽを振り回すポボスの姿がある。

「スゲエ振ってるな」

「ほとんど犬だね」

「じゃ、行くか。……自動オートメンテナンスを始めろ。ただし、連中が到着したら中断して、警戒態勢を取れよ」

 梓真は振り向いて、三機のオルターに指示を送った。

 自動メンテナンスとは、まず自己診断プログラムを走らせ、そののち彼らの“目”によって異常を探し出す整備手法だ。修復も彼らが互いに行い合う。そのための備品も用意してある。

 おとといには梓真と輝矢が万全の整備を施してはいたが、荷台に揺られて不具合を起こしている可能性もなくはなかった。

(ま、何もねえだろうが)

「うーん、ちょっと心配」

 輝矢は別のことが気にかかるようだ。

「まさか、やつらだって試合前には仕掛けてこねえだろ」

 この待ち合わせ場所に、まもなく諏平工大チームもやってくる。

「きっとでっかいトランスポーターで乗り付けるんだろうなあ。うらやましい。ここだって諏平工から目と鼻の先でしょ。練習しほうだいじゃない」

「それは先立つモノがあっての話だろ」

「ますますズルい」

 諏平工大キャンパスから北西にクルマで進むこと二時間、今梓真たちが立っているのは国が認めたSCの公式練習場だった。円形に十キロ、台地を南北に分割されたこの場所は、許可がなければ立ち入ることができない。当然使用料は高額で、今回、その全額を諏平工大側が支払っていた。

「ま、ありがたく使わせてもらうさ。……おいポボス、お前も――」

 メンテナンスに加われ、そう言いたかったのだが、ポボスは暗い林の中へ姿を消してしまう。

 追いかける二人。木々の間を縫うように進むと、何か会話が聞こえてくる。……それも、なんだか艶っぽい。

「もっと強くぅ」

「こう、ですか?」

「ん、そのくらい。……んーいいわあ」

 ポボスは木陰からのぞき見していた。

「梓真、これは……」

「ああ……」

 輝矢のいつにない真顔に相づちを打つと、二人は声を潜める。

 雄大にして神聖なる大自然を前に、二人の女性がいかがわしく卑猥に体を重ねていた。

 カラフルなレジャーシートにうつ伏せの真琴。その背に理緒が馬乗りになり、真琴のふくらはぎをぐにぐにと揉み解している。

 二人はあうんの呼吸で身を隠す。

「前から思ってたんだけど、あの二人って……」

「ああ、けっこうエロい体してるよな」

「いや、そうじゃ……ま、いいか……」

「で、俺たち、いつまでこうしてるんだ?」

「でも、邪魔しちゃ悪いし……」

 理緒の顔は真剣そのもの。

 けれど梓真は、意識して少女から目を逸らした。となれば視線は真琴に向けるしかない。

 彼女は目を瞑り、恍惚の表情で身を任せている。スカートをまくり上げ、両足はすでにむき出しだ。

(あのガリガリが。女ってスゲえな……)

 初対面は彼女が中学生の頃。姉に連れられて遊びに来たことは今でも記憶にある。

 理緒の引き締まった体も魅力的だが、色気では真琴に敵いそうもない。特に、あの柔らかそうな太もも!

「梓真、鼻の下伸びてる」

「伸びてねえよ」

「仕方ないわ、思春期だもの」

 ……

 誰の声?

 近くの茂みに、なんと玲亜の姿があった。

「!」

 梓真は思わず腰を浮かせバランスを崩し、輝矢を巻き込んで転がってしまう。

 そこには見下ろす理緒の顔があった。

「あ、あ、ああ、あんたたち、いつからそこに!」

「いや、僕らのことは気にしないで、そのまま続けて」

「ちっ違うの輝矢。これは、せ、先生がね、どうしてもって――」

 理緒は慌てて飛びのくが、真琴は、

「えーやめちゃうのー。もっとやってよー」

 と、駄々をこねる。

「お前はいったい何やらせてんだよ!」

 その言葉に真琴の頬が膨らむ。

「だって、疲れちゃったんだもん。昨日と今日の運転でー。労ってくれてもいいじゃない」

「おまえ、今朝は、ホクホクしてたじゃねえか」

「湯疲れですよね、先生? 夜も朝も、ずいぶん長いお風呂でしたが?」

 真琴の扱いを理緒もわかってきたようだ。真琴はテヘ、とベロを出し、自分で頭をごっつんこした。

(ん……?)

