来訪者

「しっつ礼しまーす」

 柄でもない入室の決まり文句とともに、梓真は校舎西側の生徒会室を訪れた。

「遅かったですわね。……まあ、いいですわ」

 ――重苦しい。

 コの字に配置された机のせいで、来訪者は両袖に座る生徒会役員の正面を進むことになる。

 もっとも彼らも暇ではないようで、ほんの一瞥のあいだもキータッチを止めることはなかった。

 入室からずっと腕組みで視線を注いでいたのは、ラスボスの位置に座る生徒会長、夕乃だけだ。

「お掛けなさい」

 彼女と向かい合うそこには、いつも例外なく一脚のパイプイスがある。

 被告席のようなそのイスに腰掛けると、梓真の口はなぜか緩んだ。

「ふ、ふぁ……」

「まったく、自分の立場を理解されていないようですね」

 夕乃から、作り笑顔が消える。

(……そういや、二日続けてあんま眠れてねえんだった)

 なんだかくやしいので、酸欠の脳から反論を探り出す。

「アクビってのは不真面目の証明みたいに思われてるが、本当はその逆で――」

「御託は結構です!」

 声を荒げ、立ち上がる夕乃。

 その勢いに、両袖の手が止まる。

 しんとする生徒会室。

 咳払いが響いた。

「では、生徒会の処分をお伝えします」

「処分?」

「わかりませんの? 昼間の、あのバカ騒ぎのですわ!」

「松本は「今回は大目に見る」とかホザいてやがったが?」

「生徒会の! と言ったでしょう?」

「……」

「SCCはロボット研究会と合併していたただきます」

「は?」

「前々から、部長としてあなたの資質を疑問視しておりましたが、今回の件ではっきり確信いたしました。あなたは今後、ロボット研の一部員として活動していただきます」

「おい! 冗談じゃねえぞ!!」

 今度は梓真が立ち上がる。

 目線が逆転しても、夕乃は余裕の構えを崩さない。

「もちろん冗談ではございません。お嫌なら、どうぞご退部なさいませ」

「……!」

 微笑を浮かべて夕乃は席に戻る。イスを引く耳障りな音のあと、梓真も腰を落とした。もう眠気はどこにもない。

「合併と言いましたが、勘違いなさらないで。部員数は比較にならないほどロボット研が多いのですから、吸収、のほうが正しい表現ですわね。なんにせよ、SCCなどという名前が残ることはありませんので」

(落ち着け……。こいつ、何が狙いだ……)

 生徒会――というより夕乃は、ことあるごとに梓真に難癖を付けてくる。けれど、廃部にまで言及したのはこれが初めてだ。

 いや、廃部ではなく合併、吸収と言っていた。

 ――するとどうなるのだろう? 何か、メリットもあるのではないか?

 ロボット研究部、通称ロボ研の歴史は古く、その発足は“オルター“が普及する以前にまでさかのぼる――らしい。実は梓真も入学当初、ロボ研への入部を検討したことがあった。

 ロボ研の部活動は、全国で行われる自動人形のありとあらゆるスポーツへの参加だ。SC出場だけに集中したい梓真の理想にはほど遠く、入部はやめ、自身で部を立ち上げるしかなかった。

(今の部長はたしか、髪の短いメガネの……)

 生徒会で何度か顔を合わたはずだが、ぼんやりとしたイメージしか湧かない。

 ともかく、それほど押しの強そうな男ではなかった。なら吸収されても、これまで通り自由にやれるのではないか? そればかりか面倒な集まりや交渉事をすべて押しつけ……引き受けてもらえる。さらに暇そうな部員をこちらの手伝いに回せるかもしれない。

(なんだ、良いことずくめじゃねえか! ……いや待てよ、何か引っかかる。さっき確か……)

 ――部員の数は比較にならないほどこちらが多いのですから――

(こちら……。ロボ研は生徒会側? 夕乃の味方? ……違う。そもそも、俺がSCCを創った時、あの研究会はこっちと似たり寄ったりの弱小クラブだった。部員数が増えた理由は……確か――)

「私も、あまり暇ではありませんのよ。そろそろ納得して、退出してもらえませんこと?」

「なるほど、わかった……」

「そうですか。それはなにより――」

「勘違いするな。わかったのはおまえの企みだ」

「企み?」

「おまえもロボ研に所属してなかったか?」

「……そうですけど」

(なんてやつ……)

