第29話 FPS馬鹿

 薄暗い休憩エリアのソファでひとり俯いていると、ジェシカさんとアリサがやってきた。


 アリサは僕に顔を見せたくないのだろう。

 ジェシカさんの隣に座り、顔を背けている。


「しょげるなよ。ほら」


 ジェシカさんが缶のスポーツドリンクを放り投げてきた。


「ありがとうございます……」


 せっかくだけど、飲む気にはなれない。


 ジェシカさんは僕をまっすぐ見つめてくる。

 僕は言いようのないいたたまれなさにより、視線を下げた。


「なんでまた喧嘩したんだよ。昨日、仲直りしたよな」


 怒っているわけではなく、呆れているような口調だった。


「僕は悪くないのに、アリサがバグ技使ったって……」


「チートだもん……」


「地雷で飛ぶのはテクニックだよ……。一緒にバギーを加速させたことだってあるじゃん……」


「人間は駄目だもん……」


 アリサはそう言うが、僕には正直、いったい何が問題なのか理解できない。

 アリサはいったい何に拘っているのか。


 カシュッという音に、僕はつい視線を引き寄せられた。

 ジェシカさんが缶コーヒーのプルタブを開けた音だ。


「ああ。そういうことか」


 ジェシカさんは何か思い当たるところがあるらしく、アリサと僕の顔をゆっくりと順に見比べてから、陰りのある表情を浮かべた。


「アリサは引っこみ思案だし、口下手でな。自分の思ったことを相手に伝えるのが下手なんだよ。いきなり怒ったのは、許してくれよ」


 嘘だ。

 アリサは元気が溢れていて、常にファックファック叫びながら飛び跳ねている。


「んー。その顔、まさか気づいてない? こいつ、カズと話しているとき以外、ずっと携帯ゲームにかじりついているか、オレの後ろに隠れていただろ」


「え?」


「アリサが会話するのはオレか、お前だけ」


「そんなことは……」


 昨日の様子を思い返してみる。


 ……確かに、ゲーム会場の控え室では、周りの自己紹介を気にした様子もなくゲームをしていた。


 昨晩の練習会でも、チャーリーチームにもみくちゃにされたあと、すぐに姿を消してしまった。


 ホントだ。

 アリサがジェシカさん以外の人と会話しているのとを見たことがない……。


 いや、違う。


「でも、昨日、ここで、プロのチーターに怒鳴ってた……」


「ん? ああ、四人組に絡まれていたときのこと。人と話すのが怖いのに大声を出したんだとしたら、理由は一つだろ」


「え?」


「大切な人を護るためだよ。カズだってアリサを護ろうとしただろ?」


「それは……」


「アリサは勇気を出したんだよ。カズ以上に他人を怖がっているアリサが、だ」


「うっ……」


 見抜かれていた。

 他人を怖がるという表現が重くて、僕は悶々とした気分と一緒に身体がソファに埋まってしまいそうだ。


「こいつ、ゲームが上手すぎるせいで、昔、失敗したんだよ」


 アリサの肩が弱々しく震えている。ジェシカさんは頬をアリサの金髪に埋めた。


「仲の良かった友達が、アリサのことをチートしてるって疑ったんだよ。何もインチキをしていないのにな。お前もだけどさ、上手すぎるヤツは、他人から見たらインチキなんだよ」


「僕はインチキしていない」


「うん。知ってるよ。けどさ、アリサは相手に嫌われるのが嫌だったから、反論したらいけないと思っちゃって、チートしているって認めたらしいんだよ……。それが、さっきカズがやったような地雷爆破の高速移動だったんじゃないかな」


 アリサの震えが大きくなっているのを見て、僕は視線を背けてしまった。


「オレはアリサがインチキするような子じゃないって信じてる。けど、友達は信じてくれなかった。そいつの惚れてた男友達がアリサのことを好きだったっていう、下らないオチが付くんだけどよ。アリサにしてみれば、とばっちりだろ。口下手なアリサは結局、友達とギスギスして、いじけてなあ。家から出なくなっちゃったんだ」


 ジェシカさんは所々、苦笑し息を漏らす。


「当時のオレさ、仕事が忙しくてアリサを助けてやれなかったんだよ。カズには感謝しているんだぜ。オレがアリサの側にいてやれなかったとき、側にいてくれたんだから」


「僕はただ、ゲームをしてただけ……」


「それで良いんだよ。二年間も引きこもっていて、腐らなかったのはお前のおかげだよ」


 ジェシカさんは、「ある日、気づいたんだけどさ」としみじみ言ってから、缶飲料を飲み、少し間をあけた。


「こいつ、いつも同じIDのやつと遊んでいるんだよ。『Sinさん、前、出て。援護して、弾あげる。右行こう』ってさ。アリサはボイスチャットしていないし、日本語が分からないのに、ひとりで喋っている日本人がいるんだよ。アリサのことをいんちきと思う必要もなく、同じレベルで肩を並べられる奴がいて、本当に良かったよ。アリサが『カズ上手いんだよ、援護してくれるんだよ』って、嬉しそうに言うんだよなあ。そいつがどんな奴か気になったから、オレはお前と話すことにしたんだ」


