第四章 咲かない花5

(しまった……)

 いくら妹溺愛状態となったルベールがこれくらいはっきり言わなければ、理解してくれないことを知っているとは言え、この発言はさすがにまずい。


 まして、カメリアはセロイスに協力すると約束したのだ。


(これでは協力するどころか、潰しにかかってるじゃないか!)


「兄上、あの、今のは……」

「……セロイス」

 カメリアが固まるルベールを見れば、ルベールは静かにセロイスへと視線を移した。


「……今、カメリアが言ったのは、どういうことなのかな?」

「どういうことだと言われても、今言った通りだが」


 そう答えた直後、セロイスは剣を手にすると、飛んできた何かを弾き飛ばした。


 セロイス床に叩き落したものは一本の万年筆だった。


 万年筆が飛んできた方向を見れば、そこには先程と変わらない笑みを浮かべたルベールの姿があった。


「ごめんね、ちょっと手がすべって」


 絶対嘘だ。

 その場にいた者達は皆思ったものの、口には出すことはできなかった。

 どんな手のすべり方をすれば、あれほど正確に万年筆を投げることが出来るのか。


 確実に、あれはセロイスの目を狙っていた。しかし、目を狙われたセロイスはというと顔色を変えることもせず、床に落ちた万年筆を拾い上げた。


 一体何をするつもりなんだ。

 周囲の者達が見守る中、セロイスはルベールへ万年筆を差し出して言った。


「気を付けろ……傷がついたらどうするんだ」


 セロイスの言葉にカメリアの周囲からはセロイスの対応を称賛する声が上がる。


「さすがセロイス様」

「このような時でも落ち着いているとは」

「それもルベール様に気遣いの言葉までかけられるなんて」


 しかしカメリアは違うことを思っていた。


(今のはおそらく兄上の手に傷がついたらどうするんだと言いたくて言い損ねたうえに、今の兄上には逆効果の言葉だぞ!?)


 セロイスから万年筆を受け取ったルベールだったが、ルベールの手の中で万年筆が音を立てたかと思うと真っ二つになっていた。


「それは僕の台詞なんだけどね」


 ルベールの笑顔はひどく恐しかった。


(少しでもセロイスが兄上と一緒にいられるようにと考えた私が間違えだったのか)


 ルベールの自分に対する溺愛振りをカメリアは甘く見ていた。


 まさか顔を合わせた途端、こんなことになるとは思ってもみなかったのだ。


 そんな危機的な状況をセロイスは理解しているのか。


 セロイスがとった行動は言ってみれば、敵に武器を返すようなものだ。


(大丈夫なのか?)


 不安を覚えるものの、セロイスを見たカメリアは思い直した。


 ルベールを見るセロイスの瞳は今まで見たことのないくらいに優しいものだった。


 これ程までに何かを語るような目をした人間をカメリアは知らない。

 そんな瞳を向けられているルベールが、何故セロイスの想いに気が付かないのか。カメリアにはわからなかった。


(あぁ、そうか……)


 恋とはひどく恐ろしいものだと、カメリアは思っていた。


 たとえ自分へと向けられるものがどんなものだったとしても、その目に自分が映っているということだけで幸せになれる。


 これが恋というものなのか。


 そう思った途端、カメリアは胸が苦しくなった。


(何だ、今のは?)


 不思議に思ったカメリアは胸元を押さえてみれば、上着越しからでもはっきりと伝わってくる鼓動はまるで全力疾走した後のように早い。何故こんなことになっているのか。


「これはまた随分と楽しそうなことをやっているな」


 後ろからそんな言葉を投げかけてきたのはロベルトだった。


「お、王子! これは、その!」


 兵達は慌てて自分の持ち場へ帰ろうとするが、それを引き止めたのはロベルトだった。


「安心しろ。俺は何もお前達を咎めるために、わざわざここにやって来たわけではない」


 突然姿を現わしたロベルトにざわめく兵達を前に、ロベルトは口を開いた。


「俺がここに来たのは、皆に舞踏会の開催を知らせるためだ」


 ロベルトのその知らせに、ざわめきは更に大きなものとなった。


 舞踏会はパートナーとして気になる相手を誘う絶好の機会でもあり、誘う相手のいない者達にとっては貴重な出会いの場所でもあるのだ。


 しかし城を挙げた舞踏会となれば、それなりの準備期間が必要となる。


 そのために城の者達へは事前に様々な伝達がなされるはずなのだが、カメリアの耳にそういった伝達は全く届いていない。


(また私にだけ伝達が届かなかったのか)


 そう思ったカメリアだが、周囲の様子を見るとどうやら皆今初めて聞いたようだ。


「しかし急に舞踏会を開催するとは、どういうことですか?」


 その場にいる者達の疑問を代表するようにロベルトへたずねたのはセロイスだった。


 大体の行事の時期は決まっており、今の時期は特にこれといった行事はなかったはずだ。


「確かに急であることは否定できない。だが、それも仕方ないこだ。これはただの舞踏会ではないからな」

「ただの舞踏会ではない?」

「そうだ。これはお前達、紅蒼の騎士を披露する場でもある」


 ロベルトの一言にカメリアへと一斉に視線が集まる。


 紅蒼の騎士の披露となれば、ただの舞踏会とはわけが違う。

 それに参加することは紅蒼の騎士を認めるということになるのだ。


 そんな舞踏会にカメリアを嫌う者達が参加するとは思えなかった。

 実際に今でも舞踏会と聞いて喜んでいた者達が、紅蒼の騎士の披露の場だと聞いた途端に先程喜びが嘘のように黙り込んでいる。

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