第9章

店に着くとすぐに、美由紀さんと梨花さんはメニューを見ながら何を頼むか相談し始めた。


前に2人で来たことある店だから注文は任せて欲しいとのことだった。


僕はというと、梨花さんと初めて対面した時に覚えたについて思考を巡らせていた。


そういえば前に美由紀さんと話していた時にも似たような感覚に陥った。


美由紀さんに僕の顔が整っていると言われた時だ。


昔誰かに似たようなことを、いや、それ以上のことを言われた気がする。


それまで容姿を褒められた経験がさほどなかったからこそ、過去に顔を褒められた記憶が強烈に焼き付いていた。


大袈裟に聞こえるかもしれないが、人間の記憶とはそういうものだ。


そうだ、たしか相手はちょうど美由紀さんのような歳上の女の子だった気がする。


黒髪が綺麗に伸びていて、よく笑う、小柄な。


だんだん思い出してきたぞ。


しかしどうしても名前が思い出せない。


…ん?待てよ?もしかすると…



「ねえ武政君、牛ハラミステーキとラクレットチーズとシーフードピザでいいかな?足りなかったら後でまた頼めるし!あ、そうだ、飲み物どうする?」



美由紀さんに声を掛けられて我に返った。


考え込むことに没頭するあまり2人と食事に来ていることを忘れかけていた。



「あ、ハイ、それで大丈夫ですよ。飲み物は・・・オレンジジュースにします」



いけないいけない。


今日は梨花さんと宮本真浩の件について話さなければならないんだ。


僕の過去のことなんて、家に帰ってからでもゆっくり考えればいい。


まずは梨花さんの身の安全のために、少しでも役に立つ情報を渡さなければ。


僕はそっと佇まいを直すと、美由紀さんと梨花さんが座っている方へと目を向けた。



「改めてだけどはじめまして、佐々木梨花です。今日は来てくれてありがとね」


「いえ、とんでもないです。あ、僕は宮川武政です。よろしくお願いします」


「武政君、こちらこそよろしくね」


「武政君なんか緊張してる?私の時はもっと自然な感じだったじゃん!」



たしかにそうかもしれない。


いくら初対面の女性の先輩の前とはいえいつも以上に緊張している自分がいる。


たしかに梨花さんは学校でも目立つんじゃないかと思うぐらい美人だけど、それが原因なのか?


普段は相手が美人だからといって変に緊張したりはしないのだが…。



「美由紀からいろいろ話は聞いてるんだ。武政君が今私が前に住んでた部屋に住んでることとか、学校で宮本君に出会ったこととか。もちろん夢のこともね。あ、宮本君からの手紙も美由紀に見せてもらったんだっけ?」


「はい。それと、梨花さんが手紙に返事を出して、その後宮本真浩本人と会う約束をしたという話も聞かせていただきました」


「なるほどね。それでいきなりなんだけど、本当に宮本君はうちの大学に入学してるの?武政君と同じ学部に?」


「はい、間違いありません」



僕は彼が間違いなく宮本真浩であるということを証明し得る情報を梨花さんにもれなく伝えた。


彼の容姿や声色が夢の中の少年と一致していたことはもちろん、彼の年齢や住んでいる場所、以前は別の大学にいたことを直接本人に明かされたことまでも伝えた。


梨花さんは終始真剣な表情で、美由紀さんは何か気持ちの悪い虫でも見るような目つきで僕の話を聞いていた。



「とにかく彼は間違いなく宮本真浩です。そして今、大学に入学してきたということは、何かしらの方法でまた梨花さんに近づこうとしている可能性が高いと思います」



梨花さんは少し眉間に皺を寄せて黙り込んでしまった。


まあ言葉が出ないのも無理ないだろう。


在学中に一人暮らしを辞めてわざわざ実家に帰るほどの出来事があったんだ。


その加害者であるストーカーが再び近づいてきているなんて、自身の身に置き換えて考えたら恐ろしいことこの上ない。


そんな梨花さんの顔を見つめていると、僕はひとつ言い忘れていたことを思い出した。



「梨花さん。もうひとつ伝え忘れていたことがありました」


「ん?なにかしら?」


「宮本真浩は絵画鑑賞が好きと言っていました。そして、特に好きな作品が1枚あるんだと言っていました。作者の名前を聞いてみたらど忘れしたなんて言っていましたが…。それで、僕が見ている夢の話になるんですけど、夢の中の宮本真浩はかつて梨花さんが描いた『愛』という絵に非常に拘っていました。たしか手紙にもその絵のことが書いていましたし、あの絵が動機となって彼は行動していると思うんです」



梨花さんは黙って僕の話に耳を傾けていた。


美由紀さんは相変わらず胸糞悪そうな表情をしていた。


僕は続けた。



「梨花さん、これは聞いていいのか迷っていたのですが、この機会ですし聞かせてください。あなたは自分からあの男に会いに行ったんですよね?これは僕の個人的な想像ですが、宮本真浩が『愛』の絵に拘っていたことと、彼が夢の最後に放っているを絡めて想像を巡らせてみると、どうも物騒な展開しか予想できないと思うんです。その、というのはつまり、あなたの心臓そのものを…」