 ジェシカさんが真っ直ぐ僕を見つめている。

 真剣さが分かるから、恥ずかしいけど僕は視線を逃がさなかった。


 じっと見つめていたら、手を伸ばしても届かない距離なのに、青灰色の瞳に僕だけが映っているのが見えたような気がした。


「ありがとうな、カズ。お前は妹を救ってくれた」


 違う。

 僕はそんな大したことはしていない。ただ、ゲームをしていただけだ。


「カズがアリサと最初に出会ったっていう負け試合が、ちょうどアリサがクランから追放されてクラスメイトに虐められていたときなんだよ」


「……え?」


 僕とSinさんが出会ったあの日、アリサも仲間から追放されていた?


「カズ。さっきの試合でアリサがどういう思いで、お前を止めたのか分かってあげてくれよ」


「……うん」


 同じ行為が原因で辛い目に遭ったアリサは、僕に同じ過ちを犯してほしくなかったんだ。


 僕を貫いた弾丸は鉛ではなく、優しさでできていたのだ。


 テンションの高い子供だと思っていたけど、僕の方がよっぽど、ガキだ。


「アリサ、ごめん……」


 俯いたままなので、アリサの表情は分からない。


 ジェシカさんがアリサを離して、立ち上がった。


 話が終わり、ゲーム会場に戻るのだろうと思い、僕も立とうとする。


 けど、ジェシカさんは僕の方にやってくると、隣に座ってしまった。


「うわっ」


 抱き寄せられた。


「なあ、なんで地雷技を使ったんだよ。今までやったことなかったじゃん。ネタ部屋でたまにふざけてハンヴィーを加速させてたくらいだろ? ランクマッチでは使ってないよな?」


「……あいつらがバグ技を使ってたから、許せなかったんです」


「ん? あいつら、やっぱチーターだったか。でもお前、相手がチートしたからって、やり返したことなかったじゃん」


「だって……。アリサやジェシカさんがチートしている奴らに負けるのが悔しかったから」


 僕は現実世界に友達がいない。


 ゲームのオンライン対戦で知り合っただけの関係とはいえ、ジェシカさんは一年間、一緒に会話してくれた人だ。


 アリサは二年間、毎日のように一緒に楽しい時間を過ごした子だ。


 現実世界に親しい人が居ない僕にとって、ふたりはかけがえのない大切な存在なのだ。


 クラスの班編成で漏れるような僕と気安く会話してくれるのはSinさんだけだった。


「僕、人と喋るのが苦手なんです。学校では、いつもひとりだし。……毎日がつまらなかった。でもBoDやってるときは楽しかった。ジェシカさんと仲良くなって、アリサと一緒にゲームして、凄く楽しかった」


 崩れ落ちそうなほど、僕の声は揺れ始める。


 自分でも情けないことを漏らしていると分かっている。


 でも、ジェシカさんがアリサのことを教えてくれたんだから、僕も素直に、自分の弱さを認めることができた。


 隣にいるジェシカさんの顔は見えないし、正面で俯いているアリサの表情も分からない。


「Sinさんが僕の初めての友達だった。BoDのおかげで仲良くなれた。だから、そのBoDでバグ技を使って、アリサやジェシカさんを倒す奴が許せなかった……。せっかく、会えて、一緒に遊んで居るんだから……。出来るなら、勝って、楽しい思い出にしたかった」


「そっか。アリサ、納得できた? カズは大好きなオレたちが自分以外の男にファックされるのが我慢ならなかったんだってさ。カズはお前を愛しているからこそ、敵が許せなかったんだよ」


「……うん」


 ジェシカさんが独自の解釈をして、アリサまで納得してしまった。


「び、微妙に違う」


「照れるな。日本人は愛しているって言葉に抵抗が強すぎだぞ。好きの上位互換として、もっと気楽に使えよ。愛してるぜ、カズ」


「うっ……」


「ほら。アリサ。カズの真っ赤な顔を見て泣き止め」


 僕の真っ赤になった顔が面白いのか、顔を上げたアリサがようやく表情を綻ばせた。


「オレはお前達ふたりを愛している。誓おう。最愛の妹と友人を絶対に裏切らない。お前たちの間にどんなトラブルがあったとしても、必ずオレが助けてやる」


「はい」


「うん……」


「よし。もう恐れることはない。ならば兵士よ、銃を取り立ち上がれ」


 デスマッチ開始時に再生される台詞だ。

 ローディングが終了し、殺し合いが始まることを意味する。


 そうだ。僕達の休憩は終わりだ。

 戦いに戻らなければ!


