脱兎

綿涙粉緒

第1話 

「灯りだ……」


 江戸を出て今日で三日。


 甲府を目指して歩いていた山中で、まさにこれぞ希望の灯りだ、と思えるような小さな光の瞬きを見つけた小平治は、低くかすれた声でそうつぶやいた。


 死の淵にあった女房おさきの全快を願って三年前に身延山に賭けた願を解きに行く途上、追剥おいはぎに追われて山中に逃げ込み、そのまま迷ってしまっていたのであった。


 侍とはいえ太平の世を生きる微禄の旗本。鞘の内の刀は、もはやただの重りでしかなく、追剥おいはぎと渡り合ってなどという選択は小平治にはなかった。


「助かった」


 右も左もわからぬ山中をさまよっている時には、普段は不信心であるのに、都合の良い時だけ願をかけるなどという事をした自分に対する御祖師様の罰かとも思ったのだが、どうやら完全に見捨てられたわけではないらしい。


 仏も時には助けてくれる……か。


 小平治は心中でそうつぶやきながら、残る力を振り絞って灯りに向かって駆け出した。

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