第4話 往来オーライ、無礼の高平太

「あー、いねぇ……」

 下駄箱の前。

 俺はぜいぜいと息をついて肩を落とした。


 政子がいない。どこにもいない。

 ここに上履きが入っているということは校舎に戻ったわけではないようだ。先に帰宅したのかもしれない。

「せーこちゃんの馬鹿っ。一緒に帰ろうって約束したのに」

 乙女風に言ってみる。我ながら気持ち悪いが、端から見たら大丈夫なはずだ。だって俺さま頼朝様の今の姿は女子高生なんだから。

「あー、それにしても疲れたぁ」

 はふーと大きく息をつく。

 自慢出来たことではないが、俺は昔から持久力には自信がない。

 石橋山で敗戦した時も半ば生を諦めていた。だから洞窟の中に逃げ込んだのだ。走ったり登山したりして追手から逃げるのがしんどかった。あの時は梶原景時のおかげで命拾いしたが……。

「ま、今日のところは大丈夫だろ」

 家に帰ったのだろうと、俺は早々に諦めた。


「あ、兄ちゃん、いたいた!」

 ワンワン、と吠える声に、俺は憤怒の表情で振り返る。

「いたいた、じゃねぇ! てめぇ、今までどこにいやがった!」

「えと、弓道場の裏」

 義経が暢気な顔をして答える。

「なんで、んな所にいた? 雅仁を何とかしろと言っただろう」

「だってぇ、静ちゃんがいたから……」

「静がいたからどうした」

「呼び捨てにしないでよぅ」

 くねくねと動く義経の腰つきにイラッとした俺はその腰を蹴り飛ばす。だが義経は抜群の運動神経でそれを避けた。おかげで運動神経の悪い俺様は勢い余ってバランスを崩し、下駄箱へと激突する。

「ツネ、お前……っ! 大人しく蹴り飛ばされろ!」

 無茶な命を下す。それに対して義経はアハハと曖昧な笑みを返した。

「ごめーん、つい無意識によけちゃった」

 そうだ。こいつの脳みそは筋肉だった。考えるより何より、先に身体が勝手に動いてしまうのだろう。

 俺はため息をついた。相手にするだけ馬鹿馬鹿しい。前世と同じだ。この脳筋男にヤキモキさせられて、しまいには処分しなければならなくなるなんて、今世では避けたい。


「ツネ、おまえ政子を見なかったか?」

「んーん、見てない。でも……」

「でも、何だ?」

「あの人、本当に義姉上? 妙に大人しすぎない?」

 んー、と首を傾げる義経。俺は「ああ」と答えると校門に向かって歩き出した。

「政子はあんなもんだ」

 それから空を見上げる。

「それに、記憶を取り戻す前は俺だって普通の女子として生きていたしな」


 馬から落ちたのだ。クラブ活動の体験乗馬で。

 その途端、忌まわしい記憶が甦った。自分の死の記憶。

 前世の俺は落馬して死んだ。


 まだ死にたくない。死ぬわけにはいかない。

 なのに身体が動かない。目が開かない。耳は聞こえているのに指一本動かせない。

 胸にすがりついて泣く政子を慰めることも出来ず、食事もとれず水もとれず、そのうちに息すらおぼつかなくなって自分は死んだ。あんな惨めな死に方、絶対にもうしたくない。

「だから、俺はもう絶対馬には乗らないぞっ! 事故死なんて金輪際ごめんだっ!」

 拳を天に突き上げてそう誓った瞬間、後ろから突き飛ばされた。

「兄ちゃん、危ないっ!」

「……は?」

 後ろを振り返れば必死の顔をして腕を伸ばしている義経。

 自分はと言えば、横断歩道の口から3メートルもぶっ飛ばされている。目の前の横断歩道は赤。そして横から迫り来る大型トラック。


 オイオイオイ。

 義経め、まさか俺さまへの恨みを晴らすつもりじゃねーだろうな?

 雅仁め、まさか義経を既に取り込んだのか? 俺様を討てと?


 と、その時


 ガン、ガン、ガン、ガガッ!