 梓真は、男子部員にムチを振るう夕乃の姿を思い浮かべた。面倒事をあの地味な部長に押しつけ、陰の女王として君臨しているに違いない――と、ここまでは彼の思い込み。自分の願望まで彼女に投影してしまっている。

 とはいえ、ロボ研に移籍した梓真を彼女が自由にさせるとは思えない。

 つまり――

「おまえ、ウチのオルターを手に入れて、ロボ研の成績を上げたいんじゃねえのか?」

「……あなたが、ご自分のオルターのポテンシャルを引き出せていないことは明白ですわね」

 夕乃は明言を避けた。

 梓真は自分の推測により自信を深めたが、本当のところはわからない。

 ただ、彼女のロボ研への思い入れは本物のようだ。彼女と自動機械との組み合わせは少し意外ではあるが……

 しかし部への思い入れは、梓真も強い。

「練習試合では一度も負けてねえぞ」

「試合数は、確か……」

「三回だ」

 威張れる数字ではない。それに――

 小さな生徒会長は見下すように言った。

「噂によりますと、ある強豪チームからの試合を断り続けているとか。事実でしょうか?」

「……そりゃ、スケジュールとか、いろいろと……」

 途端に歯切れが悪くなる。

 彼女はすっ、と息を吐き、話は終わったとばかりに書類を片づけ始めた。

「……待てよ」

「まだ何か?」

「そこに勝てばいいんだろ」

「あら、勝ち目がおありでないから逃げ回っていたのでしょう?」

「楽勝に決まってんだろ!」

 夕乃が高慢な笑みを浮かべる。たぶん、梓真の口から言わせたかったのだ。

「実は、先方から生徒会宛に試合の申し込まれておりますの。来週の土曜日に――とのことですが、何かご予定は?」

「ねえよ!」

「では、詳細は万久里先生にお送りしておきますわ」

 言い終わるのも待たず、梓真は背を向け、生徒会たちの前を通り過ぎた。

 退出し、後ろ手に扉をスライドさせる――その瞬間を狙い澄ましたように夕乃が付け加えた。

「端末、早く直しなさい。いちいち不便ですわ」

「……」

 他にも何か忘れているような――

 ふいに浮かんだそんな思いは、部活存亡の危機に打ち消されてしまう。


「あー、うまくハメられたねえ」

「うーん、ホント」

「わかってんだよ! んなこたあ!!」

 叫んでから、慌てて辺りを見回す。幸い通りに人影はない。

 練習試合を断り続けてきた理由を、輝矢と真琴はよく知っている。にもかかわらず、部室に戻った梓真に二人は容赦がなかった。

 ほっとしてまたこみ上がる憤りを、今度は小声で吐き出した。自宅を目前にしての独り言、これ以上悪い噂を広めたくはない。

「交渉ごとは、輝矢、おまえのがうめえだろうが! なんなら部長を譲ったろうか!?」

 そんなわけいかねえよな――と、梓真は不満の矛を収める。SCCは自分が始めたことで、輝矢は巻き込まれた側だ。

 巻き込まれた、といえば理緒。連れ込む彼女を誰かに見られただろうか。

(――いや、家出少女が帰ってきたことになってんだっけか)

 昨晩のことだけではない。母のおかしな行動は、とっくの昔に噂となっているだろう。

 見慣れた景色の一部に、ひび割れたアスファルトがあった。そこに溜まった水を大きく跨いで顔を上げる。

 その時、ようやく、だ。

 梓真は忘れてはならない重大なことを思い出した。

(置き手紙!!)

 梓真が目を離した隙に、瑞希はどこかへ消えてしまった――そんなでっち上げのストーリーを母に信じさせるためには、証拠として彼女の手紙、書き置きを用意しておかなくてはならなかったのだ。

「あいつに書かせるつもりだったんだよな……」

 リアリティを増すためにも、女子の筆跡が望ましい。

「書くんじゃなくて打つか、俺が。でもなあ……」

 母はメールやらSNSやらとは無縁の、化石のような人だ。PTA宛のお知らせは、毎度梓真がプリントアウトしている。

「それともまこに書いてもらうか」

 事情を話し、急いで書いて届けてもらえば……

「なんせ国語教師だからな。文面はまこに……」

 梓真は頭を振った。

 ――それは逃げだ。

(あいつで失敗しただろうが)

