ACT21 鐘鳴慧の対峙


「うちと、握手しませんか!?」


 昼休み。

 朝から不調気味だった妹の鐘鳴かねなりえいのことが心配で、一年三組の教室に出向いたものの、詠は不在であり、そこで会った一つ年下の後輩かつ詠の親友とも言える少女、新堂しんどう由仁ゆにとの会話の中で。

 彼女から、緊張気味にそのように言われて――鐘鳴かねなりけいは、己の身体が硬直してしまう心地を得ていた。

 つい先ほど、いつも妹がお世話になっている彼女へのお礼の意味を込めて、頼みごとがあったら言ってくれと格好を付けてみたのだが。


「? 握手?」


 その提案に、慧は内心で戸惑ってしまう。

 何しろ、慧は家族親戚以外の女の子と、手を握ったことなどない。

 かろうじて平静を装って確認してみたところ、由仁はコクコクと頷いて、


「は、はい。その、慧センパイのお礼を、うちもちゃんと受け取りたくて。それならもっと仲良くなりましょうって感じでっ」

「ふむ……なるほど」


 何故かしどろもどろにも見える由仁の説明に、慧はどうにか納得する。

 あまり深くは考えなくてもいいことのようだった。一瞬、何かを勘違いしかけてしまったのは反省である。

 握手なら、剣道の試合後の防具を外した後などに、試合相手と健闘を称え合う意味でやったこともあるしで、そういうノリで握手するのも良いだろう。

 ……握手の相手が由仁であるだけに、慧にとっては決して軽いものではなかったのだが、そこは心の奥に押し込めておく。


「改めて友情の証という形を表すには、良いかも知れないな」


 そのような心情の過程で、慧は右手を差し出すと。

 逆に、由仁は『うぬぅ……』と何かを悩んでいるようだった。

 一体何が……と慧は思ったものの、その答えが出ないまま、由仁が何かを抱えた様子でこちらの手を握ってきたところ、


「――――」


 こ、これは……!


 彼女のその手指の感触に、慧は己の鼓動が跳ね上がる心地になった。

 昔に握ったことがある妹の詠の指はとても小さくて、感触としてはわからなかったのだが。

 今、握っている由仁の指は……そう、想像していたものよりもとても細くて柔らかく、さらに柔軟性に富んだ力の入り具合があった。

 おそらく、彼女は過去にスポーツ――詳細で言うなら球技をしていたのかもしれない、とまで考えて。


 無粋な詮索は無用か……。


 慧は思う。

 この握手はいわば、妹と友達としていつも仲良くしてくれている女の子、新堂由仁へのお礼と友情の証である。

 だからこそ、今、ここで、


「いつもありがとう、由仁さん」

「…………え?」


 その感謝を告げると、由仁は驚いたようだけど。

 構わず、慧は続ける。無意識に。


「これから先、困ったことがあったら言ってほしい。キミが詠にしているように、俺もキミを全力で助ける。絶対だ」

「……慧、センパイ」

「こういうのも、気障っぽいかも知れないが……その、俺の本心だ。いつでも頼ってくれ」

「…………はい」

「では、また」


 その握手の長さは、約十秒。

 離した手の感触の名残を感じつつ、ちょっと呆然としている由仁にそのように言いおいて、慧は踵を返して、悠然と彼女の前を去る。

 そう。

 悠然と、していたつもりなのだが。



「――――っ!」



 廊下の角を曲がって、視界から彼女が居なくなった途端。

 鐘鳴慧は、緊張の糸が途切れたかのように、己の奥からあふれてくる気恥ずかしさで全身に熱を持たせていた。


「何を思って、俺はあんなことを……!?」


 思い返すは、先ほどのやり取り。

 由仁の手を握った瞬間に、自分が自然と放っていた言葉。


 ――俺がキミを全力で助ける。

 

 なんであんな言葉が出てしまったのか、自分でもわからない。

 アレではまるで……そう、書物などでよく見る、異性に対する愛の言葉みたいではないか……!