 なんかすごい音がする。はた迷惑な音だ。

 スローモーションの中、その音の鳴る方に目を送った俺はそれを見た。


 高下駄を履き、ふんどし一丁の男が横断歩道の向こう側から走り込んでくる。

 いや、実際には着流しの着物を一枚羽織ってるっぽいんだが、風になびいてふんどしの前掛けしか目に入らない。


 しかも、そのふんどしは真っ白ではなかった。いや別に汚れてるって意味じゃないぞ。赤ふんでもない。

 普通は白の無地のふんどしが多いと思うんだが、そいつのふんどしの前掛けにはワンポイントがあった。Xのマークだ。


「ちぇえええすとぉぉぉぉぉ!!!」

 ガンガラガガガッ!


 うるせえ。

 こいつ、高下駄の底に鉄板でも入れてやがるのか?


 その高下駄が宙を舞う。

 ふんどし男は空飛ぶ俺を空中でかっさらうと、軽やかに横断歩道のこちら側へと着地した。

 その後ろを大型トラックが急ブレーキをかけながら通り過ぎ、そして止まる。


「急に飛び出して来るなっ! 死ぬ気かっ!?」

 トラックの窓が開いて罵倒される。だが俺はそんなことを気にしてる場合ではなかった。


「大丈夫か?」


 黒々と鋭く光る大きな目、太い眉。結構彫りの深い、なかなかに面構えの良い男だった。

それに見下ろされ、至近距離で安否を問われる。

「え、あ、う……」

 物凄く動揺してしまう。


 長くボサボサと伸び放題の髪。それを後ろにポニーテール状にまとめている。

角張った顎、高い鼻筋、太い首、少し歪んで持ち上がる口元。盛り上がる肩の筋肉。胸の筋肉。それらから立ち上る男のニオイに、俺はクラクラとした。

 

俺は……俺さまはっ、こういういかにも男らしい男ってヤツが大嫌いなんだっ!

 生前の俺とは正反対のタイプ。


大体、なんでこの時代のこんな場所に、裸にふんどし一貫の男がいるんだよ。


「大丈夫だ」

 うぷ。

 俺は催した吐き気に、そっと口元を抑えて顔を背ける。

 が、ふとソレを思い出してもう一度向き直った。視線を落とす。


 そうだ、問題はこれだ。

 この男のふんどしの前掛け部分。

 そこにはxのマークがあった。

 ただのxマークではない。xマークの先端は三日月のような刃の形をしていた。その刃を留める四つの丸。

これは……


「蜂の比礼……」

 俺は小さく呟く。

 間違いない。これは十種神宝の一つ『蜂の比礼』の紋だ。

 その昔、大国主命が素戔嗚尊の館に泊まった時に婿いびりに遭い、蜂がいっぱい籠められた部屋に閉じ込められた。だが大国主命がスサノオの娘に貰った『蜂の比礼』というスカーフ状の布切れをパタパタと振ったら、蜂は寄ってこなくて一晩平和に眠れたってヤツだ。

 なんで、そんなマークがふんどしに描かれている?

 確かに『蜂の比礼』は魔除けで、古代の祭司が下半身を隠す為に使用したものらしいが……。


「オイ」

「ん? なんだ?」

 声をかけられた俺は顔を上げる。高下駄男と目が合った。


高下駄男は、口をひん曲げ、真っ赤な顔をしていた。その顔で俺様を睨みつけると吐き捨てるように言う。

「女のくせに、んなとこジロジロ見てんじゃねーよ!」

「……は?」


 言われて、はたと気づく。自分の体勢に。


俺はバッと顔を上げ、そして慌てて立ち上がると高下駄男に指を突きつけた。

「んなもん付けてるお前が悪い!」

 それに、俺が興味あるのはそのマークだけだっ!


 高下駄男も赤い顔をしたまま立ち上がると、はだけた着物を慌てたように前で合わせ直す。それから、ガリガリと頭をかいた。

きたねぇっ!


