ACT20 新堂源斗の自覚


「うううううううううむ………………」


 昼休み。

 二年五組の教室内で、クラスメート達が賑やかに昼食を楽しんでいる傍ら、新堂しんどう源斗げんとは弁当箱を空けることもないまま、自席で悶々と苦しんでいた。


「……今日のゲンさん、明らかに変だよな」

「この悶々とした空気、梅雨の到来が速まった感じだよ」

「体育の時でも絶不調だったしなー。ミニゲームで最低限のことはこなしてたけど」

「最低限って時点で、ゲンさんじゃない感じだよな。いつも大活躍だし」

「原因とすれば……最近噂の、あの購買の姫とのことか?」

「知ってるー。あの、ちっちゃくて小鳥みたいな一年の子でしょ? 確か鐘鳴くんの妹さん」

「なんでも、ゲンさんがその子とグラウンドで情熱的なハグをして、そのままお持ち帰りしたとかなんとか……」

「さすがにそれは突拍子すぎないか? ゲンさん、ああ見えて女子に対してそこまでガツガツしてないし」

「ただ、事実だとすると、やはり、そこはかとなく身長差からくる犯罪臭が」

「兄とはバチバチなのに、妹とはラブラブなのか……」


 とまあ、そんな源斗を、クラスメート達は昼食の傍らで眺めながらヒソヒソと話すのだが、ヒソヒソ話なだけに、やはり源斗の耳には届かない。

 彼らが話する内容には結構な尾ひれがついていながらも、当たらずとも遠からずといった具合ではある。

 今、間違いなく源斗の懊悩の中心にいるのは、


「えーちゃん、どうしてるかな……」


 妹の新堂しんどう由仁ゆにの親友で、源斗にとっても友達と言える一つ年下の女の子、鐘鳴かねなりえいのことである。

 ここ一週間ほど、源斗は彼女の身体強化の一環である懸垂についてのコーチングをしていたのだが。

 昨日、詠は遂に懸垂一回を達成して……感激のあまり、その、なんだ、思いっきり源斗に抱きついてきたのだった。

 普段は控えめで恥ずかしがり屋な子だというのに、あんなにも情熱的だったのが、源斗を当惑させる。

 あそこまでとなると、もしかして、などとも思ってしまいそうなものだが、


「いや……うん、勘違いしたらアカンで。えーちゃんのアレは、感謝感激でああなっただけで、特別な意味はないんやからな……!」


 頭を振って、思いとどまらせる。

 現に、詠は感謝をちゃんと言葉で伝えてきていた。

 自分が彼女にしてあげたことは少しだけだと源斗は思っているが、それでも、詠の『ありがとう』という言葉はとても胸に響いた。

 何よりも、あの、小さな身体で抱きついてきた感触は、


「……柔らかかったよなぁ」


 ついつい、呟いてしまった。

 会って間もない頃に、とある一件で彼女のことを負んぶしたことがある。

 最初に感じたのは『めちゃくちゃ軽い』で、次いで『大雑把ではなく慎重に扱わなければならない』という小動物の搬送みたいな感じだったので、そういった感触については感じる間もなかった。

 だが、昨日のように……前から来たとなると、充分にその感触を感じる間があったわけで、今でもその時の感覚が鮮明に残っている。

 こう思ってしまうのも失礼かも知れないが、詠は女の子としては身体の凹凸の起伏に乏しく、彼女の彼女が当たるとかそういうことはなかったのだが、それでも、全体的には……。