 その気恥ずかしさに、慧は思わず己の口元を押さえるも、あふれる羞恥心を抑えることは出来ない。

 ……思い返すと、確かに。

 新堂由仁は、妹の親友であると共に、鐘鳴慧にとって尊敬する少女である。

 己を高めるために常日頃から努力をし、苦手の克服も正面から向き合って、なおかつ妹には優しく接してくれるし、何よりも家族を想って涙をこぼすことの出来る人柄は、まさに聖人ともいえる。

 そんな彼女だからこそ、慧は感謝しているのであって――


「…………否」


 気恥ずかしさを鎮めて、どうにか己の口元から手を離して、慧は一つ呟く。

 他にも思い浮かべてみるといい。

 慧と会う度に、彼女が『パアアアアアァァ』と浮かべる笑顔に、何度も戸惑って。

 先日に、慧のことを褒めちぎってくれたのが、照れくさく、それでいてとても嬉しくて。

 最初に会ったとき、平手打ちという過程があったものの、近くに感じた彼女の美しさと親しみ深さに、心惹かれて。


「答えは、既に出ていたんだな」


 そう。

 初めて出会った日の翌朝。

 自分は、何を思ったか。



「――この気持ち、まさしく恋だ」

 


 ほんのわずかな声量で口に出してしまえば、もはやそれは決定的で、慧にとって認めなければいけないことだった。

 だが、同時に。

 頭にちらついてくるのは、やはり、自分にとって犬猿とも言えるあの男。

 彼女のことを想う気の軽さよりも、ただ単に鬱陶しいあの男に対峙することの気の重さが勝ってしまう。


「……一体、どうすれば」


 ぶつぶつと呟きながら、慧はいつもより重たい足取りで、教室に戻ったところ。



「あ」

「あ」



 教室の入り口前で、慧はあの男――新堂由仁の実兄、新堂しんどう源斗げんととばったりと出くわした。


  ☆  ★  ☆  ★  ☆  ★


「……おう」

「……ああ」

「なんや、えらい辛気臭い顔しとるやん。オマエらしくもない」

「今の貴様に言われたくない。大雑把の権化である貴様が、なんだその顔は」

「む……前も言ったけど、俺にかて、オマエにはわからん悩みの一つや二つあるわい」

「そんなところだ。俺にだって気が沈む時もある。貴様には到底わかるまい」

「…………」

「…………」


 お互い険悪に睨み合いながら、一息。


「なあ」

「なんだ」

「悩みって言えば、オマエこの前、ゆーちゃんとは話したん? あの、従兄弟やなんやと一緒にいた時(ACT17参照)のやつ」

「ああ……そうだな。だが、貴様がそれを知ってどうする」

「いや、最近オマエとゆーちゃんがえらい仲良いって聴いたから、ちょい気になってもうた。ゆーちゃん、その辺りはあまり話してくれんし」

「そうなのか? 俺と由仁さんの仲のことなど、初耳なのだが……」

「俺も風の噂で聴いただけや。実際どうやねん」

「……由仁さんには、詠がいつも世話になっているからな。その繋がりで、彼女と会ったときは友好的に話せているし、いつも感謝を伝えている。それだけだ」

「そうか……ま、悪いようにしてないってんなら、それでええわ」


 源斗、少し複雑そうに一息。

 そんな彼に対し、慧は、


「貴様こそ、最近、詠の体力向上のコーチングをしていると最近聴いた。本当なのか?」

「ホンマや。軽いコツみたいなモンをな。なんやオマエ、知らんかったんかいな」

「剣道部の大会が近いから、帰りがいつも夜遅いのだ。それに中間テストの対策もしないとならない。ここ最近は、詠を気にかけている暇がなかった」

「……せやったらしゃーないかもな。なんやかんやで、オマエは常時上を目指しとらんと気の済まんヤツやし」

「いちいち一言が多い。……で、貴様に任せていて、少し心配でもある。なにせ大雑把な貴様がコーチだ。体の弱いあの子が、いつオーバーワークを起こしてしまうことか」

「いちいち癇に障る言い方せんでも、安心せい。えーちゃんの負担にならんペースでちゃんと鍛えるわい」

「……確かに、今朝の詠は不調だったかも知れないが、総合的には元気だったし顔色もいい。貴様に任せても……まあ、問題ないようだ」


 今度は慧が息を吐く。


「…………」

「…………」


 それから間に沈黙が生まれたものの、最低限のことを訊いて回答が得られたならば、別に友達でも何でもない二人はこれ以上話を続ける理由はなく、その場を散会すればいいだけなのだが。


「……………………」

「……………………」


 お互いに、その場を引く様子がない。

 何故か?


