12/10 マイ・フェア・レディ

 今、僕は必死に追いかけている。いや、正確に言うとは。


「ほら! 小麦粉、そっちにいったわよ! 早く早く!!」

 が容赦なくゲキを飛ばす。


「う、うん! わかってるよ!」

 そう返すものの、すでにヘトヘトのヘロヘロで余裕は全くない。


 ああ、なんでこんなことに。


 そもそもの始まりは、森に足を踏み入れたことにある。


 ◇


 昨日、光っているものが何か確かめたくて、森に分け入った僕が見つけたのは「橋」だった。

 綺麗な小川にかかっているその橋は、木と土で出来ているようにも、レンガとモルタルで出来ているようにも、はたまた鉄と鋼で出来ているようにも、金と銀で出来ているようにも見えた。


 自分でも何を言っているのか、よく分からない。


 でも、その橋はそうとしか言いようがない不思議な質感をしていて、さらにどういう理屈かわからないけれど、ピカピカと光っていた。


 誘い込まれるように足を踏み入れる。


 光っていて綺麗だけど、意外とこの橋は古そうだぞ。

 そんなことを思いながら、ちょうど中腹あたりに差し掛かった時。突如、足元がグラグラと揺れはじめた。


 橋がみるまに解け、バラバラになっていく。


「うわアァァァァァァーーー!!」


 崩れてゆく橋もろとも小川に落ちかけた僕の襟元を、誰かがギュッと掴みあげ、岸辺に放り投げる。


「ちょっとぉ、危ないじゃない! ここはアタシと一緒じゃないと渡れないのよ!」


 よく響く鈴のような声。その持ち主は大きな羽根付き帽子を被り、白と黒のストライプ模様のドレスを着た女の子だった。


「あ、ありがとう……!」

 地面に倒れ込みながらお礼を言ったけど、それは完全に無視された。こちらを上から下までジーッと睨め付けるように見た挙句、「あらっ?」と、無遠慮に僕のポケットに手を突っ込んで紙を抜き取ってくる。


 広げて読んだその子の眉が、つぃぃと上がった。


「ふーん。見かけない顔だと思ったら、そういうこと。あんた、サンタクロースに送り込まれて来たのね。ご愁傷様。これ、期日までにクリスマス・プディングを作らないと、本当に一生ここから出られないわよ」


 な……! あっさりと恐ろしいことを言う。


「で、でも、さっきまでいたところには道具しかなくて、プディングの材料なんてどこにも……」


 急に不安になって、しどろもどろに状況説明する僕を、冷めた緑色の瞳が見つめてくる。


「そりゃそうよ。お菓子を作るなら【森】で材料集めをしないと。集めざるもの、作るべからず。常識じゃない」


 そんな理論は、初めて聞いた。


 言葉をなくす僕をままに、女の子は上を向いて、何かを考えているようだ。そして暫くすると、にんまりと此方を向いた。


「ねえ。それ、アタシにも手伝わせてよ」


「へっ?」


「あんたなんかが、この森でやみくもにプディングの材料を探しても、絶対に手に入りっこないわ。だってここは、1000を超えるマザーグースが生きる場所、形があって無い場所、広がり続ける概念の森だもの」


 後半部分は哲学的すぎて、僕の理解の範疇をこえている。

 ただ、お前だけじゃクリスマス・プディングの材料は揃えられない、って言われてることはわかった。


「だから、アタシが材料集めを手伝ってあげる。報酬は……そうね、出来上がったプディングを一口もらうってのは、どう? 悪くない話だと思うけど」


 言われてみれば、あの紙には『美味しいクリスマス・プディングを完成させてね』とはあったけど、それを食べちゃいけないとは書いてない。

 それに、この子が言うように、こんな場所で材料を集めるのは、一人では到底無理そうだ。あと、単純に話し相手が欲しい。


 上記の考えを数秒で巡らせた結果、僕は提案にのることにした。


「よろしく。僕はコウタ。シノザキ コウタ」と手を差し出す。


「オッケー、コータ。取り引き成立ね。アタシは……ふふ、もうずっと前に名前は無くしちゃった。だから、名前を呼びたければ“レディ”でいいわ。みんな、そういうの」


 ギュッと手を握り返してきたレディは、早速聞いてくる。


「で、何が必要なの?」


 今思えば、このとき安易に返したのが良くなかった。


「うーん、小麦粉とか干し葡萄とか……」

「それなら、ちょうど近くにいるわよ!」


 そう言われて、ついていったが最後。


 森の中をぴょんぴょんと跳ね回る【小麦粉 】と【干し葡萄 】を相手に、長い長い追いかけっこを繰り広げることになった。


 彼らは異常なほど、すばしっこい。

 気づけばもう一日以上、僕らは後を追いかけ回している。


 ◇


「今よ! 飛んで!!!」


 言われるがままに、身を投げ出す。もうさすがに体力の限界だ。この一回にかける!


 走り回る小麦粉にダイビングジャンプした僕は、袋の端っこを引っ掴み、渾身の力で引き寄せた。


 よしっ!!!


 獲物を胸元に抱え、地面をゴロゴロと転がる。


『イングランドの小麦粉』と書かれた袋は、くねくねと身をひねって逃げようとするもんだから、全体重をかけて押さえつけた。


「ほんと生きのいい小麦粉ね。プディングにぴったり」


 駆け寄って来たレディの小脇には、ラグビーボールほどの巨大な干し葡萄——よく見ると『スペインの果物』という文字が表面に浮かんでいる——が抱えられている。


 干し葡萄は怯えるように細かに身を震わせていたけど、小麦粉の近くまでくるとスッと大人しくなった。これは小麦粉も同じで、静かになった彼らは、もう何処にでもある製菓材料にしか見えない。


「とりあえず小麦粉と干し葡萄、ゲットね! ちょっと、ううん、だいぶ時間かかっちゃったけど」


 額の汗を拭いながら言うレディの声色は、弾んでいる。

 対する僕は疲労困憊、膝はガクガク。立つことすらままならない。


 でも不思議と、爽やかな気分だった。



 *…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*

 以下、登場したマザーグースの紹介


『London Bridge is falling down』

(ロンドン橋、落ちた)


 London Bridge is falling down,

 Falling down, Falling down.

 London Bridge is falling down,

 My fair lady.(以下略)


 ロンドン橋 落ちた、

 落ちた 落ちた。

 ロンドン橋 落ちた、

 マイ・フェア・レディ



『Flour of England, fruit of Spain』

(イングランドの小麦粉とスペインの果物)


 Flour of England, fruit of Spain,

 Met together in a shower of rain;

 Put in a bag, tied round with a string;

 If you tell me this riddle,

 I’ll give you a ring.


 イングランドの小麦粉とスペインの果物が

 降りしきる雨の中で出会い、

 袋に入れられ ひもでぐるりとくくられた。

 このなぞなぞがわかったなら 指輪をあげる。


(注;なぞなぞの答えは「干し葡萄入りプディング」これは「クリスマス・プディング」とほぼ同義。内容は、メアリ一世とフェリペ2世の結婚を表しているともいわれる)


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