「ちょ、武政君。梨花はあの男がトラウマなんだから、そういう話はあんまり…」


「美由紀、いいの。武政君、続けて」


「あ、はい、すみません続けます…。その、彼はあなたの心臓そのものを手に入れることで、あなたの愛を手に入れられると考えているんじゃないかと思うんです。あの絵では二人の男女が互いの心臓に手を当てている様子が描かれていましたから…。…それで聞きたいことなんですが、梨花さんはどうして宮本真浩に会いに行ったんですか?今僕が言った内容程の想像は出来なくとも、なんとなく危険そうだという創造は出来たはずなんです。…すみません、今日初めてお会いしたのにこんなこと…」



梨花さんはまたしても黙り込んでしまった。


しばらく口をつぐんで黙り続けた後、彼女はスッと僕の目を見た。


その瞳は“透明感”という言葉がしっくりくるような、そんな美しさだった。



「武政君の言う通りね。確かに私の行動は浅はかだったわ。私ね、16歳のあの日を境に彼を避けてしまっていたの。理由は色々あるんだけど、一番は彼が毎晩夢に出てくるようになったことね。それが怖くなって私は彼を避けてたの。でも、しばらくして夢を見るのにも慣れてきたころから、彼に対して申し訳ないという気持ちが湧いてきたの。ほら、確かに彼の言っていることはよく分からないしなんだか気味が悪いけど、まだ16歳の少年が言った言葉よ?多少おかしな部分があったってしょうがないじゃない?だから、ずっと避け続けたことだけでも詫びないといけないと思って、彼と会ったの。でも本当に後悔してるわ。だって…」


「…だって?」



ここで梨花さんが少し言葉に詰まったので、僕は思わず聞き返した。


美由紀さんは相変わらず心配そうに梨花さんのほうを見ている。



「梨花、無理はしないでね…?」


「美由紀ありがとう。大丈夫よ。今日は全部話すつもりだったの。…あのね、彼はだったの。」


「…本当の狂人?」


「そう。彼は狂っていたわ。あのね、私と宮本君が会った日、まずはお互いに謝ったの。彼は私に少し気味の悪い言い方をしてしまったことを。私は彼の本意も聞かずにずっと避けていたことをね。私はずっと心の中にあったモヤモヤが晴れてホッとしたわ。でもね、宮本君の目的はただ謝ることだけではなかったの」



僕はごくりと固唾を飲んだ。


やはりなにか目的があったんだ。



「彼ね…私に告白してきたの。ずっと私のことが好きだったって。16歳のあの日に放ったあの言葉も、本心は自分の愛を伝えたかっただけなんだって…。ただ言い方を少し間違えてしまったんだって…」



…告白…?


なんというか…普通じゃないか…?


本当に言い方を間違えただけなのか?


これは彼の罠なのでは?



「それでね、私は断ったの。確かに彼に対しての罪悪感はずっとあったけれど、だからといって恋愛感情は全くなかったし、その、私にはずっと片思いしている人がいるから…。彼は素直に納得してくれたわ。君にその気持ちがないなら仕方がないって。…でもね、この話はまだ続きがあるの」


「…何があったか教えてもらえますか?もちろん、話せる範囲で構いませんから」


「ええもちろん…。彼と会った日から数日経って、突然彼から連絡が来るようになったのよ。ほら、私彼に返事の手紙を出したときに一緒に連絡先も教えていたから、その連絡先に。内容はだいたい『君を諦めきれない』みたいな内容だったわ。最初は私も連絡を返したりしていたんだけど、いくら私が断っても彼は諦めようとしなかった。だから、無理矢理私のことを諦めさせるために連絡を返すのを辞めたの。少し心苦しかったけど、いつまでも希望を持たせるほうがむしろ残酷だと思ったから…」


「梨花は間違ってないわ。そんな男いつまでも相手にしてちゃだめなんだから」



美由紀さんは心から彼が憎いといった顔で彼女をフォローした。


これに関しては僕も同意見だ。


連絡が返ってこないとなれば相手も諦めざるを得ないし、常人であれば叶わぬ恋だと気が付くだろう。


…しかし梨花さんは彼を“本当の狂人”と称していた。


…ということは、まさか…。



「しばらく連絡を無視し続けていたんだけど、そう、彼と再会してから1か月ぐらい経った頃だったわ。彼ね、私の家に来たの。彼、私が通ってる大学ぐらいしか知らなかったはずなのに」


「い、家まで…?」


「そう、しかもちょっと変装して私にバレないようにね。私、宅急便か何かだと思って何も考えずにエントランスのオートロックを開けて、そのまま玄関まで招いてドアを開けちゃったの。そしたらそこには…宮本君が立っていたの」



他人事ながら身の毛がよだつ心地がした。


どうやって家を調べたんだ?


