平安の庭へ

marina

第1話 第1章 何かが溢れた時

平安の庭へ


風の往く場所


黄色の花が揺れる世界


丘が優しく呼吸し


全てのいのちが静かに流れ出す


私達はここにいる









砂を攫うように乾いた風が吹いていた。

地平線を挟んで濁った茶色の土と青の空が見えるだけの場所に、ヒカリはもう何時間も屈んでいた。


「いつまでこんなことしていたらいいんですかね?」若い男の声でヒカリはハッと我に返った。

自分でも驚く程考えに没頭していたらしい。

最近よく見る夢の意味を考えすぎて、完全に違う世界にいっていた。

ヒカリはまだどこか意識は違う世界に奪われながらも、若い男の顔を見て答えた。

「…そうだな…この疫病が終息するまではこの国境の検疫はやめられないから、まだ数ヶ月は続くだろうが…どうした?辛いか?」

ヒカリは若い男に向かって優しくそう言った。

「そうですね、なんかもう膝が、立膝つき過ぎて意味わからないことになってますけど、

でも僕はヒカリさんの下に付けて嬉しいので、全然辛くはないです!」

若い男はそう言うと、ヒカリには到底できないような爽やかな笑顔を見せた。

「僕の下に付けて嬉しい?」

「はい!だってヒカリさんは若い連中の憧れですからね!」

ヒカリは北東に位置するイライザという国の軍の人間であり、まだ二十代でありながら重要な仕事を任される階級にいた。

若い男の予想もしていなかった言葉にヒカリは驚き一瞬動きが止まったが、すぐに笑い出した。

「ははっ、そんな話し初めて聞いたけど。」

「えー本当ですよ!?まだ若いのに腕も頭も良いし、しかも後輩に優しい!それにこの前の北の山向こうの少数部族、イザヤ族との和睦は実質ヒカリさんがまとめたって皆言って

ましたし、やっぱりすごいですよ!」

若い男がキラキラした目で語る様子を見てヒカリは少し困ったように微笑んだ。

若い男はさらにヒカリ熱をヒートアップさせていた。

「あの絶対に折れないと言われていたイザヤ族をどうやって丸め込んだんですか?軍内のほとんどの人間が、もうあそこは完全に潰すんだと思っていたのに。」

「…丸め込んだわけではないよ。イザヤの族長は排他的で血の気も多いが、話しのわからない人ではない。こっちが一方的な条件を突きつけたことに怒っていただけだ。この国と尐しだけ、誇りを持つ場所が違っていたってだけだったんだよ。」

ヒカリのこの言葉達を咀嚼するのに若い男には尐し時間が必要だったようで、二、三秒の沈黙が流れた。

「へ~…いや~なんかやっぱり大人ですね、ヒカリさん。僕とそんなに歳も変わらないのに…僕なんかこの前まで鼻水垂らしてたガキですよ。」

若い男は心底そう思うという嫌味のない素直な顔で深く頷いていた。

「ははっ、鼻水垂らしてたって!」ヒカリが笑ったのを見て若い男はまた嬉しくなったようだった。

「いや、本当に、それぐらい雲泤の差ってことですよ!なので今のこの状況だって僕にと

っては夢みたいなもんです!ヒカリさんの下に付けて、お話しできてっ!」

ヒカリは若い男のキラキラの憧れが溢れ出す様子を、客観的に見て楽しみ始めていた。しかしそう思ったのも束の間、子供のように興味が移り気な若い男は、急に不思議そうな顔になって質問をした。

「でもなんでヒカリさん程の人が、今はこんな国境の検疫みたいな暇な仕事に配属になったんですか?もっと上の仕事があるんじゃないんですか?」

数メートル先に同じように屈んで、ヒカリと若い男の話しに聞き耳を立てていた部下数名が急にどぎまぎし始めたことにヒカリは気づいた。

その理由はほとんどの人間が薄々勘づいていて、暗黙の了解的にヒカリの前では緘口令が敶かれていたが、素直すぎる若い男は敶かれたものには気づかなかったらしい。

ヒカリは数メートル先の部下数名が、二人に近い側の右半身だけ緊張させているのを見て、なんだか気を遣わせて申し訳ないなと思いつつも、若い男とその部下数名のギャップを交互に見るのがたまらなく面白かった。

