第四章 咲かない花2

(ずいぶん懐かしい夢を見たな……)

 女は騎士になれないことを知ったあの日、夜の虹に願い事をするために家を抜け出したカメリアはそこで少女と出会ったのだ。


 あの夜以来、カメリアが少女と出会うことはなかった。

 少女が今どうしているかはわからないが、カメリアと同じように夢を叶えていればと思う。


 夜空の下で見た少女の笑顔と繋いだ手のぬくもりは、今でもはっきりと覚えている。


(そう言えば、あの子の夢をたずねるのを忘れていたな……)


 そんなことを考えながらはっきりと目を覚ましたカメリアの視界に飛び込んできたのは、セロイスの寝顔だった。


「っ……!」


 昨日までの出来事を思い出したカメリアはどうにか声を押し留めるとともに、抱え込んでいたセロイスの腕から手を放した。


(そうだ、こいつと寝食を共にすることになったんだな)


 しかし背を向けて眠っていたはずのセロイスが、なぜカメリアのすぐそばで眠っているのか。


 ベッドから身体を起こそうとするカメリアだったが、それはセロイスの腕によって阻まれてしまった。


 寝ぼけているのかセロイスはカメリアを抱き締めたかと思うと、さらに自分の方へ引き寄せようとする。


「何をするんだ、お前は。私を枕かなにかと間違えているのか?」


 どうにか腕を突っ張って拒否するカメリアだが、セロイスの腕の力は眠っているとは思えないほど強く、この抵抗もいつまで持つかわからない。


「おい、いい加減起きろ!」

「……ん」

「聞いているのか!? 寝ぼけてないで、とっとと起きろ!」


 カメリアは必死に呼びかけるが、セロイスが目を覚ます気配は全くない。


 まさかセロイスの寝起きが悪いなど思いもしなかった。


(意外な一面を知ってばかりだな)


 普段は一体どうやって起きているのか不思議だが、このままでは身支度もできない。


 困っていたカメリアの耳に扉をノックする音が聞こえてきた。


「セロイス様、カメリア様、おはようございます。あの、もう起きていらっしゃいますでしょうか?」


 扉の向こうから聞こえてきたのは、セロイスの屋敷に仕えているメイドの声だ。


(助かった……)


 カメリアは扉の向こうにいるメイドに向かって声を上げた。


「ちょうどよかった、とりあえず部屋に入って来てくれないか?」

「ですが、セロイス様の許可なく部屋に入るわけには……」

「もし、何か言われたら私に頼まれたと言えばいい。とにかく入って来てほしい」

「……で、では、失礼します」


 控えめに扉を開けて部屋に入ってきたメイドは部屋の状況を見た途端、顔を赤くしたかと思うと戸口で固まった。


「本当に助かった。ずっと離してくれなくて困っていたところなんだ」

「ず、ずっと……」

「悪いが、こいつをはがすのを手伝って」

「お、お邪魔いたしました!」


 くれないか、とカメリアが言い終えるよりも早くメイドは叫ぶように告げると、慌ただしく部屋から出て行った。


「ちょっと待て! これをどうにかしてくれ!」


 呼び止めるカメリアの声もむなしく扉は閉まり、メイドが廊下を駆けていく足音だけが響いていた。


「……何をあんなに慌てていたんだ?」

「普通は慌てるだろうな」


 カメリアに答えたのはいつの間にか目を覚ましたセロイスだった。


「起きているなら、そう言え!」

「起きてなどいない。メイドの叫び声で目が覚めたばかりだ」


 セロイスはあくびをし、少し潤んだ目をカメリアに向けた。


「それよりも、どうしてあんなに慌てて部屋から出ていったんだ?」

「この状況を見れば、慌てて当然だろうな」


 セロイスに言われて、カメリアは自分の置かれている状況に気付いた。


 セロイスの腕はカメリアに回され、セロイスを引き剥がそうとセロイスに回した腕はそのままになっており、これではまるでふたりが抱き締め合っているように見えなくもないのだ。


(さっきのメイドの様子がおかしかったのは、そのせいか!!)


 なぜメイドが固まっていたのかを理解したカメリアは頭を抱えたくなった。


「どうした?」


 セロイスはカメリアの顔をのぞき込んだかと思うと、カメリアの額に手を伸ばした。


 突然のセロイスの行動に驚くカメリアだったが、何故か手を振り払うことは出来なかった。


「熱でもあるのか? 顔が赤いぞ」

「いや、これは……」


(まさか今さら恥ずかしいとは絶対に言えない!)

 必死に言い訳を考えるカメリアを見ていたセロイスは、やがてなにかに納得したように口を開いた。


「気にすることはない。恥ずかしがるほどのやわらかさはない。むしろよく鍛えていると感心する固さだ」

「……っ!」


 カメリアは言葉を口にするかわりに、セロイスの頬へと目掛けて手を振り下ろすと、剣や上着を手に部屋を後にした。



 勢いよく閉まる扉の音をセロイスは頬を痛みに耐えながら聞いていた。


 カメリアが妙に気にしているようだったので、気にする必要はないと伝えたまでにすぎなかったのだが、逆にカメリアを怒らせてしまったようだ。


(日頃の努力の成果が筋肉に出ていると褒めたつもりだったんだが……)


 何が悪かったのか、セロイスにはわからなかった。


 こういう場合は本人に聞いてみるのが、一番早いだろう。


 そう結論を出したセロイスは城に行くため、身支度を整えるのであった。

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