 先ほどの会話は、あくまで訊きたいことの最低限であり。

 ――もっと訊きたいことは、別にあるからだ。


「なあ」

「なんだ」


 その切り出しの先手は、源斗から。


「ぶっちゃけ訊くが。オマエ、ゆーちゃんのこと、どうなん」

「……本当に不躾だな。流石は大雑把の権化」

「茶化すなや。真面目に訊いとんねん。家族のことやからな」

「フン、先にも言っただろう。俺は由仁さんにいつも感謝しているし、尊敬出来る人だと思っている」

「回りくどい言い方すんな。……ホレとんのか、ゆーちゃんに」

「……………………」


 その直球の質問に、慧は一つ間を置いたが。



「――惚れている。おそらく、最初に会ったときから」



 相手から、そして己の気持ちに目を逸らすなど、もはや慧にとってはあり得なかった。

 だから、堂々と答えた。


「…………そうか」


 その回答に、源斗はむっつりと押し黙ったようだが、


「そういう貴様こそ、どうなのだ。詠のこと」

「……それは」

「まさか、自分が訊かれる覚悟もなく、俺のことを訊いたのであるまいな」

「別に、答えたくないわけちゃうわい。いろいろ思い返しとっただけや」

「いろいろ、だと?」

「えーちゃんは、ちっこくて可愛くて、守ってあげたい儚さもあって……ただ、本当はちゃんと一歩踏み出せる、勇気を持った強い娘やってな」

「詠のことを、そこまで見ているならば、貴様は」


 慧の確信めいた問いに、源斗はコクリと頷いて、



「えーちゃんのこと、好きになってもうてる。多分、あの娘と初めて友達になった時から」



「…………そうか」


 今度は慧が、むっつりと押し黙る番だった。


「…………」

「…………」


 またも間に生まれる沈黙。

 だが、


「となると、お互い、俺達が思うことは一つやわな」

「ほう、貴様でもわかるか。今回ばかりは意見が合うらしい」


 一つ、息を吸って、



『オマエ(貴様)に、妹を任せられるか!』



「オマエが? ゆーちゃんを? あり得ん! あの明るかったゆーちゃんが、オマエみたいな陰湿冷徹女になってもうたらどうすんねん!」

「貴様に詠を渡したらどうなってしまうことか。優しくて気配りのいいあの子を、貴様みたいな大雑把でだらしのない女にするわけにいかん……!」

「オマエの恋路は絶対に阻止したるかんな! その上で、俺はきちんとえーちゃんのハートをゲットしてやるわいっ!」

「貴様の排除に全力を尽くさないといけないときが来たようだ。他でもない、俺と由仁さんの幸せのために!」

「あ?」

「ん?」


 そうしてまたも始まる、バチバチとした睨み合いの火花。

 お互い、眼力では一つも負けていない。


「おやおや~? 新堂×鐘鳴、第73ラウンドが勃発ですか~?」


 その気配を悟ってか、クラスメート達がまたも二人の闘争の予感を感じ取ったものの。


「……でも、なんか今回は、雰囲気が違うくね?」

「力の入り方が妙に違うような気がするわ」

「まるで、己の人生が懸かっているかのような余裕の無さにも見えるぜ……」

「なんという危なっかしさだ……!」

「今回ばかりは、賭けにするのも躊躇われますね~」


 二人の間に走る雰囲気に、彼らはゴクリと息を呑むことになったのだった。

 ……実際のところ、わりと残念な男二人による、わりと残念なぶつかり合いであるのを知られるのは、もう少し先のことである。

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