「お前、名は?」

 問う高下駄男に、俺さまの心がメラメラッと燃え上がる。

「人に名を訊ねる時はまず自分が名乗れ」

 こちらが名乗る価値のある相手なのかどうか。名を取られるに値する貴種なのかどうか。

 俺のその発言に男は一瞬眉をひそめた。だが、憮然としたままの顔ながら小さく口を開く。

「俺は、高平太だ」

「たか……へいた?」

 繰り返す俺に男は頷き、それから俺の答えを促す。

「ああ、そうだ。で、お前は?」

 俺はこくりと唾を呑み込んだ。

くそっ、それは本当の名じゃねえじゃねーか。

 だが仕方なく小さく口を開く。

「朝……」

「トモ?」

「そ、そうよ」

 女言葉にすり替えて答えながら、俺はざわざわと背を走る悪寒に必死で耐えていた。


 平太は名ではない。平家の太郎って意味だ。

 源氏の太郎であれば源太と呼ばれる。俺の兄、悪源太義平が有名だ。

 高平太とは、高足駄を履いた平家の長男の意味。平家物語で伝えられるところの平清盛の元服前の通り名みたいなものだ。

 こいつ……清盛か。

 

「兄ちゃん、大丈夫?」

 その時、おずおずとかけられた義経の声に、俺はハッと我に返った。清盛も義経へと目線を送り、その途端、驚いたような顔をした。

「あれ? お前、確か……」

 義経がぱあっと明るい顔になる。

「あれ! もりりん?」

「義経じゃねーか! 久しぶりだな!」

 二人は互いにガシッと手を握り合う。

「そっか。お前、この学校の生徒だったんだ」

「うん、そう。もりりんはどうしたの? 今日って練習試合でもあったっけ?」

「いや、実は前の学校を追い出されてな。そしたらここの理事長が貰ってくれるってさ。特待生ってヤツだっていうから喜んで承諾した」

「わぁ、もりりん、すごーい!」

「うちは貧乏だからな。どこだってタダで卒業させてくれるなら助かるぜ」

「もりりんは苦労症だねぇ」

「大家族だしな。弟妹たちは俺が養ってやらねえと」

「偉いねぇ。そういえば弟くんは元気になった?」

「ああ、あいつは生まれつき身体が弱いからな。でも今はもう元気に登校してるよ」

「へぇ、それは良かった。でさ……」

 放っておいたら、そのまま会話から置いて行かれそうな雰囲気に、慌てて俺は義経の袖を引っ張る。

「ちょっと、義経! 知り合いなの?」

 俺の問いに、義経は嬉しそうに「ワン!」と頷いた。

「そう。練習試合とか地区大会とかでよく顔を合わせるんだー」

「……へえ」

「戦績は72戦中、オイラの37勝だったよな?」

 そう言って清盛を楽しげに振り返る義経に対し、清盛は不敵な笑みで答える。

「オイ。義経、お前寝ぼけてんじゃないのか? オレの37勝だろ」

「えー、だって、この前の竜神戦は読み手が下手だったから、不戦にしようって言ったじゃん?」

「その後にもう一戦やっただろ?」

 そうして男二人がまたイチャイチャと盛り上がっていく。その内容はどっちがどうでどれだけ速かったとか鋭かったとか、正直よくわからんし、勝敗の数も三十七だろうが三十八だろうが、大した差じゃないと思うんだが、とにかく話の勢いは止まる気配を見せない。女子のお喋りより余程タチが悪い。俺はムリムリ二人の間に顔を突っ込んだ。

「ツネって何の部活に入ってたんだっけ?」

「競技かるたと相撲だよ」

 義経が得意げに答える。

「……ふーん」

 なんだ、それ。サッカーとかバスケとか答えろよ。せめて弓道か剣道だろ?


