第15章

ついこの間入学したばかりだと思っていたのに、もう5月になってしまった。


最近奇妙な経験ばかりしているので、時間が過ぎるのがあっという間だ。


僕は今、新幹線に乗るために新大阪駅に向かっている。


そう、ゴールデンウィークで学校が休みになったので、実家に帰ろうとしているのだ。


本当はJRで時間をかけてでも安く帰ろうと思っていたのだが、親がお金を出してくれるというので言葉に甘えて新幹線を利用することにした。


慣れない新幹線にそわそわしていると、スマホが震えた。


美由紀さんからLINEが来ていたのだ。


見ると、梨花さんとの3人グループに日程調整が張られていた。


また5月中にでも集まろうという誘いだ。


僕は予定帳を確認しつつ、日程調整に回答した。


新幹線は値段相応のスピード感で、あっという間に地元に到着してしまった。


車内で読もうと思っていた本もほとんど読めなかった。


約1ヵ月ぶりとはいえとてつもなく久しぶりに感じる地元は、最近都会に慣れつつある自分にはすごく小さな町に感じた。


母親の迎えの車に乗り、僕は実家へと帰った。


実家に入ると、実家の匂いが鼻にすうっと入ってきて、安堵感が全身に広がった。


既に父親も帰宅しており、僕は久しぶりに家族3人の夕食を楽しんだ。


話題はもちろん僕ぼ大学生活のことだ。


両親は僕の話に興味津々だった。


とくに大学に通ったことのない母親は、身を乗り出して僕の話に耳を傾けていた。


時間はあっという間に過ぎ、時間は夜11時を回っていた。


父親は仕事で疲れているらしく、もう寝ると言って寝室へ行ってしまった。


僕は母親と二人でテレビを見ながら談笑していた。



「お父さんったら、今日は武政が帰ってくるからって張り切って仕事してたんでしょうね。もう歳なんだしすぐ疲れちゃうんだから」


「まあお父さん昔から早寝早起きだしね」



そんな話をしているとき、僕はふと思い出したことを母親に尋ねてみた。



「ねえお母さん、僕ってどんな小学生だった?」



母親の身体が少しだけぴくっと震えた。


そして、少し焦ったような口調で答えた。



「え?し、小学生?なんでまたそんな昔の話…」


「いや、最近ふと小学生時代の話をする機会があってさ。僕も思い出を語ろうと思ったんだけど、不思議なぐらい全く記憶がないんだよ。部分的に覚えてることはあるんだけど…」


「…もう昔のことだし忘れちゃったんじゃない?」


「いや、覚えてることは本当にはっきり覚えてるんだよ。なんなら入学式の日のこととかも。でもほんとにぽっかり記憶に穴が開いてるみたいなんだ。お母さん、なんかさっきから焦ってるけど、心当たりあるの?」



母親はまたもぴくっと震えた。


なんだ?母親は何か知っているのか?



「ねえお母さん。何か知ってるなら教えてくれないかな?自分のことが全く分からないってなんだか気味が悪いしさ」



母親は気難しい顔をして黙り込んでしまった。


こんな顔の母親を見るのは珍しい。


いつもの明るい母親とは正反対だ。



「…武政。本当はこのことは黙っておこうと思ってたの。あなたは本当に驚くだろうから、真実は伝えないようにしていたの。…でも、どうしても聞きたいの?」



声のトーンが急に真剣になった。


僕はごくりと唾をのんだ。



「うん、構わないよ。自分のことは知っておきたいし」



母親はふうと息を吐くと、僕に向き合ってこう言った。



「あなたはね、小学生の頃交通事故にあったの。小学校の前で車に撥ねられたの」



衝撃的だった。


僕はそのことを全く覚えていなかったのだ。



「その時あなたは頭を強く打って、しばらく寝たきりになっていたの。そして目覚めた時、あなたにいろいろと質問したんだけど、記憶が部分的に抜け落ちてしまっていたのよ。所謂記憶喪失ね。自分の名前とか、最低限度の知性とかが失われなかったのは不幸中の幸いだったわ」


「…それはいつ頃のことなの?」


「武政が小学4年生の頃よ。3月の頭だったから5年生になる直前ね。それで、あなたは5年生の間ほとんど学校を休んでいたの。3学期頃には退院して学校に戻れたんだけどね」


「その辺の時期のことは確かに覚えてる。でもそれより前の記憶は…」


「記憶喪失と、寝たきりだったので記憶が抜け落ちてしまってるのよ。…私武政が目覚めた時に、記憶喪失だってことは伝えなかったの。事故の日のことは覚えていないみたいだから、変に刺激してその時の辛い記憶を思い出さないように…。あなたはすっごく大きな寝坊をしちゃったのよって…。明日は学校に行こうねって…」