「って、俺というやつはなに考えとんねんっ!?」


 青少年ならではの邪な思考に行き着こうとしている自分に渇を入れるべく、ガツン、と自席の机に頭突きを見舞った。

 結構痛かったが、頭の中の邪な値は減ったと思う。多分。

 昼休み……というより朝方から薄々感じているクラスメート達からの奇異の視線が、より一層強く感じられた気がしたが、この際は無視。

 この悶々とした気持ちに決着を付けるには、一体どうすれば……と、源斗が悩みに悩んでいたところ、


「新堂くん」

「ん……黒木?」


 クラスメートで友達でもある女の子、黒木くろき小幸こゆきが声をかけてきた。

 パッチリした瞳を何故かニンマリと細めている彼女は、ゆるゆるとした口調で、


「お姫様がお呼びですよ~」

「んあ? お姫様?」

「教室の入り口でお待ちしてますので、行ってあげてください~」

「……?」


 一瞬、源斗は彼女の言っていることの意味がよく解らなかったのだが……小幸がそう呼ぶ相手に、一つだけ心当たりがある。

 まさか、という思いで源斗は自席を立って、教室の入り口に足を運んだところ、


「こ、こんにちは、源斗お兄さん」

「えーちゃん」


 そのまさかの通り、昨日から源斗を悶々とさせている女の子、鐘鳴詠が若干緊張した面もちで待っていた。

 これには源斗、今の状態からさらにぐるりと胸中が渦巻くのを感じるのだが……そこは、どうにか平静を装って、


「どしたん、こんな時間に。今、昼メシ時やで」

「いえ、その……源斗お兄さんとお話したいあまりに、居ても立っても居られなくなっちゃいまして」

「な……っ!」

『!』


 こちらの会話に聞き耳を立てていたらしいクラスメート達が、詠の発言に『ざわっ』と色めき立つ。


「えーちゃん……!?」

「実は、休み時間にも会いに行っていたのですが、移動教室とか体育とかで、源斗お兄さんは不在でしたから」

「それは、その……まあ、実際そうだったけども」

「だから、昼休みがチャンスだと思って。ずっと、源斗お兄さんに会いたかったし、お話したいことがありましたからっ」

「!?」

『!?』


 これには、源斗も大きく仰け反ったし、クラスメート達のざわめきも大きくなる。

 特に、女子達は『キャー』などと色めきだっているし、小幸も何故か『ほほぅ……』と興味深げに唸ってもいるしで、さすがに随時大雑把な源斗でも、詠の発言がどれだけ際どく大胆かを理解していた。

 それだけに、源斗は生まれて初めて、心臓が口から飛び出てしまいそうな心地を味わった。


「え、えーちゃん!」

「はい? ど、どうしたんですか?」

「ちょい、場所変えよっか。ここで話すのは、なんかやばい気がする……!」

「え? え?」


 当然のことながら、詠の言っていることは意図的ではない。それはわかっている。

 だとしても、クラスメート達の好奇の視線を免れるには、ひとまずこの場を離れるのが一番だ。

 あと、


「――――!」

『!』


 詠を連れて廊下を歩く傍ら、彼女に見えない角度で――後を尾けてこようとするクラスメート達を、源斗は眼力で制しておいた。いろんな意味を込めて。


「……よし」


 ともあれ、教室を出て歩くこと二分少々。

 人気の少ない校舎の隅っこにある、階段広場の壁際の目立たないところで、源斗は一息吐く……かと思いきや、


 ジリリリリリリリリリリ!