「まあね、今は君の言ういわゆる上の仕事は外されてるんだけど、でも僕の中ではここがその上の仕事と違いがあるわけでもない。ここの仕事だって重要な仕事だろ?…まぁでも、ちょっとだけ気楽だけどな。」

そう言って若い男越しに数名の部下を見ると、ほぼ同時に皆ほっと胸を撫で下ろしていた。

そんなこととは露知らず、若い男はまた呑気に言葉を返した。

「へーヒカリさんでも外されることがあるんですね!ここの…」

しかしそう言いかけた時、後ろからヒカリを呼びに別の部下がやってきて、若い男の言葉は遮られた。

「ヒカリさん、軍本部より連絡が入っています。」

「あぁわかった、すぐ行く。」

そう言ってヒカリは何時間かぶりに立ち上がったが、そのブレない立ち上がり方に若い男はまた目を輝かせた。


ヒカリは熱く見送る視線を背中に感じながら、近くの宿営地に戻って行ったが、心残りが一つだけあった。

『…あいつ、後ろの同僚達にしばかれなきゃいいけど…』


「ヒカリさん、ヒカリさんは指揮官なので部下と同じように何時間も配置についている必要はないのですが。」

ヒカリを呼びに来た、いわゆる中間管理職的な位置の彼はどこか不満気にそう言った。しかしヒカリはその不満気な空気を軽やかに無視して答えた。

「そうだな、その必要はないがそうしたかっただけだ。…ここは砂混じりだが、いい風が吹く…」

管理職の彼は怪訝な顔をしただけだった。

そして足早に宿営地に戻り、軍専用の通信機器に手をかけた。ヒカリは久々に父親と再会する瞬間をまもなく迎えようとしていたが、その顔は鉄壁の無表情だった。

広く、どこからか冷たい風が入るその部屋には、歴代の元帥達の写真が飾られていた。ヒカリの父親の写真もそこにあった。

この国では権力が集中しないように元帥が四人いて、それぞれ役割があり均衡が保たれていた。

…と国民は思っているが、ヒカリは実情はまったく違うことを知っていた。

『本当はこの四人が国民の税金で私腹を肥やしてるなんて知ったら、どうなるかな…』四人の元帥はいつの時代でも英雄のように讃えられてきた。

そんな元帥の息子で、腕も立ち頭も良く人当たりも良いヒカリは軍内部で人気があったが、同時に妬みの対象にもなっていた。

親の七光りというありがちな妬みを幼少の頃より言われてきたヒカリだったが、本人はある程度の年齢になると、もう完全に気にしないという高度なテクニックを身につけていた。

しかしそんなマイペースなヒカリが、唯一感情的になるのが父親と直接会う時だった。


バンっという音と共に、体格のいい男がいかにもなマントを翻して入ってきた。

父親と息子の久々の対面のはずだが、両者とも挨拶を交わす気も目を合わす気もさらさらなかった。

まるでヒカリがいることに気づいてもいないように元帥は椅子に座った。


「…」

長い沈黙の後、元帥がおもむろに口を開いた。

「国境の検疫は問題無くいっているのか?」

「はい、問題ありません。」

ヒカリは元帥の顔を見ず、頭を下げたまま答えた。

「問題ないか…では私に何か報告があるのではないか?」

「…いえ、特にありませんが。」

「特にない?」

元帥がヒカリに向き直り、真正面から見据えた。

「…私の命令に背いておいてか?」

元帥の重い怒りを秘めた声に部屋の空気が凍った。

しかしヒカリも真っ直ぐ元帥を見て答えた。

「私は命令に背いてはいませんが。」元帥は何かを疑うように目を細めた。

「ではなぜ、宿営地に隣国アマネの疫病患者が数名滞在しているのだ?」この問いにヒカリは微かにピクッと動いた。

「…宿営地には軍の医師がおります、今回の疫病は手遅れでない者は適切な治療を受ければ五日で治…」

「そんなことを聞いているのではない!」元帥は急に激昂して叫んだ。

「なぜ隣国の人間を、しかも疫病の患者を我が国に入れたのかと聞いているのだ!」ヒカリは小さくため息をつくように少し目を伏せた。

「…そうですね、元帥の望みは検疫とは名ばかりに、疫病患者が我が国に入らないように監視することですからね。」

ヒカリのこの少し呆れたような冷たい言い方に元帥はまた気を悪くした。

「お前は我が国に疫病患者を入れてもいいと思っているのか!?今ここで食い止めておくことがどれ程重要なことかっ!それがわからないようなバカに育てた覚えはない!」ヒカリはそう言われて、心の中では「あなたに育てられた覚えはありませんが」と思っていたが、そのセリフはなんとか必死で飲み込んだ。

