第2話 偽りの幸福

ヒカリは生まれて初めて、宗教の国と噂される西の隣国へ入ろうとしていた。

国境には大きな川があり、隣の国に入るにはこの川に唯一架けられた橋を渡るしかなかった。

長い橋を渡って、意外にあっけなく隣国に入った。

「国境警備どころか人の気配すらないな。」

辺り一面木しかなかった。

ヒカリはこのまま進んでいいものか迷ったが、誰もいないんじゃどうすることもできないと思い、また西へと歩き始めた。

鬱蒼とした森が続いていた。

夕日が沈み辺りが不気味に暗くなってきたが、ヒカリはその辺は平気だった。

軍の訓練で何度も野宿を経験していたので、森の中に一人でいることにまったく抵抗がなかった。

むしろ一人が好きなヒカリはこの状況を楽しんでいるようにも見えた。

しばらくして、これ以上進むのは危険だと判断したヒカリは慣れた手つきで今日の寝床を用意し始めた。


空腹を感じていたが、紛らわすように眠りにつこうとした。

木々の間から星空が見えた。

昨日の夜、宿営地から見た星空となんら変わりなかった。

体力的にも精神的にも疲れ果てていたヒカリは、すぐに深い眠りについた。




次の日、朝日よりも早く起きたヒカリは薄い霧の中をまた西へと歩き始めていた。

やっと街をその目に確認したのはその日の昼過ぎだった。


しかし街に入った途端、違和感を感じた。

「誰もいない…昼間なのに。」

家や商店が軒を連ねているが、なぜか人が一人もいなかった。

「もしや、集団神隠し!?」

そんなわけない。

その時、遠くからスピーカー越しの声のような音が聞こえてきて、音がした方へと歩き出した。

広場のような場所があるのが見えたので足早に進んだ。

しかしその広場にも誰もいなかった。

どうしようかと迷っていたが、音が聞こえてくるのが広場の目の前の教会(…にしてはゴテゴテした装飾がいたるところにぶら下がっていたが)だとわかり行ってみることにした。

ヒカリが教会へ入る階段に足をかけたその時。

後ろから「ほっほっ」という声が聞こえてきたので振り返った。

広場を横切って小太りのおじさんが必死に走ってきていた。

ヒカリはその必死なおじさんの走り方に目を奪われながらも、やっと見つけた人間を逃すまいと話しかけようとしたがおじさんの方がわずかに速かった。

「お?あんたも仲間か?いや~司祭様のありがたいお説教に遅れるとはとんでもないことだ!ほれ、あんたも急がにゃ、いくぞ!」

そう言っておじさんはヒカリの腕をがっちり掴んだ。

「えぇ?」

ヒカリは半ば拉致されるようにおじさんに引きづられて教会の中へと入っていった。


講堂のようなホールには人がぎゅうぎゅうに詰め込まれていた。

皆熱心に司祭の話しに聞き入り、それぞれ大きく頷いたり涙ぐんだりしていた。

ヒカリを拉致したおじさんは講堂に入ると右腕でがっちり掴んでいたヒカリの存在をすっかり忘れたようで、おざなりに手を離したかと思えば、恐縮しきりですと言いたげな見事な低姿勢で前の方へ転がるように向かっていった。