 いつのまにか玲亜がいない。

「ねえ聞いてー。理緒ちゃんのおしりって気持ちいいのよ、あったかくて柔らかくて。……でね、おしりの骨がね、ちょうどツボに――むぐっ」

 理緒は真っ赤になって真琴を羽交い締め、さらに口をふさいだ。

(おしり、ね……)

 ついに梓真は目を向けてしまった。デニム地のパンツから伸びた脚が白く、眩しい。

 妹かもしれない――そう疑っているのに。

「い、一泊で、着替え持ってきたのかよ」

「……女の子ですから」

 視線に気付いた理緒は、真琴の後ろに隠れてしまう。

 なぜか梓真の顔まで火照り始める。

「あー、えっとだな、何すんだっけ、これから……」

「……」

「お天気が怪しいから、早めにお昼を食べるんでしょ?」

 輝矢の助け船に梓真が飛び付く。

「あ……ああ、そうだった! 弁当どこだ」

 理緒が無言でレジャーシートの隅を指し、ようやく真琴は解放された。

「ぷはっ。もお、ひどいよ理緒ちゃん」

「自業自得です」

 四人は準備を整えてレジャーシートに集合した。

「ではここで、部長から一言」

 輝矢が音頭を取る。すると梓真は咳払いのあと、

「あー……。ではみなさんご一緒に。いただきます!」

「……いただきます」

 物足りない、微妙な唱和となった。

「なんか違うよ、あっくん」

「なんもねえんだよ。いいから食おうぜ」

 レジャーシートに並んだ重箱には、おかずやサラダ、おむすびなどが詰まっていた。昨日、旅館近くの弁当屋で注文しておいたものだ。ちなみに梓真の「コンビニ弁当でいいだろ」という意見は他の三人に却下された。

 真琴がまず真っ先に身を乗り出し、獲物に箸を伸ばしてゆく。

「ほらあ、みんなも」

 梓真は渋々ながらもそれに倣う。まだ十一時を回っていない。それほど空腹ではないのだ。

「本当はね、みんなに手作りを食べてほしかったんだけど……」

 真琴がため息混じりにこぼした。

「いやあ、それはまずいでしょ」

「ちょっと輝くん、どういう意味よお?」

「いや、いや、悪くとらないでほしいんですけど――」

「まずいって確かに言った!」

「いや、だから、ナマモノは気温がですね……」

 二人のやりとりから、ふと、きれいなままの理緒の取り皿に目を移す。

「腹減ってなくても、少しは食っとけよ」

「……そうね」

 理緒はもじもじと答え、さりげなく膝に掛けていた弁当の風呂敷をさらに引き上げた。

(おいやめろ。調子狂うだろ! 今までそういうの、気にしたことあったか!?)

「理緒。もしかして、クルマ酔い?」

「このタイミングでそれはねえだろ」

「もお、理緒ちゃん。わたしが悪かったから、機嫌直してよ」

「別に先生のせいじゃ――」

 その矢先、空腹虫の鳴き声がして、真琴がにへらっと笑う。

「ちが……今の、わたしじゃ……」

「もお、いじらしいんだから」

「違うんですう!」

(しゃーねえなあ)

 理緒の後ろに気配があった。

「おい、出てこいよ」

 すると枝が揺れ、奥から玲亜が姿を見せる。

「あら……」

「偵察ならアッチだろ、ふつう」

 梓真のアゴが、林の向こうのマルスたちを指す。

 ところがそれは玲亜の眼中にないらしく、熱い視線は別のところに注がれていた。

「……おいしそう」

「あ、食べる? 良かったら一緒に」

 真琴が誘うが、玲亜は、

「敵の施しは受けません」

 と、横を向いてしまう。しかしその目は密かに理緒を捕らえている。

(ああ、なるほど)

 昨日、廊下で理緒が言ったことを気にしているのだ。

 ふたたび、彼女のお腹が抗議の音を鳴らした。

(さて、なんて言やいいのか……)

 そこに輝矢が耳打ちする。

「理緒、なんとかしてよ」

「ええ? わたし?」

「一時休戦するって」

「あ、ええと、一時休戦にしましょ、目堂さん」

「名前で呼んでくれなきゃ、嫌」

 と、拗ねた顔。理緒は苦笑いで返し、

「休戦しましょう、玲亜さん」

 その言葉に、玲亜は靴を脱ぐのももどかしく理緒と真琴の間に割り込む。正座で薄紫のミニスカートが捲れ、健康的な膝と太ももが飛び出した。

(俺、足に弱いよな……)

 しかし玲亜は気にするそぶりも見せず、引率教諭の「お好きなのをどうぞ」の言葉に、取り皿を山盛りにしていく。このあたり、なんだか真琴に似ている。

「ほらあ、わたしたちで全部食べちゃうわよ」

「僕たちも食べようか」

「ああ、まあ……」

「じゃあ、私も」

 すると、あっという間に重箱はカラとなる。

 ひとしきり食べ終えて、梓真は食ごなしに立ち上がった。

「たまには、こういうのもいいもんだな」

 そんな言葉が自然に漏れる。

 今いる高台は大昔の岸辺のなれの果てだ。向こう岸には濃い緑が生い茂り、かつての川床には堆積作用でできた平野がある。眼下の左右に田畑と住居の名残が広がるものの、動くものは何一つない。