「!?」

「!?」


 校舎内に設置されているスピーカーから、けたたましい警報音が鳴り響いた。

 これには、ほぼ反射的に源斗は周囲を見渡しつつ、警報音の方角へと身構えて、詠の前に立とうとするのだが、


『ただいま、校舎内の火災報知器の点検中です。この後、何度かお騒がせするかと思いますが、生徒、教員の方々は、ご了承ください』


 次いで、スピーカーから事務的な放送が聞こえて来た。

 要は、そういうことらしい。


「び、びっくりしました」

「ホンマ、息つく間もないわ……」


 二人そろって、やれやれと一息。


「源斗お兄さん、ものすごい警戒っぷりでしたね」

「ん。さっきがさっきやったしな」

「それに、私のこと……その、咄嗟に守ろうとしてくれたの、嬉しかったです。最初に会ったときのように」

「……いやまあ、昔からの癖みたいなモンやで。小さい頃はよく、ゆーちゃん守ってたし」


 ……なんだか、微妙に話が甘ったるい方向に行っているような気がしないでもない。

 クラスメート達のことといい警報音のことといい、そして今の詠のことといい、どうにも源斗は気が休まらない心地なのだが、こんな時こそ気を鎮めて落ち着こう。

 源斗、もう一つ深呼吸して、


「とりあえず……ごめんな、えーちゃん。勝手に引き連れてったりして」

「あ、はい。私は別に、教室でも構わなかったのですけど」

「アカンねん。うちのクラスのヤツらがなんか注目しとったし、あいつらは変人揃いやから」

「そうなんですか? そういえばお兄様も、そのようなことを言っていたような。あまり詳しくは話されないのですけど」

「アイツと思うてることが一緒なのはビミョーな気分やけど……まあ、その話はええわ。えーちゃん、俺に話があったんやろ?」

「あ、は、はいっ」


 詠の顔に、先程にあったような若干の緊張が浮かんだ。

 その様子からして、なんとなく、源斗は彼女が何を言ってくるかについては予想がつく。


「えっと、その、昨日はいきなり、あんなことしちゃってごめんなさいっ」

「あんなことってーと。えーちゃんが、俺に……まあ、抱きついたみたいなことやんな?」

「は、はい。あのときの私、喜びのあまり舞い上がっていたというか」


 その予想通りに、彼女は頭を下げてきた。やはり気にしていたらしい。

 そこまで意識されているとなると……と思いかけるが、そういう勘違いは、頭の隅に置いておいて。

 受け答えは、やんわりとかつ豪快に。


「はっはっは、ええねんええねん。スポーツでもよくあることやん。野球でサヨナラホームランを打ったとか、バスケで試合終了直前に逆転シュートを決めたとか、そういう時とかにチームメイトで喜びのハグとかしてるやん」

「そ、そういうものなのでしょうか? でも、やっぱり、他の人とかにはどのように映るかとか……」

「あー、確かにうちのクラスのヤツらはいろいろ言うとるけど、そんなんはえーちゃんが気にせんでもええ。俺の方でなんとかしとくから」

「でも」

「大丈夫。えーちゃんは、今まで出来てなかったことがやっと出来たんやから、なんも考えんと喜んでたらええ。どうしても気になるんやったら、今後気をつければええってだけや」

「あ……は、はい。源斗お兄さんがそう言うなら、その、お言葉に甘えちゃいます」


 緊張が解けて、重い荷物を解放したかのように、詠は笑みを浮かべる。……正直、可愛いと思ったが、それはそれとして。

 源斗、そこまで悶々と深く考える必要がなかったとわかって、少しといわず結構ホッとした。

 あとはいつものように、詠とはちょっと世間話をして、その後のクラスメート達の詮索についてはテキトーにあしらっておけば、万事解決……とまで、源斗は思い浮かべていたのだが、


「それで、なんですけど」


 詠の話には、まだ続きがあった。


「どしたん?」

「えっと、私の体力向上は、懸垂だけじゃダメだと思いまして」

「ん……確かに、えーちゃんがホンマに体力を上げたいんなら、アレだけやったら足りひんわな。他のトレーニングもしっかり取り入れていかんと」

「はい。それで、その……お時間があればでいいんですけど、これからも源斗お兄さんには、私のコーチをして欲しいんですっ」

「え……」


 ギュッと両拳を握りながら真っ直ぐにこちらを見て、詠がそのお願いをしてきたのに、源斗はまたも驚いた。

 一瞬、先程の勘違いも含めて、源斗の頭の中でいろんな思いが浮かぶのだが――


 ……いや、違うな。


 それは、無粋でしかない。

 友達が、自分を頼ってきている。

 ならば、細かいことは考えず、そのオーダーに応えるのが新堂源斗がこれまでやってきたことだ。


「わかった。他でもない、大事な友達のえーちゃんの頼みや。しっかり鍛えたるで」

「友達……」

「ん? どしたん、えーちゃん。ちょっと微妙な顔になってへん?」

「あ……いや、なんでもない、なんでもないですよっ」

「? それならええんやけど。今日の放課後は少し用事があるから、明日からでええか?」

「は、はい、お願いします。……私も、源斗お兄さんみたいに、スポーツ万能になれるでしょうか?」

「んー、すぐには無理やな。でも、トレーニングをしっかりと継続していけば、えーちゃんもしっかりとスポーツが出来るようになるのは、俺が保証するで。そのためには――」

「ちょっとずつ、ですよねっ」

「お、ようわかっとるやん。憶えててくれて、俺は嬉しいでっ」

「ふふふ」


 とまあ、ちょっと微妙な空気が挟まりつつも、最後は和気藹々とした空気で、源斗と詠の会話がまとまろうとしたところで、


 ジリリリリリリリリリ!


