ACT17 鐘鳴慧の魅力


「む……アレは」


 五月も半ばを過ぎて、本格的に暖かくなってきた昼休み。

 鐘鳴かねなりけいは、自分が所属する剣道部の部員達と剣道場で昼食を楽しんだその帰り――校舎と校舎を繋ぐ渡り廊下に入ったところで、知っている人物を二人見かけた。


「由仁さんと、壮士?」


 一人は、慧の妹である鐘鳴かねなりえいの一番の友達とも言われており、慧にとってはいろいろな意味で考えさせられる少女、新堂しんどう由仁ゆに

 そしてもう一人は、慧の物心ついてからの幼なじみで、一つ年下の従兄弟でもある少年、拝島はいじま壮士そうしである。

 そんな二人は、今、渡り廊下で親しげに……そう、とても、親しげに、話している。

 由仁はいつも慧に見せているような天真爛漫ではなく、落ち着いた親しみのある笑みで談笑しており、壮士は壮士で、愛想の良い紳士的な雰囲気で会話を楽しんでいるように見える。


「……………………」


 妹の詠から聴いた話、壮士は詠や由仁とは隣のクラスである。

 同学年でクラスも近いとなれば、従兄弟である詠を通じて由仁が壮士と知り合ったと見ても、なんらおかしいことではない。

 少し考えれば、納得できる話だ。

 ……ただ。

 その、なんだ、それにしても和気藹々とし過ぎではないだろうか……?


「お。あそこにいるのは、ゆーちゃん……と、誰やアイツ?」


 と、慧が隠れて二人を観察しつつ悶々とし始めた頃に、後ろから声。

 見ると、由仁の実兄であり、慧にとっては去年からの犬猿の仲の男である新堂しんどう源斗げんとが、首を傾げていた。


「新堂源斗」

「ん? なんや鐘鳴、おったんかい。なんでそんなところで立ち止まっとんねん」

「少し、先に行き辛い理由があってな」

「理由って、ゆーちゃんのことか? なんでオマエが気にする必要あんねん。知らん仲ではないやろ」

「…………」

「それともまさか、相手のアイツと関係してるとか? 知ってるやつなん?」

「……まあな。俺の幼なじみの従兄弟だ。一つ年下の」

「ほーう。……なんつか、こう、爽やかに見えて腹黒そうなやつな」

「…………」


 源斗の認識は、半分くらい正解といったところか。

 拝島壮士。

 身長百七十八センチの長身細面の眼鏡男子で、気配りがよく社交的な爽やかイケメンなのだが……いかんせん、他人の弱みを握る場面に遭遇する確率が何故か高く、握ったら握ったらで悪気もなくそれをチラつかせてくる、まさに天然ドSピュアブラックである。

 慧も現在進行形で、を握られているのだが、それはともかく。


「で。オマエの従兄弟と俺の妹が会話してる場面に遭遇して、なんでオマエはそんなところで遠慮しとんねん」

「初めて見る組み合わせだったから、少し驚いてしまってな。それに」

「? それに?」

「…………否、なんでもない」

「なんや、オマエにしてはハッキリせんな」

「逆に問うが、貴様は何も思うことはないのか? 自分の妹が、同級生の男子とああいう風に親しげに話していて」

「別に、ゆーちゃんが同級生の男子と話すくらいフツーのことやん。それに、ゆーちゃんはああ見えてしっかりしとる。悪い男には絶対引っかからん。その上で会話してるんやろ」

「――――」


 しっかりしとる。

 悪い男には絶対に引っかからない。

 彼女のことをそう言いきる源斗の言葉に、慧はいい知れない説得力を感じると共に。


 ――絶対的に、妹のことを信頼している、ということか。


 そんな、兄妹の太い繋がりを感じる。おそらく、慧と妹の詠にはないものだ。

 由仁もそれをわかっているからこそ、源斗のことを慧に悪く言われたあの時、とても怒ったのかもしれない(ACT03、04参照)