「だから! みんな、もっと遠出したほうがいいと思うの!」

「でも、試合のたびに毎回これは、ちょっと、ね」

「試合、普段はどこで?」

「近所の、山というか空き地というか……」

 玲亜に輝矢が答えた。

「そう」

「せめて学校に軽トラの一台でもあればねえ」

「えー、軽トラじゃ、全員乗れないじゃない」

「梓真が免許とればいいんだよ。そしたらクルマがもう一台出せる」

「だ、そうよ、部長?」

「……」

「どうしたの?」

「……クラスの奴らに、バレるだろうが。……年上だって」

「梓真、それね、残念だけどみんな知ってる」

「そう……なのか……?」

「気にすることないよ、あっくん」

「君、ダブってるの?」

 玲亜の容赦ない一言で、梓真は力なくへたり込んだ。

「人生長いんだから、一年や二年、気にすることない。大学では普通のことだし、六角先輩なんて――」

 そこへちょうど六角が顔を見せ、玲亜はそっと口を噤んだ。

「……オメー、何してる?」

「何って――」

 見ればわかるでしょ? とばかりに卵焼きを手づかみで口に放り込む。

「相変わらずお気楽だな。支度しろ。……広敷先生! こっちです!」

 振り返って六角が叫んだ。

 姿を見せた人影はひとつではなかった。

 遠目にもわかる巨体に灰色のまだら模様、その足は不自然なほどに太い。

「おくつろぎのところ邪魔して申し訳ないが、まずはお披露目といこう。わたしの愛機、オベロンだ」

 広敷は誇らしげにそう告げた。

 全身に都市用のデジタル迷彩が施された巨人。武装はなく、バイザーは分厚い装甲の奥に隠れている。

 梓真はごくりと唾を飲んだ。

(雰囲気あるな、ぜってえ強いぞ)

「……ところで、お気づきだろうが空模様が良くない。予報よりも早く天候が崩れそうだ。予定を繰り上げたいのだが、諸君、どうだろう?」

「ええ、そういうことなら、ねえ?」

「ああ……。何時にするんです?」

「十二時ちょうど、というのは?」

「わかりました。すぐ準備しますよ」

 後片付けは真琴に任せ、梓真は斜面を下る広敷のあとを追った。

「あの工場だ。わかるかね?」

 宏敷が指さしたのは、間近に見下ろす青い屋根の建物だ。それ自体はコンビニほどのサイズだが、敷地はほどほどに広く、工場と言われれば工場なのだろう。

「あそこにフラッグを置こうと思う。地図だとここ、ほぼ中央だ。どうかな?」

 さらに広敷はタブレットを傾け、そこに映る地図の一個所を示した。

 等高線の入った地図には、東西に延びる断裂を囲むように薄い赤色で円が描かれている。宏敷が指しているのはその中心だった。

 この十キロの赤い円こそが今回の公式試合練習場だ。

 しかし直径十キロもの無人地帯がそうそうありはしない。そのため、公式練習場は十キロの直線地帯がほとんどだ。さらに梓真たちのような資金に余裕のないチームは、人気ひとけのない山林などで非公式に試合をしていた。当然、移動はほとんど行わずフラッグも使用しない。

 公式のSCの勝利条件は二つ。フラッグを奪って戦闘区域――円の外に逃れるか、敵の隊長機を行動不能にするか、だ。

 本戦において、フラッグの設置場所を屋内に設定することは慣例となっていた。いまさら異議を唱えるつもりはない。

「かまいませんよ」

「では、約束どおり、君たちが先にスタート地点を決めてくれたまえ。何しろここは、私たちのホームグラウンドだからね」

「はあ……」

 梓真は再び地図をのぞき込む。公式の模擬戦では、設定された戦闘区域の外周上にスタート地点を設定しなくてはならない。ここから約五キロ移動したどこかだ。

 試合は通常、リーダー機の破壊よりもフラッグの奪取を優先する。その場合、スタート地点はフラッグまでの最短ルートでなくてはならない。そして大抵、それがそのまま脱出ルートとなる。

 理想的な試合運びとしては、先にフラッグを奪い、三機で相手の侵攻を阻みながらフラッグを持った一機――通常はリーダー機が戦闘区域を脱出する、というもの。フラッグまでの移動に適し、フラッグを奪ったのちは、敵の阻止に優位である地形が望ましい。

「俺たちは南側の、ここにする」

 梓真の指した場所は円の六時の位置。

 考えるフリをして見せたが、この場所はとっくに決定済みだ。この試合場を広敷より指定されて、梓真は輝矢と入念な検討を重ねていた。

「ふむ……」

「そっちは?」

「北側の、零時の場所にしよう。さ、十二時まで三十分を切った。さっそく移動するとしよう」

 宏敷は踵を返し、早々に六角と話し合いを始める。

「さて……」

 と、梓真も斜面を登りみんなの下へと向かう。そのすれ違いざま、六角が口角を上げる。

(なんだってんだ?)

 無視して通り過ぎると、今度は片づけを手伝っていた玲亜が声を掛けてきた。

「わたしも、これで失礼します」

「ご丁寧に、どうも」

「……」

(……なんだ?)

 見上げる瞳に憂いがあった。

「今から、また敵同士。お互い、ベストを尽くしましょう」

「あ……ああ、お手柔らかに」

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