そして先に来ていた友人の隣に座ったその瞬間、さも一番初めに来ていましたという顔を作ってみせた。


小太りのおじさんの一連の動きを見守った後、ヒカリは自分はどうしたらいいのかと辺りを見回したが、皆瞬きもせず前を見ていた。

ヒカリは誰かに声をかける勇気を失って、後ろの方の空いている席にとりあえず腰かけた。

改めて前を見たヒカリは眉根を寄せた。

ヒカリの敏感な人間センサーに、ホールの一番前で話しをしているでっぷりと太った男は見事に引っ掛かったのだ。

本当に司祭か?とツッコみたくなるような煌びやかな装飾品の数々、品のない顔、全てがヒカリには完全にNOだった。

『それらしいこと言ってるけどまったく中身がない。この人がこんなにも人に指示される理由が、一ミリたりともわからない。』

ヒカリが思っていることは正しかった。

司祭は自分が支持されていると勘違いし有頂天に話しをしていたが、集まった人達はヒカリから見れば明らかに正常な判断力を失っていた。


司祭が得意げに、さも自分が神にでもなったかのように集まった人達を悟していた。

「・・・・・・さぁ、愛しい子等よ!永遠の楽園、幸福の園へ行くために、今から準備をせねばならぬ!」

ヒカリは指で耳掃除を始めた。

「・・・・・・全ての苦しみが一瞬で消える永遠の楽園、幸福の園、神の身座!」

ヒカリは欠伸を我慢しなかった。

「・・・・・・私達が救われる唯一の方法がここにはある。」

ヒカリは眠気に抗う気なんてさらさらなかった。

「・・・・・・信じるものだけが救われる。」

ヒカリは軽快にいびきをかき始めた。

「・・・・・・この人生を信仰と神の祈りだけに捧げよ。」

ヒカリは見事な鼻提灯を作ることに成功していた。

「・・・・・・そのために毎日の礼拝と金の供えを忘れてはならない。」

ヒカリは心地良く目覚め、すでにその講堂を出ていた。


『それにしても、見事なインチキ説法だったな。この国に来たことある奴が胡散臭がるのも頷ける。皆がなぜあれをあんな熱量で信じられるのか、僕には理解できない。』

エセ司祭の胡散臭いところを数える作業に没頭していたヒカリだったが、入り口のすぐ横に子供がぐったりと座っているのが見えて立ち止まった。

『子供…かなり痩せてるな。家のない子かな?』

さっきヒカリが入ってくる時にもいたのだろうが、その子供が微動だにしないことと全く生気がないことでその存在に気づかなかったのだ。

ヒカリは痩せ細って虚ろに宙を仰いでいる子供から目が離せなくなって、入り口付近で立ち止まっていた。

その時、集会が終わったのか中から人が溢れ出て来た。

「いや~今日の司祭様のお話しも、なんとも心が顕れるお話しであった。」

短髪の男がその手に免罪符のようなものを大事そうに握り締め、そう言っていた。

「あぁ本当に、素晴しかった!」

隣の男がうっとりしたような表情で答えた。

「しかし何だったんだ?あのどこの国から来たかもわからないような男、司祭様のありがたいお説教の途中でいびきかいて寝るなんて!しかも何だ!?あの見たこともないような立派な鼻提灯!」

