第4話


理由わけを、聞こう」


 小平治は湯呑を差し出し、酒を注がせ、それをゆっくりと飲み込んでそう言った。


「はい」


 女はそう言うと、自らも手酌で酒を一杯煽り、語り始める。


「私は、信州上田の武家の娘でした」


 女の言葉に、小平治が顔をゆがめる。


「いかがなさいました」


「いや、何でもない続けよ」


「はい」


 そうして語られた女の話は、小平治が思うよりも重く、また、それでいて江戸の街には悲しい程によく転がっている類の話であった。


 女の名前は、おあき。


 武家の娘として生まれ、貧しいながらも、父母と姉を含めた四

人家族で仲良く暮らしていたそうだ。


 ところが、おあきが十歳になった年の夏のある日。お役目で江戸へと向かった父が野盗に殺されて以来、おあきの生活は一変する。


 働き手を失ったおあきの家族はどうにもままならず一家離散。おあきは、さる商家の七十に手も届こうかというご隠居の妾として、もらわれていったのだそうだ。


 そこでおあきは年寄りの慰み者として囲われた。


 そこでの日々、それは、決して楽な生活でも快い暮らしでもなかった。しかし、おあきはそれでも幸せだと感じていたそうだ。それがどんな理由で、何を見返りに求めているからなどとは関わりなく、そのいやらしげな隠居のもとでの生活には、何の不自由もなかったからだ。


 生きているだけで、それだけで幸せだと思えていた。


 ところが妾になって三年後、おあきが十四になってすぐ、隠居がこの世を去る。そしておあきは、本人の意思とは無関係に、女郎として千住に売られた。


「そっからはもう、地獄のようでございました」


 そこまで一気にしゃべると、おあきはまたしても手酌で酒を飲んだ。


 よほど好きなのだろう、一度に飲み込む量は小平治のそれよりも多い。


「ご隠居様のご家族は、私を女郎屋に売り飛ばしてからもずっと、私の売り上げからいくらか取り続けていたようでした。それでも、有難いことによい客筋にも恵まれましたので、衣替えに困るようなことはありませんでしたが、ただおかげで、いつまでも年季は伸び続けるばかりでございました」


 十四のころに苦界に身を沈め、泥の水に首まで浸かっていたとは思えないほどの色香で、おあきは自らの手を見つめた。


 なるほど、これならば客筋には恵まれるだろう。


「そんなときです、一人の商家の若旦那様が私を見初めてくださいました」


 おあきの頬が刹那ぽっと赤く染まる。


「お優しい方でした、そしてじつのあるお方でした」


 おあきは、心に残る思い出を抱きしめるかのように、自分の胸をそっと抱いた。


「若旦那様は、お店の方をしっかりと説得なさって、私を嫁に迎える準備を着々と進めてくださっておりました、が、そのお店というのが、ご隠居様のご家族のお得意先に当たるお店でございまして」


 そこに、無くした幸せのかけらでも落ちているかのように、おあきは目を伏せた。


「家の恥をお得意先に知らせることはできない、と、ご隠居様のご家族が先回りをして今の亭主に私を売ったのでございます」


 なんという事だ。


「では、今の旦那というのは正式なお前の亭主ではないのか」


 売られた女と添う男などいない。


 おさきは自嘲気味に微笑んで、首を縦に振った。


「ええ、今の亭主は甲府で御家人をしている男で、猪撃ちを趣味としております」


「ほう、ならば侍か」


「はい、この山中に私を閉じ込めておいて、月に五,六度程ここにお籠りにいらっしゃるだけでございます」


 なるほど、な。こんな山中に、それも猪撃ちの時にしか使わぬような場所に女を閉じ込めておけば、家の者に知られることもなく、女を囲っておけるという事か。


 何とも惨く、そしてうまいやり方だ。


「しかし、冬はどうしておる、猪撃ちになどこれぬであろう」


 小平治の問いに、女は憂いの色をさらに濃くして答えた。


「その間は、山のマタギを相手に商売をさせられております」


 なんと……。


 それでは、苦界の水を舐めていた時の方がよほどましではないか。


 小平治は憤る。しかし、今ここでおあきを慰めれば、その先に待っているのは人殺しの道のみであるように思われて、ううんと唸ったまま目を閉じた。


「無理で御座いましたらそれでいいのでございます。お忘れください」


 忘れられようはずがなかった。


 目の前に、亡き妻と瓜二つの女が慰み者として囲われている。


 侍として、男として、いや、何より人間として、このむごい境遇の女を放置しておけるものだろうか。

 

 それに……何より……。


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