「…そう、なんだ…」



僕たちは無言になってしまった。


まさか過去にそんなことがあったなんて。


そして自分がそのことをきれいさっぱり忘れてしまっていたなんて。


にわかに信じがたい内容だったが、母親が言うのだから間違いないだろう。



「ごめんね武政。驚いちゃったよね。でもね、幸い後遺症とかは残らなかったし、体のけがも事故の規模の割には軽いものだったのよ。だから現在には何の支障もないわ」


「…うん、そうだね。少し驚いたけど、昔の話だもんね…。…聞かなかったことにして忘れるよ」


「うん、無理に辛いことを思い出す必要はないわ。あなたはせっかくいい大学に合格できたんだし、お友達もたくさんいるんだから、今を楽しく生きなさい」


「ありがとう、お母さん」



そんな会話の後、僕たちはどちらからともなく寝る準備をし始めた。


久しぶりに親子で暗い話をしてしまい、気まずくなったのだ。


僕はまだドキドキしている心臓を何とか落ち着けつつ、久しぶりに実家のベッドに横になった。




帰省した日から2日後。


今日は梨花さんと2人で僕の小学校に行く日だ。


日曜日なので生徒はいないだろうし、お願いすれば校内を見学ぐらいはさせてくれるかもしれない。



「お父さん、ちょっと出かけてくるね」


「ああ、いってらっしゃい」



母親は洗濯をしているらしく声の届く部屋にいなかったので、僕はそのまま家を出て、集合場所へと向かった。




今日の梨花さんは集合時間通りにやってきた。


やはり1時間ほど電車に乗らねばならないのが遅刻の原因だったのだろうか。



「この町で武政君と会うなんて新鮮だね。じゃあ、行こうか」


「ですね。あ、こっちです。今日は僕が案内しますよ」



梨花さんが早速歩き出そうとしたので、僕は速足で梨花さんの前を歩いた。

そんな僕を見て、梨花さんは微笑んでいた。


小学校にはすぐに到着した。


久しぶりに見る校舎は、通っていた当時よりかなり小さく感じた。



「ここが僕の小学校です。なかなか立派なもんでしょ?」


「本当ね。3階建てなんだ」



僕たちはフェンスに囲まれたグラウンドを眺めながら、正門のほうへと歩いた。


しばらく歩いていると、正門が見えてきた。


学校の前には車どおりが激しい道路があり、正門の少し手前には横断歩道があった。


あの信号機見覚えあるな、なんて思いながらそこを通り過ぎようとした時だった。



「ねえ武政君、この辺りで1枚描いてもいいかな?」


「え、こんなところでいいんですか?横断歩道なんて小学校の近くじゃなくてもたくさんありますよ」


「まあそうなんだけど…。横断歩道の待ち時間って色々思い出があると思うの。ほら、登下校班の子たちとお喋りしたり」


「あーたしかに。僕はわりと家から学校が近かったんで、友達とゆっくり話すのはたいてい信号待ちの時間でしたね」


「でしょ?じゃあさ、その横断歩道に背を向ける感じで立ってくれる?」



僕は彼女の指示通り、そこに立った。


梨花さんはカバンからスケッチブックとペンケースを取り出し、それをフェンスのそばに置いた。


そして、一切何も持たずに僕のことを凝視し始めた。



「…あの、描かないんですか?」


「真の芸術家は脳内で絵を描いて、それを自らの手で具現化するのだ」


「…え?」


「ふふふ、私の恩師の言葉よ。高校の時の美術の先生がよく言ってたの。もしかしたら武政君も夢の中で聞いてたんじゃないかしら?まあ要するに、一旦モデルをよく観察しろってことよ」