「しかし追い返せばそれで済むものでもないでしょう?感染力の強いこの疫病、予防接種を受けて感染予防も徹底している我々はいいですが、隣国アマネの予防接種も受けていない人達はひとたまりもありません。追い返した人間からまた何人の人間に感染するかわからない。一度完全に直った人間がもう一度感染することはないのが特徴の今回のこの疫病の場合は、追い返してまた向こうで広がるよりも、直して少しでも感染を広げないのが結局我が国への影響も最小限に抑える方法ではないですか?」広い部屋にまた冷たい沈黙が流れた。


今回だけでなく、ヒカリの意見はいつも的を得ていた。

その考えには客観性があり、どこか全ての立場に配慮したような意見を持っていた。

しかしそれが独裁的な軍の方針とまったく合わず、同じように独裁的な元帥ともまったく考えが合わなかった。

「…お前は私の命令と反対のことをしなければ気がすまないのか?いつもいつも。」元帥は苦々しい顔をして、嫌悪を隠さなかった。

「…」

ヒカリは答えなかった。

しかし心の中では「またか…」と思っていた。

元帥はヒカリが自分と違う意見を言えば、反抗していると捉えるクセがあった。

ヒカリは今まで何度も、自分が反抗しているわけではなくただ意見を伝えているだけだと言ってきたが、今まで一度も元帥がヒカリの言葉に耳を傾けることは無かった。

どこか大人になりきれずヒカリの言動全てに反抗しているのはむしろ元帥の方だったが、それに本人が気づく可能性はゼロに近かった。

「イザヤの件で反省していなかったのか!?あそこも命令に背いて勝手に和睦など。…しかしまぁ、あそこはもう片付いたがな…」

元帥は最後の言葉をなんとなく言ったが、ヒカリは妙に引っかかって嫌な胸騒ぎがしたのですぐに聞き返した。

「片付いたってどういうことですか…?」

ヒカリが尐し不安そうな顔をしたことで、元帥は尐し満足気な様子を見せた。

「そのままの意味だ。…片付けた。」元帥の眉がいやに上がった。

「…まさか…」

ヒカリは愕然とした。

「まさか侵攻したんじゃないですよね…?」

「まさかの意味がわからない、そもそもイザヤは全面的に潰す方針だった。それをお前が勝手に変えただけだ。」

「…そんな…まさか…全員!?」

「当たり前だ。」

元帥は「何か問題でも?」と言いたげに答えた。

ヒカリはショックを受けていた。

ヒカリはイザヤの族長はじめ部族の皆が好きだった。

偏屈で理解に苦しむ部分もあるが、独創的な文化を持ち、どこか義理堅い部分もある彼等を嫌いになることなんてできなかったのだ。

ヒカリは和睦にもちこんだ際にイザヤの族長と仲良くなっていた。

元帥や軍の人間と違い、自分の意見や要望を押し付けず相手への配慮を心得ていたヒカリは族長に気に入られてしまったのだ。

ヒカリは互いに折り合いのつく場所を族長と話し合い、軍は医療を、イザヤは鉱石の採掘場を提供し合うことで話しがまとまったのだが、元帥はこのことが気に入らなかったらしい。

「そもそもなぜ和睦などとぬるいことをした!指令に背くどころか軍の威厳にも傷をつけたのだぞ、お前は!」

「…軍の威厳どうこうは知りませんが、あの場に行き、イザヤの人達と話し、それが一番いい方法だと判断しました。そもそも一部族を根こそぎ潰すこと程非生産的なことはありません!彼等の採掘技術はもちろん芸術性や考え方、生き方そのものが貴重な資源なんで

