12/15 雨、あめ、あっちへいって

 この日は、朝から雨だった。

 しとしとしとしと、ずっと降っている。


 いつもやってくるレディが、今日はまだこない。

 どうしたんだろう。何かあったのだろうか。

 心配になった僕は、レディのところに行ってみることにした。



 ◇



 森の中のあの橋は、雨の中でも相変わらずピカピカと光っていた。


 あ……!


 橋の上で、レディが小川を見つめながら佇んでいる。近づくと、彼女はこちらを胡乱な顔つきで見たあと、ハッと我にかえったように謝ってきた。


「連絡できなくて、悪かったわ。言ってなかったけど、アタシ、雨の日はここから離れられないの。橋を見ておかないといけないから」


 赤い傘に、赤い長靴を合わせたレディは、いつもよりずいぶん幼く見える。


「橋をみておく?」


「ええ、流されないように。それがアタシの仕事なの」


 それっきり彼女は口をつぐんでしまう。

 重苦しい沈黙のなかで、僕は自分の仕事のことを思い返した。



 お菓子作りの世界は、作り出すものの煌びやかさとは裏腹に、なかなかにシビアな場所だ。職場はオーナー・シェフを頂点とした完全トップダウン。気に入らないことがあれば、容赦なく罵詈雑言、ときには物が飛んでくる。砂糖や小麦粉も業務用ともなれば、ホームセンターで売ってる土や砂利と同じ。ただの重い袋。その肉体的•精神的過酷さから、自分たちのことをスイーツガテン系なんて揶揄して言う仲間もいるくらいだ。


 でも、僕にとってきつかったのは、それじゃなかった。


 今勤めているのは都内でも一、二位を争う人気店で、当然レベルの高いパティシエやパティシエールが全国から集まってくる。製菓学校やそれまでの職場の評価から自分にそれなりの自信をもっていた僕だけど、ここで同僚たちのほとばしる才能や圧倒的なセンスを目にすると、それはもろくも崩れていった。


 自分なんて凡庸で、どう足掻いてもトップにはなれない。元々持っているものが違う。働けば働くほど膨らむ、劣等感。


 そんなことない。自分にしかできないことがあるはず。そう自分に言い聞かせてはいたけど、次第に休日も自宅に引きこもって、ぼんやりとテレビを眺めることが増えていた。前は、よく他の菓子店へ食べ歩きに行ったりしていたのに。


 ……だから、もう辞めるつもりだった。


 もう、なんでこの仕事を選んだのか。

 それすら思い出せないから。


 

 けれど、退職願を出そうとしたその日。

 ——僕はこっちにきてしまった。




「アンタ、自分の仕事好き?」

 出し抜けにレディが聞いてくる。


「好きだったけど……最近、よくわからないんだ。最初はそうだったはず、なのに」


「でも、誰かのために必要な仕事なんでしょ?」


「……うん」


 そうだとは思う。まだ思ってる。でも、お菓子なんてなくたって、って思いはじめている自分もいて苦しい。


「誰かのためにって素敵だと思うわ。少なくともアタシはそう思ってる」

 励ましてくれるレディの表情は、話す内容とは反対に何だかとても寂しげだ。


 そんなレディを残して帰るとは言い出せなくて、かと言ってかける言葉もみつからなくて。ただ一緒に小川を眺めることしか出来なかった。



 早く、やまないかな。雨。



 *…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*

 以下、登場(イメージ)したマザーグースの紹介


『Rain rain go away』

(雨、あめ、あっちへいって)


 Rain rain go away,

 Come again another day.

 Little Johnny wants to play;

 Rain, rain, go to Spain,

 Never show your face again!


 雨、あめ、あっちへいって

 また来て いつか

 ジョニーは遊びたいの


 雨、あめ、スペインへいって

 もう、顔を見せないで!

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