 ……不覚だ。

 ほんのわずかながら、この男のことを見直してしまうなどと。


「オマエの従兄弟も、さっき腹黒そうに見えるとは言うたが、根っからの悪いヤツでもなさそうやし、オマエもアイツのことをそう信じてるんやろ?」

「無論だ。なんだかんだで、壮士は誰よりも頼りになる」

「だったら、それでええやんけ。細かいこと考えんなや」

「……貴様のような悩みのない生き方ができれば、どれだけ楽なことか」

「オマエ、それ絶対に貶しとるやろ。俺にだって悩みの一つや二つくらいあるわい」

「ほう。そういえば貴様には一つ借り(ACT14参照)があったな。貴様の持っているというその悩み、俺が解決してやらんでもない」

「なんでそんなにエラそうやねん。それにな、俺の抱える最大の悩みってやつは……ぬぅ……」

「どうした。言ってみろ。大雑把の権化である貴様が、何を躊躇う」

「お、オマエには、絶対に話さん……!」

「? おい」


 と、何故か顔を赤くした挙げ句、憎々しげに吐き捨てた後に、源斗はドスドスと足音をたてて何処かに行ってしまった。

 彼が一体何を考えていたか、何を悩んでいたか、慧には皆目見当もつかないのだが……まあ、結構どうでもいいことか。借り云々については、また別の機会にすることにしよう。

 そんなことよりも、今は、由仁と壮士のことである。

 改めて、もう少し二人の様子の観察を――


「おや、慧。どうしたのですか、そんなところで」

「え? あ、慧センパイっ」 


 しようとしたところで、壮士が計ったかのように、こちらに声をかけてきた。

 そして、それにつられて、由仁が先ほどの落ち着いた雰囲気から一転、『パアアアアアアァァっ』とした眩しい笑顔でこちらに手を振ってきていた。……この笑顔にはいつも、戸惑いを抱かざるを得ない慧なのだが、それはともかく。


『……壮士。もしかしなくとも、俺に気付いていたな』

『はい。慧がここを通りがかって様子見を始めるところから、ずっと』

『!』

『いやぁ、面白いことになると思って、敢えて新堂さんと会話を続けていましたが、あの慧が僕達……厳密には、新堂さんのことをそこまで気にしてしまうとは』

『こいつ……!』


 と、昔からの幼なじみ特有のアイコンタクトを瞬時に済ませた後に、慧は内心で歯噛みしつつ、壮士が爽やかを装いながら笑いを堪えているのを瞬時に悟った。

 昔から壮士はこういうヤツである。こちらの方が年上だというのに、どうにも弱みを握られてはマウントをとられてしまう。

 マウントと言っても悪質なものではなく、憎みきれない軽度のS行為にまでしっかりとどめており、天才的に加減が絶妙であるのが余計に性質が悪い。

 ……その辺については、この場は上手く避けるしかないのか。


「偶然だな、壮士。そして由仁さん。二人とも知り合いだったのか?」


 ともあれ、壮士に対するモヤモヤは置いておき、慧はなるべく平静を装って会話を切り出すことにする。


「はいっ。詠ちゃん繋がりで先日にっ。詠ちゃんは拝島くんのことが少し苦手のようですけど、うちとは意気投合しましてっ」

「そういうことです。これも何かの縁と言うものでしょうね、ははは」

「そうか。仲が良いのは結構なことだ」

「ああでも、安心してくださいっ。拝島くんはなんと言いますか、本当に詠ちゃん繋がりのにフツーの友達って感じですんで、その、慧センパイはそれと言った深読みをしなくてもいいですっ」

「新堂さんが慧に何を安心させたいのかがわかりませんが、一応僕からも言っておきましょう。僕は、年上の女性にしか靡きません」

「…………」


 訊いてもないのに、恋仲に発展することはないとわかりやすく伝えてくる二人に、慧は何とも言えなくなるのだが、同時に安心もしたりした。

 ……安心したところで、慧にはどうすることも出来ないというのはさておき。


「二人の関係はわかったとして、先ほどまで、二人はやけに会話が弾んでいたようだが、一体何の話を?」


 慧は、会話の内容が気になっていたので、不躾かもしれないけど訊いてみることにする。

 すると、


「ああ、それは――」

「はいっ! 慧センパイの話題で盛り上がってましたっ!」


 壮士よりも早く、さらに表情を明るくした由仁が、何の躊躇いもなく答えていた。

 ……一瞬、慧は何を言われたのかをわからなかった。


 壮士と、由仁さんが、俺のことで、なんだって?


「拝島くんが、幼い頃からの慧センパイのいろんなこと知ってたので、うちも負けじと今の慧センパイの良いところを並べてたら、すっかり盛り上がってましたっ!」

「――――」

「慧センパイの立ち居振る舞いがカッコいい。慧センパイの頭が良くてもさらに上を目指すストイックさがクール。慧センパイの厳しいように見えて優しい話し方が素敵。そしてこれから慧センパイのどういうところを推していきたいか……って、どうしました、慧センパイ」