短髪の男は心底憤慨したように言い放った。

「まったくだ!バチ当たりどころの騒ぎではない!ああいうはしたない不信神な奴がまっ先に地獄へ行くんだ。以前司祭様もそうおっしゃっていた、地獄落だっ!」

『…!?』

柱の裏でこの会話を聞いていたヒカリは雷に打たれたような顔をした。

『なに?…鼻提灯!?…うわー…自分で見て見たかったな…生まれて初めてなのに。立派なのってどんなのだったのかな~』

ヒカリは残念でガックリと肩を落とした。

ことごとく司祭のことはどうでもいいヒカリだった。

しかし次の瞬間、ヒカリはあることに気づいた。

講堂から溢れ出てきた人達は皆、入り口でぐったりしている子供を一度は視界に入れるものの、すぐにまったく何事もなかったかのようにそれぞれの動きに戻っていった。

ヒカリはこの悲しすぎる状況をただ客観的に見ていた。

『虚ろな目をしてぐったりした子供を見ても、何も感じないのかな。』

ヒカリは改めて、この国が胡散臭がられたり不気味がられたりしているのを思い出した。

『ここの大人達の目は、いったい何を見ているのだろう…』

ヒカリはこの国の大人達の静かすぎる狂気に触れた気がした。


『気まぐれに優しくしても、逆にあの子が辛いだけだ。』

そう思ったが、その思いとは裏腹にヒカリの足は勝手に動き出しその子の前に静かにしゃがんだ。

「やぁ、はじめまして。」

そう子供に話しかけたが、子供はまだ強く宙に意識を奪われたままだった。

ヒカリは優しく微笑んで、ポケットに入っていた銅貨を取り出した。

子供は銅貨に興味を示し、今まで見せなかった羨望の眼差しを向けた。

「いいかい?見ててよ?」

そう言うとヒカリは銅貨を高く放り投げ、左手の甲で捉えたかと思うとパシっ!っと勢い良く右手で抑えた。

「さっ!銅貨はどうなったと思う?」

子供は答えなかったが、穴が開きそうなほどヒカリの手を見つめていた。

右手を開けたヒカリ。

そこに銅貨は無かった。

子供は一瞬驚いた表情をしたが、すぐにさっきの調子を取り戻して無表情に戻ってしまった。

「まぁまぁ慌てなさんな。」

そう言ってヒカリは子供のボロボロの上着のポケットに手を入れた。

子供は不愉快そうな不思議そうな顔をしていた。

「ん~っ、ジャン!」

そう言ってヒカリは子供のポケットからさっきの銅貨ではなく、キラキラ光る金貨を取り出した。

子供がえ!?と目を丸くして、ヒカリと自分のポケットを交互に何度も見た。

その仕草がかわいくてヒカリは笑った。

そしてゆっくりと子供の目を見て、真面目な顔で言った。

「“人の金貨を羨んでいるうちは、自分の中の黄金に気づかない”」

子供は何の反応も示さず、ただヒカリを見ていた。

ヒカリはその奥に怒りと悲しみを、そしてさらにその奥に光を携えた子供の目をしっかりと見て微笑んだ。

「僕の国の古い諺でね。まぁそのままの意味なんだけど、多くの人がこの諺は人の才能を羨む暇があったら自分を磨け、という意味だと思っている。だけど僕は、この諺を最初に言った人は違う意味で言ったと思うんだ。」

ヒカリは子供の目を真っ直ぐに見て、その中の怒りや悲しみから逃げずに見つめ続けた。

「君の中の、心の豊かさは誰にも奪えない。」

「君にとってはきれいごとだってわかっているよ…食べるものもままならない状況なんだもんね。」

『…でも僕には、こんなことしか言えない…』

「僕は君に何もしてあげられないね。だけど…」

意味が無いとわかっていつつも、ヒカリは一瞬悔しそうな顔になってしまった。

そしてヒカリは次の言葉に迷い、うつむいた。

数秒の沈黙が流れた。

しかしヒカリは小さく決意して明るく顔を上げた。

「でも君は僕にたくさんのことを教え、与えてくれたよ。」

子供は不思議そうな顔をした。

ヒカリは微笑んだ。


この子がこの国でただ生きていることが、切ない程の奇跡に思えた。




『何が永遠の楽園なんだろう…子供の心の豊かさも知らずに。大人の現実逃避が子供に与える負の影響は大きい。』

『でも、そうすることしかできない大人達。…そんな大人達の方があの子よりよっぽど痛々しい。』

ヒカリは人が戻った街をなんとなく歩きながら、また西へ行くために必要な物を探していた。

しかし頭の中ではこの国の大人達のことをずっと考察していた。

ヒカリは自分がこの国の大人達に怒っているのかわからなかった。

『見えているものから目を逸らしちゃいけない。でもここの大人達にそう言ってもおそらく伝わらないだろう。大人達は傷つかないように自分の心に鉄壁のガードをしているから。』

『もしかしたらそのガードの中に、あの子のような傷ついた子供がずっと前から住んでいるのかもしれない…』

ヒカリはさっきと真逆で今は誰にも会いたくない気分だった。

愛想よく売り込みをしてくる露店の女性も、なんだか仮面を被っているように見えた。

日持ちのする食料を買った時、お店の優しげな主人がいくつかおまけしてくれたのも全部偽善に思えてしまった。


そしてヒカリはさっきの司祭の話しを思い出し、なんだか悲しい気持ちになっていた。

『なんとも薄っぺらでズレた幸福論。自分で考えることを放棄し、疑いもせず不確かな死後の楽園のために祈る。それは祈りではなく願望を神に押し付けているだけだ。感謝のない祈りは祈りとは言えない。それだけでなく金を供えれば、免罪符を買えば楽園に行けて幸せになれると本気で思っている。』

『幸福を求めることは悪いことじゃない。しかしこの国の大人達は宗教の影に隠れて責任を放棄しているだけのように見える。真の幸福の追求とは果てしない心の探究…自分の全てと向き合う覚悟があって初めて始まるんじゃないかな。』 

『この国の信じていれば救われるという考えは間違ってはいないが、決定的に間違っている部分がある。それは幸福を外に探し求めていること、本当の幸福は自分の中にあるのに、外の世界の宗教というものが自分を幸せにしてくれると思っている。何かが自分を幸せにしてくれると思っている限り、それが宗教であろうがお金であろうが他者であろうが、それは真の幸福の追求ではない。』

ヒカリは必要な物を揃え、また西へ向かって歩き始めていた。

『しかしあんなインチキ司祭に自分の幸せを決めてもらわないといけないとなったら、僕だったら絶望するな…この世の終わりだ。』

ヒカリは自分では気づいていなかったが、一刻も早くこの国を出たいかの如く競歩並みの速さで猛然と歩いていた。

『本当の幸せの探求は、静かに内へ入っていくもの。』

『残酷な程に見たくない自分を突きつけられることもある…それでも逃げずに向き合い、見たくなかった自分と共に生きる覚悟をし、また必要なら愛着があった過去の自分と決別しなければならない。』


ヒカリは上を向いて大きく息を吸った。

そして長く長く息を吐いた。

吐く息にこのやりきれなさの全てが乗っかって、流れていってくれることを願うように…

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