第二章 そして王子は逃亡する3

「……おい、いいのか?」

「何がだ?」


 セロイスは周囲の困惑には気づいていないのか、平然とした様子で歩みを進めている。


 カメリアがセロイスと距離を詰めると、周りの空気が驚きで跳ねたようにかんじるが今はそんなことを気にしている場合ではない。


 カメリアは周囲に聞こえないように小声でたずねた。


「私達のこの状況について、いいのかと言ってるんだ」

「状況?」


 ロベルトに仕えているふたりだが、常に行動を共にしているわけではない。


 どちらかがロベルトの護衛に付き、もうひとりが兵達の指導などにあたることが多い。


 カメリアの剣の腕は指導を付けられるにあたって問題はないのだが、ロベルトの隣に付くことはカメリアの役割になっていた。


 職務中ですら一緒にいることのないふたりが、職務でも何でもない時間にふたりで一緒に、それも隣り合っていれば周囲の者が驚くのも無理はないだろう。


「何も知らない者達からすれば、私達が職務でもなく、こうしてふたりでいるのはおかしいだろう」

「……そういうものか」

「そういうものだ。お前はもう少し周囲の目を気にした方がいいと思うぞ」

「なるほど……」


 どうやらセロイスは周囲の困惑には全く気づいていなかったようで、カメリアの話を聞いて少し考えたような素振りを見せたかと思うと、ふいに廊下の真ん中で足を止めた。


「どうしたんだ、急に?」

 急に止まったセロイスを不思議そうに見るカメリアに一度目をやったかと思うと、セロイスは自分達をうかがうようにしている周囲の者達へと告げた。


「このたび、俺はカメリアと婚約をし、夜を共にした。よって俺とカメリアが共にいることはなにひとつとして不思議なことはない」


 セロイスの突然の報告に周囲の者達は何も言えず、ただセロイスを見ていたが、やがてその視線はカメリアへと集まってきた。


「は……?」

(今、セロイスはなにを言った……)

 カメリアも何も言えなかったが、次第に自分へと集まってくる視線に、セロイスが言ったことの意味をようやく理解した。


「おい、ちょっと待て!」

「なにをそんなにあわてているんだ?」

「あわてるに決まってるだろう! なにを言ったかわかってるのか、お前は!?」

「あぁ。カメリアと婚約して夜を共に」

「わざわざ言わなくていい! そもそもどうしてそういうことを言うんだ、お前は!?」

「事実を言ったまでだ。なにが悪い?」

「事実だとしても、わざわざそれを言う必要はないだろう」

「言う必要はある。お前は俺の婚約者だからな」


 セロイスはカメリアの肩に腕を回し、カメリアを自分の元へと引き寄せると耳元で告げた。


「それに約束しただろう」

(こいつ……わざとか)


 セロイスのとった行動に周囲が騒然とするのがわかった。

 何も知らない者達からすれば、セロイスがカメリアの肩を抱き寄せ、まるで婚約者を他の男達にとられまいとしているようで、その様子は端から見れば、ひどく初々しいものに見えるだろう。


 しかし実際のところは約束した以上は逃がさないという宣告に近いもので、婚約という響きから連想される甘さのひとかけらすらもふたりの間には存在していない。


 セロイスが周囲にカメリアとの婚約をアピールしていたのはカメリアの逃げ道をふさぐためで、いつかは知られるとは思っていたが、こうなってしまっては婚約を隠すことはできないだろう。


 加えてカメリアはこの期に及んでセロイスに逃げると思われていたことに対して無性に腹が立っていた。


(そっちがそのつもりなら、私も正々堂々宣言してやるだけだ)


カメリアは呆然とした様子でこちらを見ている周囲の者達に向かって告げた。


「あぁ、そうだ。今、セロイスが言った通り、私達は婚約し、そして夜を共に過ごした! 今日こうして共にいるのはセロイスの屋敷から城に来たためだ!」


 カメリアの宣言に完全に固まってしまった周囲の者達を気にとめることもなく、カメリアはセロイスに言った。


「これでいいんだろう」

「ふっ……」


 堂々としたカメリアの宣言を聞いたセロイスは小さく笑った。


「どうして笑うんだ!?」

「いや、まさかこうも堂々と婚約を宣言するとはな」

「なっ、そっちが先に言ったんだろう!?」


 セロイスはいまだ呆然とする周囲に目を向けた。


「まぁ、そういうことだ……これが当たり前の光景だと理解してくれるとありがたい。互いのことを理解するために俺の屋敷で共に過ごすというのに、毎回こうではかなわないからな」

「おい待て、お前の屋敷で過ごすなんて、聞いていないぞ!?」

「案ずるな。必要な物はすべて屋敷に運び込んである。今朝言っただろう」


 だから、セロイスの屋敷にカメリアが着ている服などがそろえてあったのか。


(妙に準備がいいと思っていたが……)


せいぜい数日間をセロイスの屋敷で過ごすだけだと思っていたカメリアにとっては寝耳に水だった。


「話をまともに聞くどころではなかったか?」

「当たり前だ。あんな状態でどう話を聞けばいいんだ」


 今朝はセロイスのこともそうだが、部屋にやってきたメイド達はやたら張り切ってカメリアの世話を焼き、入念に肌の手入れなどをされて、とてもではないがまともに話を聞ける状態ではなかったのだ。


「あんなことは初めてだったんだ」

「どうも張り切ってしまったようだ。気をつけて見ておくようにしよう」

「そうしてくれるとありがたい。私もあんなことは初めてだからな」

「まぁ、言うことを聞くかは別だが」

「あれが毎日続くのはごめんだが……おい、聞いているのか!?」


 先を行くセロイスに気づいたカメリアは、あわててセロイスを追いかけていった。


 やがてふたりの足音が聞こえなくなっても、その場にいた者達はなにも言えなかった。

 一体、自分達はなにを聞かされていたのだろうか。

 脱力感と羞恥が混ざり合った奇妙な沈黙が続く中、やがてひとりの若い兵が口を開いた。


「なぁ……今、なんて言ってた?」


 その一言をきっかけにして、他の兵士達も口を開き出した。


「婚約とか、言ってたよな」 

「しかも、夜を共にしたとか何とか……」

「その後もなんか色々言ってた気がするけど」

「――……」

 しばしの沈黙の後、言葉にならない男達の叫びが城の中に響き渡った。

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