 由仁の勢いが小休止に入る頃には、慧は呆気にとられるのを通り越して、顔にどんどん熱を持っていくのを感じた。

 剣の腕を称賛されることがあれど。

 人間性について、ここまで素直に、しかも世代の近い女の子に褒められるのは……その、なんだ、人生では初めてのことであっただけに。


「~~~……ぬぅ」


 ダメだ。

 手で口元を押さえても、顔の熱が引いてくれない。

 しかも、得体の知れない何かで胸がいっぱいになってきて、今ここで悶え苦しみそうになる。

 ……この現象の正体を、慧は知っている。

 人見知りである妹の詠が、初対面の人間に合う度に発露していた感情。

 慧には無縁のものだと思っていたが、今ここでそれを味わっていることを、どうやら認めないといけない。

 そう。

 ――今、鐘鳴慧は猛烈に、恥ずかしがっている。


「? 慧センパイ?」


 慧の様子に気付いていないのか、由仁は首を傾げながらこちらを見ている。

 こんな自分を彼女に見られることで、慧の中の羞恥心はいっそうに大きくなるのだが……ここで、慧は負けるわけにはいかない。

 恥ずかしいからといって何も動けなくなってしまうなど、あってはならない。

 何より、由仁は自分を称賛してくれたのだ。

 なればこそ、


「……その、ありがとう、由仁さん」

「!」


 消え入るよう声ながらも、慧はハッキリと由仁にお礼を言うことが出来た。

 これには、由仁はハッとなったかのように目を丸くするのだが、そんな彼女を、慧は真っ直ぐに見て、


「先日に言ったかもしれないが、俺も、由仁さんのことは心から尊敬している」

「えっ」

「キミの家族のことを想う気持ちの他にも、妹の詠にいつも良く接してもらえていることには、本当に感謝しかない」

「あ……そ、それは、どうも」

「それに詠から、苦手な勉強も頑張っていると聴いている。それでいて、俺の目から見て、由仁さんは出会った頃よりもさらに可憐になったとも言える」

「はぇ!?」

「おそらく、勉学と両立させて、これまでやってきた自分を磨くことも、由仁さんは努力を怠っていないからだと思う。とても素晴らしいことだ。これまで、俺にとって尊敬する人物は数多といたが、その中でも由仁さんは…………って、どうした、由仁さん」


 無意識のうちに、慧が最近由仁に感じている点をつらづらと並べていたところ。

 由仁が、何故か顔を赤くしながら俯きながら、華奢な肩をふるわせている。

 まるで、浮かんでくる何かを必死に押さえているかのように。

 言わば、先ほどの慧の状態――つまり、『恥ずかしがっている状態』と酷似しているように見えるのだが、はて、自分は何かを言っただろうか……?


「由仁さん?」

「……その、慧センパイ」

「ん?」

「えっと……」


 と、由仁はそこで言葉を切って、長身を萎縮させるものの。


「うちのこと、そこまで褒めてくれるの……嬉しい、です……」

「…………………………」


 小さく、振り絞るかのように言ったのに。

 慧、そんな彼女のいじらしい仕草に、またも心が揺れると同時に。


 もしや、俺は彼女に果てしなく大胆なことを言ってしまったのでは……?


 思い返し、気付いた。

 さっきの由仁が慧にそうしたように、今度は慧が彼女にそうしてしまっていたことに。

 その過程を経て発露するのは、先ほどよりも大きな、とても大きな、恥ずかしいという感情。


「あ、いや……俺は……」


 取り繕おうとしても、慧、それ以上は何も言えない。

 自分で口にした彼女の良点を否定することが、慧には出来ない。偽りのない、本当の気持ちだから。


「……えっと、うちも、その……」


 そしておそらく、由仁とて今の慧と同じなのかもしれない。

 先ほど慧に言ったことに何らかの訂正を加えたいけど、本能がそれを拒否しているようにも見える。


『~~~~~~~~』


 やがて、慧も由仁も、向き合ったまま何も言えなくなる。


 ……気まずい。

 果てしなく気まずい。

 だが。

 空気は、そこまで重たくない。 

 少なくとも、お互いがお互いに負の感情を感じていないだけに、それだけの安心感はある。

 だからだろうか。

 ……もう少し、ほんのもう少しだけ、このままでもいいのではないか?

 そんなことを考えてしまうくらいに。

 今の自分は、そして由仁も、少しどうかしているかも知れない。


  ☆  ★  ☆  ★  ☆  ★


 そんな二人を、傍目から見つつ。

 いつの間にか、この二人の世界から取り残されてしまった壮士は。


「あー……なんといいますか、僕が思っていた予想よりも遥か斜め上というヤツですね……」


 そんな、呆れたような声を漏らしつつ。

 やれやれと、肩を竦めて。


「みなさん、焦れったく感じているのでしょうけど、僕にとっては、これはこれで面白いんですよねぇ。いやはや素晴らしい」


 Sっ気全開でニンマリと笑いながら、拝島壮士は呟くのであった。

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