 家庭の問題を他人に押しつけるのは間違っている。

 そう思い直し、まずは帰宅することを選択した。手紙はあとでこっそり書くこともできる。

 しかし、足取りがしだいに遅くなってゆく。

 瑞希が、帰らない。

 その事実に、悲しみ梓真を非難する母をこれから受け止めなくてはならなかった。

 夕映えの玄関が、梓真に足を竦ませる。この向こうに、一生に一度あるかないかの難題が待ち受けているのだ。

(一生に一度、ってのはおおげさか……)

 ふ、と笑って、もう一度、今度は横隔膜をいっぱいに押し上げると、重い一歩を踏み出した。

 すると――

「遅かったじゃない」

 心臓が止まるほど驚く。けれど、聞き慣れた母の声でなかった。

「早く鍵、開けなさいよ」

「なんでここにいる……?」

 植え込みの陰から理緒が顔を見せた。傍らに大きなキャリーケースを携えて。

「なんだ、旅行か?」

「馬鹿」

「まさか、俺に逃げろと?」

「あのねえ……」

「じゃ、なんだよ」

 さすがにそこまで馬鹿ではない。ただ突然の想定外の事態に混乱しただけだ。

 虫を見るような目をした理緒がキャリーケースを目の前に置いた。

「あんたが持ってよ。おかしなこと言った罰に」

「これを……」

「そ。わたしがお母さんを引きつけとくから、その隙にあんたが上まで運んでって」

 梓真は赤焼けの空を見上げた。――やっぱり馬鹿?

「二階の! わたしの……瑞希ちゃんの部屋までよ!」

「ってのは、まさか……」

「いい? ここで長話してて、もし――」

 その「もし」が起こった。

 扉から母が姿を見せたのだ。

「お帰りなさい、二人とも。……どうかしたの?」

「な、なんでもないなんでもない……ただいま、お母さん」

 幸運にもキャリーケースは死角となっていた。

 にもかかわらず、母は立ち尽くしたまま、じっと理緒を見つめている。

「あ……の……お母さん?」

「……あ、あ、ごめんなさい。なんだかね、あなたが帰ってこない気がして……馬鹿よね、わたしったら」

「え……あ、いえ……」

 動揺したのか、理緒は素を出してしまう。

 それを母は涙声でくすりと笑う。

「入って。さあ、早く。今日はごちそうなんだから」

「はーい」

 返事も顔もぎこちなく、理緒は戸口をくぐる。パタンと扉は閉じ、ぽかんと口を開けたままの梓真だけが取り残された。

「……ウチに住む……つもりなのか」

 梓真はようやく理解した。


「二学期?」

「そう。それまではここにいてあげる」

 理緒は仰向けのまま答えた。

 ここは元妹の――今は理緒の部屋だ。

 彼女はショートパンツ姿でベッドに横たえていた。放り出された足が白く、まぶしい。が、それ以上に梓真の目を引いたのが、ぽっくりと膨らんだおなかだ。

「……」

「何よ。少しは喜んだら」

 妊婦さながらの腹部に、さすがの梓真も幻滅だった。

 彼女は何も悪くない。それどころか称賛されるべき行為の結果だ。

(そういや母さん、“今日は“ごちそうって――)

 つまり昨日のアレは“前菜“にすぎなかったのだ。

 たぶん一日がかりで用意した、繰り出される品々の料理を、食欲のない梓真に代わって、理緒が一手に引き受けてくれた。

「……そうだな、感謝してる。いろいろと」

「そう。ならいいけど」

(……あれ、なんの話だったっけか?)

「それで、そのあとなんだけど……」

(こいつ、いま、“喜んだら“っつたか? 喜ぶ? 何を? こいつと暮らすことを? 同じ家で……)

 はじける妄想に頬が火照る。

 しかしそこへ、理緒は冷や水を浴びせた。

「あなた、馬鹿だけど、お母さん思いよね。それだけは認めてあげる。だから、できることはやってあげるわ」

(馬鹿か俺は!)

 早とちりに気づいて顔がはいっそう赤くなる。

 ともかく落ち着きを取り戻し、彼女の言葉を繰り返した。

「二学期……」

「そう。八月まで」

「……そのあとは……」

「書き置き作戦でしょ。それもつきあってあげるわよ」

「ああ……」

「……言っとくけど、巻き込んだのはあなたなんだから」

「そりゃそうだがよ……」

 梓真は口ごもる。

 彼女の善意はありがたい。短い期間とはいえ、見ず知らずの人と同居してくれるというのだから。

 けれど、それは正しい選択だろうか? ひょっとしたら、彼女が戻ってこなかったほうが母にとって良かったのではないか。二ヶ月後に母は二度目の喪失を味わうことになる。かえって母の心をさいなみはしないだろうか?