たしかにその言葉は聞き覚えがあった。


そういえばそんなことも言っていたな。何度聞いても変わった言葉だ。


…ん?そういえば…。


僕はこの時あることに気が付いた。


そう、実家に帰ってからあの夢を見ていない。



「梨花さん、そういえばあの夢なんですけど、実家に帰ってから見なくなりました。なんででしょうね」



梨花さんは相変わらず僕の顔を凝視しながら応えた。



「…あらそうなの?…不思議ねえ。…そんなことより武政君、よく見るとやっぱりかっこいいねえ…」



梨花さんは既に集中しているらしく、返事が曖昧だった。


そして僕たちは、しばらく無言のままお互い見つめあう形となった。


恥ずかしさで顔が赤くなりそうだったが、あくまで僕はモデルなのでできる限りのポーカーフェイスを貫いた。


暫くすると、突然梨花さんが質問をしてきた。



「ねえ武政君、小学校の頃のこと思い出せた?」



僕はハッとした。そういえば小学校についてからも、記憶は戻る気配はない。


僕は昨日聞かされた過去の事故について話そうとしたが、やめておいた。


変に梨花さんに気を遣わせるのはよくない。


それに、どうせ記憶にないのだから話す必要はない。



「いえ、全くですね。この間話した時と変わらないです」



僕がそう答えると、梨花さんはゆっくりと僕に近づきながら答えた。



「ふーん、そっか。じゃあ私のことも、私が作り上げたのことも覚えてないのね」


「え、なんのこと…」



僕が言葉を発し終わる前にその出来事は起こった。



「じゃあ、もう一度見せてあげるね。を」



そう言うや否や、梨花さんは僕の心臓あたりに手を伸ばし、力いっぱい突き飛ばした。


何が何だか分からなかった。


突然のことで反応ができず、道路のほうへ背中から倒れていった。


僕の身体は何とか倒れるまいと、手が自然と梨花さんのほうへと伸びていた。


しかし、全てが手遅れだった。


横から大型車が走ってきている。


今倒れてしまったら、もう避けられない。


僕は力なく腕を伸ばしながら、梨花さんの顔を見た。


梨花さんが僕に手を伸ばしながら何か言っている。


僕の人生の最後は、梨花さんの言葉を聞いて締めくくられた。



「武政君、これが私の芸術。私の愛よ」



ゴッッッ



鈍い音とともに、僕は吹き飛ばされた。


それと同時に、僕の意識も飛んでいった。




・・・・・・・・・・




ゴールデンウィーク明けの授業に、宮川武政は来なかった。


まあ最後に会った時にあんな会話をしたのだし、僕と離れたところにいるのだろう。


まああいつは僕を信用せずに、佐々木梨花を信用したんだ。


もう彼を利用することはできないし、もはや利用する必要もない。


僕は彼女に利用されていた。


きっと僕のことなんて好きでもなんでもなく、あの頃から宮川武政のことしか頭になかったんだろう。


それに気づかず念願を果たせたと舞い上がっていた過去の自分が惨めで仕方がなかった。


だから彼女に仕返しをしてやろうと思っていた。


彼女は何らかの目的であの宮川君をずっと追い求めていた。


だから、先に彼を自分の味方につけてしまって、彼女と彼がいい雰囲気になったところで僕が登場して、かつて見ることができなかった彼女の心臓を見るつもりだった。


宮川への報酬は、彼女の愛の象徴である心臓を見せてやることだ。


どうせあいつも彼女に惚れているんだろう。


僕は優しいから独り占めせず、彼にも分けてやるんだ。


ああ、素晴らしい計画だったのに。


宮川さえ協力してくれれば、今頃こんな惨めな思いをせずに済んだだろうに。


僕は落胆したまま、その日の授業を一人で受けた。




次の週になっても宮川武政は姿を見せなかった。


僕はホール中を見渡してみたが、彼の姿は見えない。


妙だな。


彼は学生としては真面目な部類だろうし、心理学について自主的に学んでいるとも言っていた。


そんな彼がこの授業に来ないなんてことがあるのだろうか。


僕は授業後、彼に電話をかけてみることにした。


また彼に近づくのは気が引けたが、さすがに妙だと思ったのだ。


…出ない。何度かけても同じだった。


彼も僕を避けているのだろうか。


しかし、何度も電話がかかってきたらさすがにどんな相手にでもLINEで要件の確認ぐらいしてきてもよさそうなのに。


彼はその日も最後まで現れなかった。


必修科目にもいないなんてやはり変だ。


僕はまた何度も電話を掛けたが、やはり出なかった。


僕はさすがに心配になりつつも、どうすることもできないのでそのまま家に帰った。




家に着くと、郵便受けがいっぱいになっているのが見えた。


そういえば最近チェックしていなかったな。


なにか重要な郵便物が来ていたらあとで困るし、ポストの中を久しぶりに弄った。


いつも通りの誰も見ていない大量のチラシなどが溢れてきた。


僕はうんざりしながらそれらをすぐ横にあるごみ箱に捨てていたのだが、1つ気になる郵便物があった。


よく見るとそれは手紙だった。


手紙?誰からだ?心当たりがないぞ?


そんな疑問を抱えながら封筒を裏向けると、そこに書かれていた差出人の名前が見えて、僕は飛び上がりそうになった。




『佐々木梨花』




…佐々木さん?なぜ今頃僕に?


僕は君にとってただの踏み台に過ぎないんじゃないのか?


疑問は尽きなかったが、とにかく手紙を見てみるしかない。


僕は自室に戻ると、震える手で封を切った。

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