第22話 大喧嘩。僕はアリサを怒らせてしまった

 僕はアリサの方を向く。

 けして、蛇野郎が怖くて視線を逃がした訳ではない……。


「アリサ。プロチームの突砂、あいつ、さっきの。あれ、アリサ?」


 アリサは僕の肩に頭を当てて眠っていた。

 全然、気づかなかった。

 アリサは他人のプレイ動画を見るのは退屈だったのか。


「えっ。熟睡?」


 アリサはずるずると崩れていって、僕の膝に倒れてしまった。

 椅子に座ったまま横に倒れるって、身体、柔らけえ。


「アリサ、アリサ。ねえ、本当に寝てるの?」


 肩を揺すっても反応なし。


「どうしよう……」


 他の観戦者達が部屋を出て行ったので、室内には僕たちふたりだけだった。


「しょうがない。アリサが起きるまで、スマホで攻略Wikiでも調べるか」


 よし、あった。BoDⅤの攻略Wiki。

 アサルトライフルM16の基本ダメージは20。

 相手との距離が開けば開くほど威力は低下し、最低で14。

 

 やっぱり、三回ヒットしたら最低でも42ポイントのダメージになる。

 さっき、三回ヒットマークが出たのに突砂リーのライフが70もあったの、不自然だ。

 救急パックが足下に置いてあったにしても、数秒経ってからじゃないとライフは回復しないはずだし……。


 プロゲーマーがチートしているなんて疑いたくないけど、やっぱり……。

 午前中に僕達と対戦したときの様子や、後から絡んでいた態度から察するに、悪質プレイヤーだと思うし……。


 僕が攻略Wikiを調べ続けていると、スマートフォンに着信があった。


 アリサを起こさないように、口元を手で覆って小声で応じる。


「もしもし、藍河です」


「おう。オレ、オレ。オレだよ、オレ。600万振りこんでくれよ」


「通報しました」


「だからさー、貴重な美人フレンドを通報するなよ。アリサも一緒だよな? そいつ、電源切っているっぽいんだわ」


「居ます。寝てます。迎えに来てくれると助かります。午前中にゲームやった部屋の隣です」


「分かった。そこならすぐ着くから待ってて」


「うん。なんかね、プロチームの試合を観戦していたら、寝ちゃった。さすがに女の子を触るのは気が引けるし、運ぶにしても体力に自信がないし」


「昨日の夜、ほとんど寝てないから爆睡モードだな。喋ってても全然、起きないだろ?」


「うん。さっき走り回っていたのが嘘みたい。完全に燃料切れしてますね」


 ボイスチャットでSinさんと会話しているような感覚だった。

 さっきまでは上手く喋れなかったのに、今は顔を見ていないから、緊張せずに話せる。


「寝顔を撮影するくらいなら許すけど、悪戯するなら責任をとれよ」


「悪戯なんてしませんって」


「本当に? ほっぺたぷにぷにくらいはしただろ?」


「しませんよ。したら事案発生で、逮捕じゃん」


「カズ、気は確かか。アリサみたいな可愛い子が目の前にいて、何もしないなんて、お前

はホモか」


「常識的に考えて、寝ている女の子を勝手に触っちゃ駄目でしょ」


「このロリコンめ!」


「つーか、Sinさんはアリサに悪戯させたいんですか」


「Sinさんじゃねえって。ジェシーって呼べよ」


「あー。すみません。いや、でも、やっぱいつもの癖が出ちゃいますって」


「オレは言い間違えていないぞ」


「間違えるも何も、僕の呼び方って、カズのまま、何も変わっていないでしょ」


「そんなことないだろ。こう、呼び方に愛情が増えているから、優しい感じするだろ、な。カ、ズ」


「キモッ」


「ワタシ、ジェシー。いま会場の玄関にいるの」


「あ、はい」


「ワタシ、ジェシー。エスカレーターに乗っているの」


「こわっ。つうか、Sinさん、何でそういう怪談なんか知ってるんですか」


「いや、オレ、国籍はアメリカだけど日本での生活が長いし。オレのスイートボイスをキモいと言ったことを後悔させてやる。選択肢は二つだ。握り潰されるか、踏み潰されるか、オレが着くまでに決めておけ」


