第5話 あさひゆめみし、二人将軍

「会いたかったぞ」


そのイケメンは、うっとりと見惚れるばかりの

華のある微笑を湛えて俺を見つめた。


清盛の褌(ふんどし)を盗んでやろうと侵入した、あばら家。

そこには、あばら家に似つかわしくない超絶美形が佇(たたず)んでいて。


そして、その超絶美形が

俺を見た瞬間に口にした言葉が

「会いたかったぞ」

だったのだ。


……まぁ、私に?


キラキラ乙女モードになるのは当然のこと。


俺の心は一応男だが、身体は女だ。

こんな超絶美形に口説かれてときめかない女などいるものか。


それに俺は正直な話、男でも女でもどっちでも良かった。

前世でも、男女関わりなく、どちらでも美味しくいただいた。


とにかく美形が好きなのだ。


心のありようは顔に表れるもの。


真っすぐの心映えを持つものは

それが顔を真っすぐと輝かせる。

俺はそれを見るのが好きなのだ。


そして心に歪みのある者はどこかに歪みを持つ。

が、これは利用するに容易(たやす)い。

そういう意味では素直に歪みを見せる者も、

俺は人として好んでいた。


暗く屈折していた梶原景時も、

世辞ばかり上手な北条時政も、

愚直一直線の和田義盛も。


それにしても、目の前のコイツはすこぶるいい男だ。

俺はうっとりと、その超絶美形を見上げる。


色白で線が細く華奢に見えるが、意外に鍛えている。

一部の隙もないような無駄のない筋肉。

何か一つに偏(かたよ)るのではなく、様々な種類の武道を嗜(たしな)んだのだろう。


バスケットボールなども似合いそうだな。

大きくくり抜かれた首と肩から覗く美しい筋肉、

そして飛び散る汗を間近で眺めたいものだ。


うーん、美味しそう。

じゅるりとヨダレをこぼしそうになって、ハッとする。


そうだ。俺らは清盛の褌「蜂の比礼」を盗むために

清盛が家族と住んでいるという、このあばら家に侵入したのだった。


供に従えていた義経を振り返るが、

その姿は忽然(こつぜん)となくなっていた。


チッ。

舌打ちする。


あのヤロー、俺様を置いてさっさと逃げやがったな。

……つーことは、俺はただ一人の不法侵入者。


だけど、この超絶美形ってば

俺に「会いたかったぞ」と言った。

誰かと勘違いでもしてるのか?


「あ、あの……?」

言葉を濁して、イケメンの反応を待つ。様子を探るのだ。


「久方ぶりだな」

イケメンは、超絶スイートなとろけそうな笑顔で頷いてくれる。


うーん、やっぱり誰かと勘違いしてるっぽい。

こんないい男、いくら記憶を戻す前の普通の少女だった俺とて

記憶に残さぬわけがない。


仕方がないので、俺は秘技を使った。

名付けて『記憶を失った美少女』作戦。


「あの……私、どうしてここに。あなたは?

お名前を教えていただけませんか?」


不法侵入の罪から逃れ、

この男の素性も知ることが出来るっつー都合のいい記憶喪失技だ。


俺は殊勝な顔つき&上目遣いでイケメンに向かう。

そして、ここがポイント。

一番大事なのは名前だ。

このイケメンの名前を奪って、とっとと縛ってしまおうぞ。


この世の超絶美形は、皆みーんな俺様のものっ!


イケメンは目を細め、左右対称の美しい口を小さく開いて

麗しい声を上げた。


「源義仲」


……ん?


目を瞬かせて、その超絶美形を見上げる。


「よし……なか?」


問う俺に、

至極嬉しそうに頷き返すイケメン、いや、義仲。


「ああ、久しぶりだな、頼朝」


ブリザード。

俺は瞬時に氷漬けにされる。


おいおいおいおい……?


「お前を八つ裂きにする夢を何度も何度も何度も見たぞ。

目が覚めて、お前の姿が傍らにないことに何度絶望したか」


うっとりと告げられる言葉に、俺は頬を引き攣(つ)らせながら笑う。


「……あ、あは、やっぱり?」


源義仲。

木曾義仲だ。


俺の親父の弟の子。

つまり、俺様にとっては従兄弟。


「その白いふくよかな肌に、朱の線を書きなぞり、

血の海へと寝かせてやりたくて、その日を夢想しては血を滾(たぎ)らせた。

鼻血が出過ぎて、貧血になるくらいにな」


大きく大きく横に広げられる形の良い薄い唇。

その目はうっとりとまどろむように辺りにピンク色の色気を放つ。


「いやぁん、義仲ったらぁ。エッチなんだからぁ……」


俺は、手を可愛らしく丸めて頬につける子猫ポーズを取り、


それから

おもむろにその猫の手を地面に叩き付けた。


「それは、こっちの台詞(セリフ)だ!!」


中空に跳ね飛ぶ、石つぶて。


「こんの抜け駆け男っ!! ここで会うたが840年!