 ジェシカさんが勢いよく立ち上がり、僕たちの肩を叩いた。


「戦場に戻るぞ」


「うん」


「新兵ッ! 声が小さいッ!」


 百万倍の音量になって返ってきたかと思えば、僕はジェシカさんに肩を突き飛ばされ、お尻からソファに落ちて跳ねる。


「うわっ」


「軍曹、手本を見せてやれ!」


「Oorah!」


 アリサが小さい身体の何処に音源があるのか不明なほどの大音声を出した。

 ウーア―は海兵隊のかけ声だ。


 ジェシカさんの差し伸べてくれた手を取り、僕は立ち上がる。


「新兵! クソを漏らしても構わん。腹の底から声を出せ!」


「ウーアッ!」


 僕は両手を握り締め腰を落とし、力の限り怒鳴った。

 音楽の授業でも、式の校歌斉唱でも出したことのない、正真正銘の本気だ。


「いい返事だガキども。戦場に戻るぞ!」


 ジェシカさんがいきなり腹を殴ってきた。

 拳が、身体にめりこんでくる。


「ウーアッ!」


 痛いけど気持ちよかった。

 嬉しかった。

 痛いのに、心地よい刺激が腹から全身に広がる。


 隣では同じように殴られたアリサが、ぐふっ、とちょっとヤバゲに息を詰まらせている。


「その笑顔を忘れるな、糞ガキども。グジグジ悩むくらいなら叫べ! お前らが出会う世の中の辛いことなんて、叫んでいるうちに終わる」


「ウーア!」


「Oorah!」


「よし、オレの可愛いアリサとカズを虐めてくれたFucking野郎のケツに、劣化ウランをぶちこんでくるぞ!」


 ジェシカさんが肩で風を切り歩きだす。

 広い歩幅で正面を蹴り上げるように闊歩する女性を、僕は走るようにして追いかけた。

 

 従っていると安堵感が込み上げてくる大きな背中。


 広い廊下を進む。

 ただそれだけなのに、はんぱない高揚感だ。


 たとえ、攻撃ヘリや戦車の大軍が待ちかまえていても、僕たち3人なら勝てる。

 ゲームなら絶対、テーマ曲が流れるタイミングだ、これ。

 なんなら、ボーカル入っちゃうぞ。


 しかし……。


「あ、わり、ちょい待って」


 急にジェシカさんが気の抜けた声を出すから、僕はずっこけそうになった。

 ジェシカさんは、休憩エリアの端にあった自動販売機に引き返してしまう。

 威風堂々というより、ひょいひょいっって感じの動きだ。


「ジェシカさんって、マイペースだね」


「うん。ジェシーだもん」


 アリサはお腹をなでている。

 さっきの、けっこう痛かったもんね……。


 ジェシカさんは空き缶を捨てると、500mlのペットボトルを六本も購入した。


「みんなに差し入れ? 僕も持ちましょうか」


「ん。じゃ、二本持って。あとな、差し入れはいらないぞ。すぐに勝って祝勝会だからよ」


 ジェシカさんは二本を腰のポーチに入れ、カーゴパンツの腰を引っ張り二本をベルトの内側に挟んだ。

 一瞬ちらっと見えた灰色の布地は、きっと下着だ!


 僕のFPSで鍛えた動体視力、偉いよ、見逃さなかった。


 いかんいかん。

 見たことがバレたら軽蔑される。

 気づいていないフリをしなければ。


 三リットルもの水を何に使うんだろうと考えている間に、入り口に到着した。


「突入するぞ。配置に付け!」


 ジェシカさんはドアを開けずに、腰を落としてドアの左側に張りついた。

 アリサも心得たもので、ジェシカさんの真後ろに位置取った。


 僕も空気を読んで、ドアの右側に張りついて肩と腕を押し当てる。


 先ほどまで大人だと思っていた女性は、実に子供じみた笑みを浮かべている。

 事前に打ち合わせをしたわけでもないのに、ジェシカさんの身振り手振りが何を伝えたいのかが分かる。


 ジェシカさんの視線と手は「オレがスタングレネードを投擲したら突入。オレは左を見る。カズは右、アリサはバックアップ。……スリー、ツー、ワン、ゴー」だ。


 ジェシカさんが音を立てずにドアを開け、銃を構えたような姿勢で部屋に入る。

 僕もジェシカさんの死角をカバーしつつ突入した。


 手ぶらだけど僕は今、確かにサブマシンガンを構え、銃口で敵を探し求めている。


「クリア」


「Clear. 行くぞアリサ、カズ! 目標、ゲームイベントの勝利」


「Oorah!」


「ウーア!」


 三人のFPS馬鹿がゲーム台に向かって、戦術行動を開始した。

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