 それでも彼女の好意を無にできない。なぜなら――

「お母さん、喜んでた」

「ああ、そうだな……」

 あれほどはしゃいだ母の顔は記憶のどこにもなかった。それをもたらしたのは紛れもなく彼女だ。

 梓真はそれに応えようとした。

「……ウチの事情、話しとくと――」

「あ、そういうの興味ないから」

 あっさりと断られ、困ってしまう。それを種に質問をするつもりでいたからだ。

「……」

「どうかした?」

「いや……おまえ、なんて言って出てきたんだ? その、家の人に」

「別にいいでしょ。大丈夫よ」

 疑問がいっそう深まる。

(どんな家だよ!?)

 そうツッコミたくなるほど。

 いよいよ質問がしづらい。

「……それじゃあ、どうして八月までか、ってのも――」

「それは、転校するから。遅くても九月には東京に帰らないといけないの」

「……そう、なのか……」

「ひょっとして、寂しい?」

 いたずらっぽい笑顔に梓真はどぎまぎとした。

「あ、ああ、残念だ。……また部員が減って、夕乃の攻撃材料が増える」

「ま、それまでは協力してあげるわ。せいぜい頑張りなさい」

「……」

「……ねえ、わたしも聞いていい?」

「ああ、なんでも聞けよ」

「あなたはオルターが怖い、人の心に入り込むから。輝矢はそう言ってたけど……」

(そのことか……)

 梓真はげんなりする。が、続く言葉は彼の想像と少し違った。

「輝矢自身はどうなの? オルターを、やっぱり嫌悪してるのかしら」

「あいつのことか……」

 ため息が混じる。拍子抜けと、嫉妬のスパイスが少々。

「あいつは……そうだな、合理的なやつだから。便利なツールぐらいにしか思ってねえだろ。電話やSNSみてえな」

 輝矢は、オルターを“心を繋ぐ道具“としてポジティブに捉えている。

 梓真らしい例えだし、たぶん正しい。彼以上に輝矢を知る者はいないのだから。

 しかし――

 この少女にとってのオルターが道具以上の存在であることは、これまでの態度から明らかだ。この回答に満足したのかどうか、

「そうなんだ」

 理緒は短く答えただけだった。


 まばゆい光に梓真は肌掛けを引き上げる。

 その耳元に誰かがささやいた。

「おにいちゃん、朝よ。起きて」

(……これは夢だ)

 だってありえない。しかし――

「おにいちゃん、お・き・てったら」

 跳ね起きる梓真。

 光の中に短い髪の輪郭があった。

「恩田……」

 彼女はぷっ、と吹きだし、指先を向ける。

「……何、その、顔……くっ……あははは……くっ……ふっ……もう、朝から笑わせないでよ」

「……なんだよ」

 少女はようやく笑いを収めて言った。

「お母さんに頼まれて仕方なく来たんだから。明日からは自分で起きなさい」

「……梓真、だ」

「え?」

「昨日、母さん変な顔してたろ。瑞希はな、俺を呼びつけで“梓真“って呼ぶんだよ。一つ違いだからってな」

「そういうことは早く言いなさいよ」

「んな暇なかったろうが」

「ま、いいわ。そっちのほうが気持ち悪くない」

「ああ、そうかい」

「そうね、ならわたしのことも“理緒“って呼んでいいわ」

「は? ……いや、ここじゃ“瑞希“だろ」

「あなただってわたしを“恩田“って言いそうになってたじゃない。名字と名前で使い分けるから混乱するのよ」

「そう……かもな……」

「とにかく、起こしたからね」

 柑橘の残り香を漂わせ、理緒はさっさと部屋を出てしまう。

 梓真はぼさっと朝日に染まる部屋を見つめ、記憶の糸を手繰った。

(こんな朝、いつ以来だ……)

「おはよう、梓真さん」

(いつもの母さん……? いや、もっと自然な……)

 階下の母が晴れやかな笑顔で迎える。リビングにも鮮烈な光が差し込んでいた。

 虚飾が彩る偽りの光。

 それでも梓真は願わずにはいられなかった。

(こんな朝が来ればいい。できれば、ずっと――)

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