第8章

「ううん…」



僕はいつの間にか眠ってしまっていた。


時計に目をやると、既に日付を大きく跨いで午後2時を回っていた。


彼女がアパートを出て行ってしまったショックで色々と考え事をしているうちに、かなり長時間眠っていたようだ。


なんだか長い夢を見ていた気がする。


佐々木さんと再会してから初めての夜を過ごすまでのあの日々を、夢に見たことで鮮明に思い出してしまった


彼女との最後の思い出を過ごしたあの部屋から、彼女は既にいなくなっていた。


以前偶然彼女のアパート周辺を歩いていた時、引っ越し業者が彼女の部屋に入っていくのが見えたのだ。


そうなってしまった今、彼女との思い出に浸ったって虚しいだけなのに。


佐々木さんの住むアパートに初めて足を踏み入れたあの日。


佐々木さんの部屋で初めて身体を重ねたあの日。


あの日を境に僕と佐々木さんの関係はすっかり元に戻ってしまったのだ。


あの部屋から追い出されてから、彼女とはすっかり音信不通である。


そしてもう一度彼女と会うことも叶わなかった。


何度か部屋を訪ねたのだが、いつ訪れても留守だった。


彼女がトイレに行ってからのあの出来事は一体何だったんだろう。


何度考えても分からない。


奴らは彼女が部屋に入れさせたんだろうか?


だとしたら何故?僕たちは恋人なのに。


僕はただ、彼女と愛を確かめ合いたかっただけなのに。


何がいけなかったんだ。


何を間違えたんだ。


僕はずっと佐々木さんのことが諦められなかった。


だから僕は再び彼女に接近すべく、物理的に彼女との距離を縮めようと試みた。


つまりは、彼女の通う大学に入学すべく、再び受験勉強を開始したのだ。


これまでとは本気の度合いが違った。


一度距離を縮めた経験があるからこそ、僕の全身がより強く彼女を求めていた。


僕は在学中の大学にも行かず、一心不乱に勉強に励んだ。


毎日彼女を想い、その想いをエネルギーに変えて机に向かった。


そして約半年が過ぎ、僕は3度目の大学受験に臨んだ。


3度目ともなると特に緊張もしなかったし、彼女への想いの強さから周囲のことなんて気にならなかった。


僕は確かな手応えとともに試験会場を後にした。




結果は合格だった。


昨日の朝、合格通知が届いていたのだ。


嬉しかった。全身が震えていた。


こんな時彼女が側に居てくれればなお幸福だっただろう。


佐々木さんは順当にいけば3年生になっているはずなので、彼女と同じ場所に在学できるのは2年間だけだ。


とはいえこれで彼女と再び距離を縮められるかもしれない。


仮に僕を避けているとしても、大学には必ず来るだろうから会えるチャンスはあるはずだ。


必ずもう一度、彼女とひとつになって見せる。


まあ何はともあれ一安心だ。


今日は自分への合格祝いに少し豪華な晩御飯でも作ろうかな。


そう思った僕は、少し大きめのスーパーマーケットに行くことにした。


そのスーパーは彼女が住んでいたアパートの近くにあるので、時折利用していた。


スーパーである程度の買い物を済ませると、僕は無意識のうちにあのアパートの前を通ってしまった。


彼女がいないことは分かっていたが、どうしても見に行きたくなってしまうのだ。


彼女のアパートは、ということを除いてこれまでと変わらずそこに佇んでいた。


彼女がまだここにいれば今日偶然会えるなんてこともあったのかな、なんて思いながらそのアパートをぼんやりと眺めていた。


すると、彼女が住んでいた部屋のドアが開くのが見えた。


彼女ではないのは分かっていたが、思わず目を見開いてその部屋から出てくる人物を凝視してしまった。


その部屋からは、どこかで見覚えのある青年が出てきた。


僕はなぜか彼に見つからないよう自身の身を隠し、彼のことを見つめた。


そうだ、思い出した。


彼はまさしく、佐々木さんの夢の中に出てきていたという顔の整った謎の少年だった。


佐々木さんが絵のモデルにしたいと僕に訴えてきた、あの少年だ。


その整った顔は、かつて彼女が僕に見せてくれた似顔絵と瓜二つだった。

彼は誰なんだ。


雰囲気的にも高校を出たばかりといった感じだったので、このアパートに最近引っ越してきたことを考えると、僕が入学予定のあの大学の新入生だろうか?


それにしてもなんという偶然だろう。


彼女が出ていったあの部屋に、彼女が気にしていた男が引っ越してくるなんて。


とにかく、これを活かさない手はない。


この男と同級生として仲良くなって、彼を上手く利用すればまた佐々木さんと近づけるかもしれない。


他人を利用するというのはよくないと分かっていたが、今の僕にはそんなことを考慮できるほどの余裕はない。


とにかくあの青年が僕の同級生で、あわよくば同じ学部であることを願った。


あの大学に入って最初にやるべきことは、彼と仲良くなることだ。


僕は棚から牡丹餅が落ちてきたような気分で帰路に就いた。


今日の晩御飯は、美味しく食べられそうだ。




・・・・・・・・・・




今日は美由紀さん、そして佐々木梨花さんと3人で食事に行く日だ。


LINEで改めて集合場所を確認し、僕は美由紀さんと一緒に駅に向かった。


集合場所には少し早めに到着した。


梨花さんはまだ来ていないようだったので、美由紀さんと肩を並べて待った。


梨花さんを待っている間、僕はぼうっとして考え事をしていた。


最近誰かのことを思い出そうとしている自分がいるのだが、その思い出そうとしている人が誰なのか皆目見当もつかないのだ。


僕が俯いて考え込んでいると、美由紀さんが肩をポンとたたいた。



「武政君!梨花来たよ!」



僕はハッとして前に目を向けた。


少し離れたところから1人の女性が手を振りながら歩いてきた。


僕は彼女の顔を見たとき、なんだか違和感を覚えた。


梨花さんの顔は見たことがないわけではなかった。


毎晩夢で見ているのと、美由紀さんと初めて会った日に遠目に見たことがあったのだ。


まあ夢の中の彼女はまだ16歳の少女だから今とは少し雰囲気も違うし、その時は遠目にちょっと見えただけだったのでハッキリと顔を見るのは初めてだったのだが。


それにしてもこの違和感は何だ?


直接会って初めて感じたこの感覚。


なんだか初めて会った気がしないのは何故だ?



「梨花、今日は来るの早かったじゃん」


「ふふ、おまたせ美由紀。あ、宮本武政君だよね?はじめまして」


「あ、ハイ。はじめまして…」



とにかく僕は挨拶を返した。


梨花さんは美由紀さんと仲良く肩を並べて店のほうへと案内してくれた。


僕はまたしても考え事をしつつも、彼女らについて行った。

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