仮に元同級生に聞いたりしたんだとして、人の住所をあっさり教えてくる人なんているのか?


…もしや、大学で彼女を待ち伏せたりしていたのか…?



「私びっくりして、思わず部屋の奥に逃げちゃったの。そしたら彼も当然部屋の中に入ってきて、私は完全に追い詰められちゃったのよ。すると彼はおもむろに上着を脱ぎながらこう言ったわ。『君の心臓が見てみたいんだ。だから、君の心臓を僕にくれよ』って。私本当に怖くなって、がむしゃらに玄関に向かって走ったわ。目の前には彼が立っていたけど、そんなこと考えてる余裕もなかったわ。でね、運よく彼をかわして外に出ることができたの。それで私急いで隣に住んでる美由紀の部屋に助けを求めたわ。その時美由紀は運よく男友達二人と宅飲みをしてる最中だったから、3人に私の部屋に行ってもらって、宮本君を追い出してもらったの」


「あの男、上半身裸で立ってたのよ?ああ気持ち悪い!…でも、本当に梨花が無事で良かったわ」


「そんなことが…」



僕は絶句した。


以前美由紀さんに宮本君と梨花さんの間に何があったのか聞いた時、答えてもらえなかった理由がよく理解できた。


こんな話、本人の了承を得ずに話していいわけがない。


僕たちはしばらく黙り込んでしまった。




ふと店員さんが声を掛けてきた。



「お客様、間もなくラストオーダーのお時間となりますが、ご注文は大丈夫でしょうか?」



ハッとして美由紀さんが答えた。



「いいえ、大丈夫です。あの、お会計お願いします」


「はい、かしこまりました。入口のレジにて対応いたしますので、伝票をご持参のうえお越しください」



そう言うと、店員さんはお皿を下げつつそそくさと歩いて行った。


僕たちは顔を見合わせて、黙ったまま席を立った。


僕が財布を取り出そうとすると、美由紀さんにその手を止められた。



「武政君、後輩は先輩にたかってなんぼよ」


「…そうでしたね。ごちそうさまです」



二人が会計を済ませると、僕たちは店を出て駅に向かった。


時計を見ると21時を回っていた。


なんだかいつも以上に風が冷たく感じる、そんな夜だ。




駅に到着した。大阪の駅は大学とは比べ物にならないくらい人が多い。


梨花さんは実家に帰るためにJR方面へ向かうと言った。


今日はここでお別れだ。



「武政君、美由紀、今日はありがとう。なんだか重たい空気にしちゃってごめんね。どうしても話しておきたくて…」


「いいのいいの!私はいつだって梨花の味方だから!ね、武政君!」


「はい、梨花さんが引っ越しをした後にその部屋に引っ越してきて、しかも同じ夢を見ているなんてきっと何かの縁ですし、協力しますよ」



僕は笑顔になって見せた。


梨花さんは嬉しそうに頬を赤らめながら応えた。



「…二人ともありがとう。その、またこうやって3人で集まる会を開いてほしいな…。私、不安だから…」


「もちろんよ!また集まりましょ!あ、梨花。そろそろ電車来るんじゃない?」


「そうね、ありがとう!じゃあまた、今度は海鮮でも食べに行きましょ」


「いいね!じゃあ、バイバイ!」



僕と美由紀さんは手を振りながら梨花さんを見送った。


彼女の背中が見えなくなると、僕たちも改札口へと歩き出した。




電車に乗っている最中、ふと美由紀さんが話しかけてきた。



「ねえ武政君。そういえばずっと不思議に思ってたんだけどさ」


「ん、なんでしょうか」


「なんで武政君は梨花と宮本君のあの日の会話を夢に見るようになったんだろうね。二人とは面識がなかったはずなのに」


「そういえば…分からないですね…」



…たしかに。


いろいろなことがあったからこそ、根本的なことを忘れていた。


そういえばどうして僕はあの夢を毎晩見ているんだ?


梨花さんと宮本君の関係性については今日の会で理解できたが、自分自身のことは分からないことだらけだ。


僕は同時に、店に入店した時に考え込んでいたことを思い出した。


ううん、なにがどうなっているんだ。


梨花さんのことももちろんだが、自分のことも少し考えなければならないな。


よし、帰ったら少し落ち着いて色々整理しよう。


そんなことを考えていると、携帯が震えた。


LINEに連絡が入っているようだ。


僕がちらっと内容を確認すると、その送り主の欄には『Rika』と書かれていた。


…梨花さん?


僕は内容をよく確認してみた。



『武政君、今日はありがとう。あのね、二人だけで話したいことがあるの。今度会えないかな?』



またしても疑問が増えてしまった。


梨花さんが僕と二人で?


…一体何なんだ?


僕はますます混乱した頭を搔きながら、電車に揺られていた。

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