す!」

ヒカリは一瞬、何かを訴えるような激しい目をしてさらに続けた。

「…人の存在そのものが最も重要な資源です!」

「はっ!人が資源!?資源とはイザヤの土地にある鉱石のような金になるようなもののことだ!またわけのわからないことを…」

元帥は顔を見るのもめんどくさいというように頭を振り、言葉を続けた。

「人はただの労働力だ。存在自体に価値など無い。」この言葉はヒカリの心を急激に疲れさせた。

『…やはりどこまでいっても平行線か…この人と意見が通じ合うことなんてない。』ヒカリはうつむいた。

「…今イザヤはどのような状態なんですか?」

元帥はやっと大人しくなったか、とうなだれているヒカリをチラッと見た。

「今はもうイザヤなんて地域はない。今は我が国の採掘場になっているだけだ。」

「…」

ヒカリはイザヤの人達はどうしたのかと聞こうと思ったが、喉が詰まって聞けなかった。黙りこくったヒカリを元帥は満足そうに眺めた。

ヒカリはその元帥の目が耐えられなかった。

人を物のように扱い打ち捨ててきた元帥の目は、卑しい狂気に支配されていた。

ヒカリはその目に飲み込まれないように睨み返した。

「お前がどれだけ私を睨んでも恨んでも、死んだ人間は返ってはこない。私にはこの国の繁栄のみに意味がある。そのために誰かが犠牲になるのは仕方のないことだ。」元帥は事も無げにそう言い放った。

ヒカリは吐き気がする元帥の考え方に、眉間に深くしわを寄せた。

「…国のための犠牲は仕方ない?よくそんな…正当な意見のように語れますね。」

「当たり前だ。正当な意見だからだ。国を維持し繁栄させていくのに多少の犠牲は付き物だ。」

「多少?今まであなた達が身勝手に犠牲にしてきたものが多少だと!?」ヒカリは自分でも抑えきれない怒りが煮えたぐってきたのを感じた。

「…」

元帥はヒカリの怒りの表情を見据え、その怒りの根源を察知していた。

そして元帥は過去にも何度か、ヒカリのその怒りを逆撫ですることによって、よりヒカリを押さえ込み支配しようと試みてきた。

そして今回も。

「多少だな。取るに足らない。…そうそう、昔死んだあのガキもそうだ。」そう言った元帥の顔はゾッとするぐらい不気味な笑顔だった。

ヒカリは至上最悪に汚いものを見るような目で元帥を見た。

「なんだ?その目は。あの汚いガキが死んだのが私のせいだとでも言いたいのか?」ヒカリはもう怒りで唇が震えてきたが、必死にそれを抑えて答えた。

「…いいえ。サキは病気で死にました。」

このままでは自分の怒りが制御できなくなると思ったヒカリは、元帥から顔を背けながらそう言った。

ヒカリはそのまま怒りを抑えるつもりだった。

しかし次の瞬間、元帥の「フン!」というなんとも小バカにした鼻息にその決意は吹っ飛んだ。

ヒカリの心のどこか遠くで、何かが音をたてた…

「…しかし、あなた達がサキの死に無関係だったとは言えないでしょう?」ヒカリは震える声でそう叫んだ。

「あの時あなた達は、周辺諸国で疫病が流行っていることをいち早く知り、医者という医者を金でかき集めワクチンを大量に作らせた。それこそこの国の全員分はあったと聞きました。…しかしあなた達はそれを国民に高く売りつけた。皆必死ですよ、命がかかっているんだ!なにより優先して、どれだけ高い値段で売りつけられているか考えもせず皆が買った。だが当然そんな高いワクチンを買えない人々だって出てくる。あなた達はそれを知っていても最後まで高値で売り続けた。」

「…軍の備蓄基地の三番倉庫にあるもの、あれはなんですか?」怒りで握り締められたヒカリの拳は紫と白の斑になっていた。「なぜ今でも数千ものワクチンがあそこに保管されているのですか!?」