「えーっ。脅迫ですかー。いいんですかー。ジェシカさんの大事な妹は僕の手の内なんですよ。返して欲しかったら1000万と逃走用の車を用意しろよ」


「Damn Fuck! その指をトリガーにかけた瞬間、SWATの狙撃チームが貴様の頭を吹っ飛ばす」


「痛ッ」


 いきなり太ももに鋭い痛みが走った。

 まさか本当に狙撃された……わけではなく、アリサがつねったようだ。

 落としたスマートフォンから「おーい、どうしたー」という声。


 アリサがゆっくりと上半身を起こしていく。


「うーっ」


 この表情は寝起きの不機嫌……。

 違う。

 怒ってる。


「楽しそう……」


 アリサの瞳孔がきゅっと拡大し、碧眼がより深い蒼に染まる。


 僕はどう反応すればいいのか分からない。


 アリサの瞳に視線を吸い寄せられたまま、僕の体は金縛りにあったかのように動かなくなってしまった。


「私と一緒に居たときは全然喋ってくれなかったのに、ジェシーと楽しそうに喋ってる! なんでアリサとはお喋りしてくれないの!」


 立ち上がったアリサが両手で肩を突いてきた。


「うわっ」


 僕は椅子ごと傾き、踵が宙を泳いでしまう。


「お店を見てるときもぜんぜん楽しそうじゃないし! カズの馬鹿!」


 僕は足を伸ばしてバランスを取ろうとしていたけど怒声の圧力に押されて、椅子ごと倒れてしまった。


「痛ッ」


「せっかく、今日楽しみにしてきたのに、カズ、ジェシーのことばかり気にしてる!」


「えっ?」


「アリサ、せっかく遊びにきたのに、カズ、ゲームの時しかお喋りしてくれない! アリサとお店を見てるとき、ぜんぜんお喋りしてくれなかった! カズなんて嫌い! カズの馬鹿!」


 アリサは肩を振るわせて床をダンッと踏み鳴らすと、部屋の出口に向かって走りだした。

 小柄で機敏な姿は、あっという間に部屋の外に姿を消してしまう。


「待って!」


 訳が分からないけど、なんとか捕まえようと僕も立ち上がり、駆けだす。


 幸か不幸か、部屋から出た時点で、追いかける必要はなくなった。

 廊下の先に見える休憩スペースにジェシカさんが居て、アリサを抱きしめている。


 どうしようかと佇んでいたら、困惑した様子のジェシカさんと目が合った。

 僕は見えない空気の塊にぶつかり、一歩も足が進まない。


 アリサを泣かせてしまった……。

 ジェシカさんはきっと怒る……。


 でも、事情を説明すれば、分かってくれる。


 ……事情って、なんだ?


 何でアリサは泣いたんだ?

 僕と一緒に居たのがつまらなかった?


 しょうがないじゃん。

 僕は友達と騒ぐような性格じゃないんだもん。

 人を楽しませる方法なんて知らないよ。


 僕はジェシカさんに軽く頭を下げてから部屋に戻り、散乱している椅子を元に戻す。


 スマートフォンが落ちていた。

 椅子から倒れた拍子に落としていたけど、慌てていたからすっかり失念していた。


 通話中のままだ。


 きっと、ジェシカさんは僕が話しかけるのを待ってくれている。


 毎日のようにチャットをしていれば、気まずくなることくらい何度もあった。


 大抵、敵に負けて苛立った僕の口調が悪くなるのだ。

 嫌な気分にさせてしまったはずなのに、Sinさんはいつも、翌日には何もなかったかのように接してくれた。


 でも僕は、ボイスチャットではなく実際に会ったひとりの少女を泣かせてしまった。


 テレビの向こうに居るSinさんではない。

 現実に存在するアリサとジェシカさんという女性達は、果たして僕を許してくれるのだろうか。


 明日、また、何もなかったように接してくれるのだろうか。


 駄目だ。

 思考がネガティブスパイラルに陥った。

 どんどん悪いことばかり考えてしまう。


 急にジェシカさんと会話するのが怖くなって、スマートフォンの電源をオフにした。


 僕は、何があっても仲直りできるという信頼に甘えていたのではないだろうか。


(ああ、合わせる顔がないって、こういうことか)


 僕はふたりの居る入り口とは反対側の通路を進み、誰もいない裏口から建物を出た。


(アリサは泣いていた……。でも、何がいけなかったんだろう)


 僕が何かを失敗したらしいけど、何を、何故、失敗してしまったのかが分からない。


(僕の態度が気に入らなかったのなら、しょうがないじゃん。女の子と遊んだことなんてないんだから、どうすればいいのか分からなかったんだし)


 建物から出ると、いつの間にか曇り空になっていた。

 僕は溜め息混じりにバス停に向かう。


 イベントに来たばかりの人達とすれ違う。

 家族連れやカップルの楽しげな会話を背中に聞きながら、僕はただひとり、周囲の流れとは逆に進む。


 背後のイベント会場からは大勢の人で賑わっている様子が、随分と遠くのように聞こえてくる。


(アリサとは喧嘩しちゃうし、展示もあまり観れなかったなあ)


 どうせなら雨が降れば良かったのに。

 そうしたら、帰るのが僕ひとりじゃなくなるんだから。

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