「!?」

「!?」


 校内のスピーカーから、またもけたたましい警報音が鳴った。

 源斗は、反射的に身体を動かして、詠を壁際にしつつ、警報音のした方角に己の背中を盾に向けようとして――

 そういえば、さっきの放送で、火災報知器の点検中とか何とか言ってたな……。

 今、思い出した。

 詠とは結構話し込んでいたためか、源斗、そのことがすっかり頭から抜け落ちていたようだ。


「ごめん、えーちゃん。また勝手に身体が動いて――」


 とりあえず、源斗は盾の姿勢のまま、詠の方に向いて話しかけようとして……そこで、気付いた。


「……………………」

「……………………」


 普段は眠たげな瞳をまん丸に見開いて、壁を背にしながら、詠がこちらを見上げている。

 そして、幼さが抜けきらないその顔を――とても、近くに感じる。

 しかも……詠が背にしている壁に、源斗が右手を突いている、この構図。


 もしかして俺、今、えーちゃんを壁ドンしている……!?


 自分でびっくりした。

 警報音が鳴って、咄嗟に詠のことを守ろうとして、その結果不可抗力でこの構図とは……!

 源斗と詠の身長差は約四十センチ。

 さすがにこれは、詠のことを怖がらせてしまったかもしれないと思って、源斗は大慌てで身を引こうとしたのだが、



「源斗、お兄さん」



 出来なかった。

 詠が、小さく自分の名前を呼んだのが、源斗の身体を停止させていた。

 今も、ちょっと潤んだ瞳で、まっすぐにこちらのことを見上げている彼女から、源斗は視線を外すことができない。

 短めのおかっぱの黒髪も。

 大きな黒色の瞳も。

 反比例して小さな鼻も。

 ちょっと膨らんだ頬も。

 そして、その薄い桜色の唇も。

 近くに感じたからこそ、彼女の顔のすべてが可愛い。

 だからなのだろうか。


 源斗の鼓動が、激しく加速しているのは。


 鼓動の加速に呼応するかのように、身体中が熱くなる。

 熱量の増大に呼応するかのように、徐々に呼吸の間隔が短くなるのを感じる。

 その息遣いを間近にしても、詠はこちらを見るのをやめない。

 それどころか。

 詠も、上気した頬と共に、心なしか呼吸の間隔を短くしているのが見える。

 ――今の源斗の鼓動と熱量の加速を、詠も同様に持っているというのだろうか。



「えーちゃん」

「源斗お兄さん」



 自然と、互いに名前を呼び合う。

 いつしか、詠は瞳を閉じている。

 彼女が何故そうしているのかは解らないけど、同時に、とても自然なことにも感じる。

 だから。

 それに応じるかのように、源斗は少しずつ腰を落として。

 彼女のその息遣いを、もっと近くに感じようとした、ところで――



 ジリリリリリリリリ! 


 