今度こそ、その無粋な正義面を張り飛ばして屈辱の色に染め上げてやる」


吹き荒れる風に、清盛のあばら家のトタン屋根が大きく揺らめく。


「出来るものならやってみろ」


義仲は両の腕を横に伸ばすと、大きく足を開いて踏みしめ、腰を深く落とす。

それから肘を膝につけると、片脚を大きく振り上げ四股(しこ)を踏んだ。


ドォ……ン!


大きな音ともに衝撃波が伝わり、俺は弾き飛ばされた。

大木に背をしたたかに打ち付ける。


「ぐぅ……っ」


痛ぇ……

つうか熱い。

息が出来ない。

受け身は苦手なんだ。


「相変わらず、なよなよとした動きだな。愛(う)いことだ」


義仲がゆったりと近付いてくる。

俺の目の前で足を止めると、細く美しい白い指で俺の顎(あご)を持ち上げた。


「ああ、血が……」


俺の唇の横を流れ落ちた血に指を添わせる義仲。

ヌルリと撫ぜ伸ばされる温(ぬく)いもの。


「美しいな、朱が良く似合う」


義仲は指を滑らせ、ぐるりと俺の唇を廻(めぐ)らせる。


「義仲……」


俺はゆっくりとその名を呼んだ。


「赦してくれ。私が悪かった」


義仲の目が見開かれる。


「裏切った私を赦せ。嫡男を殺した私を赦せ。……仕方がなかったのだ」


切れ長の目、榛色(はしばみいろ)した美しい瞳が光る。


「仕方が……なかった?」

「ああ」


義仲の指が顎から離れる。

その美しい目が、戸惑ったように揺れる。


「……ハッ!」


俺は弾かれたように立ち上がった。


「なーんつって……んなこと、本気で言うもんかよ! 騙されたな、義仲!」


握りしめた砂を容赦なく義仲の目に向かって投げつける。

同時につむじ風を義仲の周りに発生させた。

怯(ひる)む義仲。

それを後目(しりめ)に脱兎のごとく逃げ出す。


走って、走って、走って。

俺は必死に何も考えずにひたすら走って逃げた。




「ここまで来れば……大丈夫だろ」


ぜいぜいと肩で息をして、背の低い柵に手をつく。

足がガクガクと震えている。


「くそっ……今日は力を使い過ぎた」


駄目だ。しっかりしろ。ここで倒れるわけにはいかない。

ギュッと柵を握り、それを支えにしながらヨロヨロと足を引きずって進む。


誰もいない公園。薄くオレンジ色に光る街灯が

彷徨(さまよ)う影をアスファルトに落とした。


ざんばらに乱れた髪の毛、

大して鍛えていない為に細く滑らかに落ちる撫で肩。


その影は頼朝に思い出したくないものを思い出させる。


必死で逃げる間に無くした兜(かぶと)。

髪の中に隠し持った持仏(じぶつ)を窟(いわや)に隠して

長い髪を振り乱して走って逃げた。


石橋山、大敗を喫した俺は山の中に入って、月を見上げた。

たった一人、側についていた土肥実平も偵察に去って

孤独に月を見上げた。


誰もいない。

味方など誰もいない。


実平は裏切ったのかもしれない。

「死ぬ時は一緒だ」と固く誓ったはずの北条は付いてこなかった。

時政も宗時も義時も。


その時、タイヤの音がして、細身の自転車が脇を通り過ぎていった。


ハッとする。


違う、俺はトモだ。

今の俺は頼朝じゃない。


今は治承四年じゃないし、

ここは箱根の山ではないんだ。


落ち着け。

そうだ、義経を呼ぼう。


ポケットの中に手を差し入れ、犬笛を取り出す。

でも、それを口に運ぶ前にガクリと膝が地に落ちた。


カチン……

犬笛が手を離れてアスファルトに弾かれる。


それに向かって手を伸ばしながら、

俺は重くなる瞼を必死で持ち上げようと力をこめた。

でも指が銀色のそれに届く前に視界は真っ暗に閉じられる。


暗い闇の世界。

脳裏に浮かぶのは幼い少女の姿。

誰よりも愛しい妻の姿。


政子……


名を呼び、俺は意識を手放した。

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