「おっと、約束の時間に遅れちまう。じゃあ義経、またな」

 そう言って清盛は校門に向かって歩き出した。


それから振り返る。

「トモ、またな」

 途端、ゾゾッと背中を走る悪寒。俺はその刺激に耐えかねて叫んだ。

「呼び捨てにするなっ!」

 清盛は高笑いしながら行ってしまった。


 背が凍るのは誇張ではない。俺は昔からあいつの存在自体が怖かった。恐ろしかった。死んでくれて一体どれだけ安心したことか。


「あいつ、清盛だろ?」


青に変わった横断歩道を渡りながら義経に問う。義経はパタパタと追いついてきて返事をした。

「もりりんのこと? うん、そうだよ」

 その答えの淡白さ加減に俺は頬を引き攣らせる。義経、やっぱり信用ならねぇ男だ。

「でも、清盛の時の記憶はないみたいだけどね」

「あいつ、高平太って名乗っただろ。なのに何でおまえはもりりんって呼んでるんだよ?」

「あ、オイラが教えてあげたんだよ。君の前世は清盛だよって」

「……は?」

「だって、オイラの名前のこと、かっこいいって褒めてくれたからさ。お返ししなきゃって思って」

 にぱっと笑う義経に、俺は心の底から脱力をした。

「褒めてくれたからお返ししなきゃって……?」

「うん、そう」

 俺はしばし黙って前世の弟を見つめると、ハァとため息をついて歩き出した。

「あ、待ってよ」

 犬のように追いかけてくる義経。

 

 そうだ、コイツはそういうヤツだ。

 身を預かって貰えば、一宿一飯の礼をし、

 官位を貰えば、喜んでその為に働こうとする。

 その与えられる全てが無償の愛などではないこと、与える側の企みが潜んでいることなど考えもしない。


「おまえさ、恨みとかないのか?」

「ないよ」

 さらっと答える義経。

 立ち止まり義経を睨みつける俺に、義経は困ったように笑みを浮かべると俺を抜かして横断歩道を渡り切る。

さらっと和歌を口ずさみながら。

「世の中は常にもがもな渚漕ぐ 海人の小舟の綱手かなしも」

「……は?」

 俺は思わず聞き返す。

「ん?」

 義経が振り返った。それから俺に向かって手を差し出す。無意識にその手を掴んだら、ぐいと横断歩道のこちら側へと引き寄せられた。その俺の背の後ろを白い車が走り抜けて行く。

「兄ちゃん、知らないの? 自分の息子の詠んだ歌なのに」

「いや、歌は知ってるが……」

 中学生の時、正月に無理矢理暗記させられた百人一首。この句を詠んだのは三代将軍・源実朝。つまり俺さまの次男だ。

「こういう平和がいつまでも続けばいいなぁ、って意味でしょ?」

「ああ」

 俺は曖昧に頷く。

「実朝ちゃんは、兄ちゃん譲りで和歌の才能があったんだね」

 義経は憂いを含めたような顔で遠く空を見上げた。それに引きずられて俺も空を見上げる。

 そうだ。自分が死んだ時、千幡(実朝)はまだ八つ。可愛い盛りだった。

 その後まさか甥っ子に殺されるなんて……。


 そこで、はたと気付く。

 いやいや待て。問題はそこではない。

「義経、お前、和歌なんか得意だったか?」

 義経が足を留めた。

「うーん、どうかな」

 ふわりと笑う義経。

 俺は口を結んだ。義経の愛妾だった静の歌才は見事なものだったが、義経がどうだったかは正直覚えていない。


「そう言えばお前、さっきはよくも俺様のことを突き飛ばしてくれたな」

 義経の耳をギリギリと引っ張る。

「アイタタタ……ごめーん、だって蜂がいたんだよー」

「蜂……? あっ!」

 清盛のふんどしのマークのことを思い出す。それから俺は脱力してその場にへなへなと座り込んだ。

「アイツ、清盛のヤツ、なんて……なんって『蜂の比礼』をもったいない使い方しやがるんだ!」

 俺は憤慨する。

 なんで、よりにもよってふんどしなんだよ……。


「あ、あれが蜂の比礼なの? じゃあ、今晩、洗濯するタイミングがチャンスだね」

 その途端、オゾゾッと全身を走る虫酸に俺は叫ぶ。

「いやだぁ!」


 平清盛。

 俺の父の親友であり仲間であり、俺の父の敵であり仇である男。

 俺を生かした男。俺を殺せと命令して死んだ男。


 そして、俺の永遠の憧れ……。

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