「!?」

「!?」


 またも、スピーカーから警報音が鳴ったのに、源斗と詠は我に返って全身を震わせる。

 さすがに三度目ともあって、もう火災報知器の点検による警報音というのは承知しているのだが……今のこの状況に、二人は今更ながら気付いて、


「う、わっ、ご、ごめんえーちゃんっ!」

「あ、ご、ご、ごごごごごごごごごめんなさいっ!」


 源斗と詠、まったく同時とも言えるタイミングでお互いから離れて、視線を逸らした。

 言い訳とか他の謝罪とかいろいろ考えたが、源斗、何も思い浮かばない。

 ただただ、ドッドッドッドッ、とした鼓動と熱量が全身を支配し、己の心身を翻弄している。


「ふぅ……ふぅ……!」

「はぁ……はぁ……!」


 源斗が必死に落ち着こうと荒い呼吸を繰り返すのと同じく、詠も呼吸を繰り返しているのが聞こえてくる。

 つまり、詠も源斗と同じ状況なのだろうか。それとも、ただ単に呼吸を苦しくしているだけなのか。

 後者だったらいけない、と思い、源斗はもう一度視線を詠に向けて、声をかけようとするのだが、


『あ、あの!』


 その瞬間に、タイミング良く彼女もこちらに視線を向けており、バッチリと目と目が合い、かける声が重なった。


『~~~~~~~~~~』


 直後、両者赤面して言葉を失って視線をはずした。

 ……ダメだった。

 これ以上、源斗には何も言えなかった。

 それくらいに今、さっき詠としようとしたことが、どれだけ重大だったかをきちんと理解していたし。


 ――どれだけ決定的なことなのかも、きちんと自覚できた。


「げ、源斗お兄さん」


 その自覚に、源斗の中でまた悶々が始まろうかという矢先、詠が声をかけてきた。

 若干、彼女の方が回復が早かったようである。

 これには源斗、どうすればいいかを迷ったが、受け答えはしないといけないという気持ちを振り絞って、詠に向き合う。


「お、おう。どした、えーちゃん」

「その、べ、別に怖くなかったですので!」

「………………う、うん?」


 一瞬、何を言われたのかわからなかった。


「ええと、ああいうのを壁ドンといいましたっけ? 確かに私は男の人が苦手ですが、源斗お兄さんには、そうされても怖いとかそういうのはなかったですので! 源斗お兄さんは、お、お友達ですから!」


 で、続けて詠が言ったことに。

 つまり、そういうことかと、源斗は思うことにした。


「そ……そ、そうやんな、うん! 不可抗力とはいえああなったから、俺もちょっと心配やってん。えーちゃんのこと、怖がらせてないかって!」

「は、はい、ついつい目を瞑っちゃいましたが、ちょっとびっくりしただけといいますか! でも、案外平気でしたので!」

「な、なるほどなるほど。えーちゃん、度胸もついてきたんやな!」

「そうかもしれません。源斗お兄さんのおかげです、ありがとうございます!」

「お、おう、どういたしまして!」


 語気を強めてかつ、早口でまくし立て合いながら、


『…………はあああああぁぁぁぁ』


 お互いに大きく息を吐いた。

 堅い空気が、少しずつ和らいできた気がする。

 実際そうでないかもしれなくとも、そう思うことにする。

 ――そうじゃないと、また、変な感じになってしまいそうだから。


「ええと……解散しましょうか」

「……せやな」


 いつの間にか、昼休みも半分を過ぎている。

 お互いに昼食を取ってないので、ちゃんと腹に入れておかないと、午後の授業を乗り切れないだろう。

 今日の彼女との時間は、ここまでのようだ。


「では、その、トレーニングの件、よろしくお願いします」

「おう。また、連絡するわ。えーちゃんに合うの、探しとく」

「あ、ありがとうございます。……それと」

「? それと?」


 と、詠の付け足しに、源斗はついついオウム返しをしてしまうのだが。

 詠は、また少し頬を赤くしながら、



「さっきのは、怖くなかったですし……イヤじゃ、ありませんでしたよ」



「――――」

「そ、それでは、また明日……!」


 そのようにだけ告げて、詠はぴゅーっと早足で、一年校舎のある四階の方へと階段を上っていった。

 一方の源斗、詠の最後の言葉の意味を耳にして、その意味をしっかりと理解したためか、


「…………………………ホンマ、どうすりゃええねん」


 そのように、呟くしかない。

 もはや、これだけの決定打に決定打が重なっただけに、認めなければならない。



「俺、好きになってもうたんやな、えーちゃんのこと……」



 認めたことを改めて小さな声で口に出して、噛みしめる。

 だが。

 そうだとしても、源斗には立ちはだかる壁がある。

 彼女を想う気の軽さよりも。

 犬猿の仲であるアイツの影をずっと近くに感じなければならない事実の気の重さが、どうにも勝ってしまう。


「……どうすりゃええねん」


 そんな重苦しい空気でブツブツ言いながら、ノロノロとした足取りで廊下を歩いて教室に戻ったところ、



「あ」

「あ」



 その、入り口の前で。

 ばったりと、アイツ――鐘鳴詠の実兄、鐘鳴かねなりけいと出くわした。

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