元帥の目がいやに濁った。

「…なぜ、余っているのに、買えない人々に分け与えなかったのですか?」ヒカリの目に涙が滲んだが、渾身の努力で流れないように耐えた。

元帥は不快感を露わにしていたが、いつもと変わらない声の調子でさっきと同じように答えた。

「ワクチンを買えないような貧乏な人間は結局敗者。生きていても死んでいてもこの世界になんら影響ないだろう?」

ヒカリは自分が噴火したのではないかと思う程怒りが全身を貫いた。

「黙れっ!」

自分でも気づかないうちにそう叫んでいた。

「黙れだと?お前は誰…」

「その汚らしい口を慎め!」

「…」

ヒカリがここまでぶちギレたのは初めてのことだった。

一瞬驚いた顔をした元帥だったが、顔がみるみる今まで見たこともない色に変わり、その目は視線だけでヒカリを殺せそうな程狂気を帯びていた。

しかしヒカリももう怒りで自制心がぶっ壊れ、元帥のその目すら気にならなかった。

「サキや多くの国民の命の価値もわからないような人間と、これ以上同じ空間にいたくありません。」

ヒカリはそう言ったが否か、勢いよくきびすを返すと広い部屋を一瞬でワープしたかの如く横切り、扉の取っ手に手をかけた。

「待て!まだ話しは終わって…」

「私はこの国から出ていきます。」

元帥の言葉にかぶせてそう言ったヒカリの声は、もう何者も触れられない程冷たく強固だった。

「出ていく!?何を戯言を…いいからここへ戻って話しを聞け!」

しかしヒカリは微動だにせず、元帥を冷たい目で見ていた。

ヒカリは自分の心の中のカップから何かが溢れているのを感じた。

幼少の頃から溜まり続けていたその何かは、最後の一滴によりついに溢れ始めてしまったのだ。

ヒカリはもうずっと、危うい表面張力の状態にあり、それを自覚してもいた。

しかし元帥はそれにまったく気づかず、今まさに最後の一滴を落としたことにも気づいていなかった。

「もうあなたと話すことは何もありません。」

…二人はしばらく冷たく睨み合っていた。

「…私を裏切るのか?」

元帥は今まで見たこともない冷たく強固なヒカリの態度に心の奥で戸惑いを感じていた。

ヒカリは心の中で嘲って笑った。

「そんなセリフは普通の親子の専売特許ですよ。今更親子ごっこはやめてください。あなたと私が親子だったことなんてありますか?」

形勢が逆転したと思える程、ヒカリの言葉は力強かった。

「私が今まで貴様にどれ程の金を賭けて育ててきたと思っているんだ!」

「その金はあなたが国民から巻き上げたものでしょう?」

「…では国民も裏切るというのか?」この言葉は一瞬ヒカリをグラつかせた。

しかしまた真っ直ぐ元帥を見据えた。

「そうなりますね。…しかしその罰があるなら私は受けます…ですが私にそうおっしゃる前に、ご自身を省みられてはいかがですか?」

ヒカリのこの言葉は激しく元帥のプライドを傷つけた。

「お前はいつまでたってもわしの言うことを聞かぬ、いつまでたっても、出来損ないだ!」

「あなたの命令だけを聞くロボットがお望みなら他をあたってください。残念ながら私は…どうやら、出来損ないのようなので。」ヒカリは冷たく言い放った。

「もういい!出て行け!この国から!そして私の前に二度とその面をさらすな!」一瞬の沈黙の後、ヒカリはふっと笑った。

「…あぁあなたの命令で、初めて素直に従う気になりましたよ。」

そして最後に痛烈な一瞥を浴びせ、勢いよく部屋を出ていった。


元帥は嵐が過ぎ去った部屋で一人、心の奥底に微かに恐怖を感じていた。

それこそが元帥が幼少の頃よりヒカリに辛く当たってきた理由だが、元帥は自分のその恐怖を意識で自覚するのを怖れていたため、無意識の奥深くに押さえ込んでいた。

その押さえ込むストレスはイライラに変わり、そのイライラのはけ口になっていたのはヒカリだった。


元帥が怖れていたものは無価値感だった。

重要な人物であり、トップであり続けないとその無価値感に飲み込まれる…

どこかでそう苛まれていた元帥は、幼少の頃から何でもそつなくこなし、どこからともなく溢れる魅力で人を惹きつけ、計り知れないポテンシャルを秘めているように見えるヒカリに恐怖を感じていた。

いつか息子に自分の地位を奪われ、それどころか自分を軽々と越えていくのではないか… と。

元帥のこの無価値感からくる怖れは幼少期の家庭環境からきていたが、それは元帥にとっては遠い過去のことであり、消し去りたい過去のことでもあった。

それゆえに元帥は過去を省みることができず、自分を省みることもできなかった。


ヒカリは国を出るまで一度も振り返らなかった。

感情の渦で思考はほぼ停止状態だったが、足が自立した意志を持ったかのごとく真っ直ぐに歩き続けた。


半日も経たないうちに西側の国境に辿り着いた。

もう一生ここに帰って来ないことはわかっていた。

一瞬なぜかあの若い男の顔がよぎったが、そのまま迷わずこの国を出た。

あの部屋を出て以来初めて顔を上げたヒカリは、西の空が夕日で赤く染まっていることに気づいた。

『…サキ、僕は間違ってないだろ?』

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