第2話 一人だけの錬金術工房〜栗のシロップ漬け〜

 思い返せば、私のこんなピンチは、工房での一人実習がはじまって三日後のこと。

 例年よりも早く夏の嵐がやって来たあの日からだ。


 豪雨と暴風が二日間続き、その翌日外に出てみると、工房の周りは折れた枝や葉でいっぱいだった。


「うわー……すごい嵐だったもんね。うん、これは森の様子を見に行った方が良いかな」


 薬草やハーブが駄目になっているかもしれない。調合用だけでなく料理にも使うし、食べれる野草や水源である小川もチェックしなければ。

 それに、好きに調合出来るのが楽しくて、そろそろ必要な材料も少なくなってきていた。


「ここを掃除をして、溜まった洗濯物を干したら採取がてら出かけよう」


 そう、呟いた時だった。

 遠くから複数の馬蹄の音が響いてくるのに気が付いた。

 何事だろうか? 音は街の方からだけど……と目を凝らすと、こちらに一頭の馬が駆けて来た。


「失礼、こちらは王立錬金術研究院の実習工房でよろしいですか?」

「えっ、あっ、はい」


 馬上には紺地に赤ライン、それから金糸で飾りが入ったちょっと派手な騎士団服。ヴェネトスの街で見たことがあるからヴェネスティ侯爵家の騎士だろう。


 この工房最寄りの街、ヴェネトスへは徒歩で半刻(三十分)ほど。

 ヴェネトスは、西部の大貴族ヴェネスティ侯爵が治めるヴェネスティ領最大の都市で、その城壁も堅牢で治安も良く賑やかな都市だ。


 港も近く野山も、それに迷宮ダンジョンもある恵まれた土地……なのだが、王都からは少し遠い国境の街だ。いたって平和なのだけど。


 そうそう、工房は城壁都市の中ではなく、街のすぐ近くの壁外にあるのだ。

 城壁外の郊外に町や村もあるが、この工房は城壁都市のすぐ側の森にくっつくようにして建っていた。


 どうして街中ではなく外の森にあるのかと言うと、錬金術は臭いや音が出る事があるので街中で工房を構える許可を得るのは難しい。(勿論、壁内にも工房はあるのだが、どれも街外れにや何かと騒がしい職人街に存在している。)

 それに加え私たちの工房は実習目的。見習いには失敗も付き物。懸念される臭いや万が一の事故も、一人前に比べると確率は高くなる。

  それならいっそ比較的安全に採取実習もできるようにと、壁外にある森に隣接して建てられているのだ。

 工房の森は小さめだが、木々も草花も小川も洞窟も岩場もある豊富な採取場だ。

 街の側によくもこんな条件の良い森が……と思われるだろうが、これは人工の森なのだ。


 錬金術師が、錬金術師の卵たちの為に錬金術で整えた森。様々な場所に住む精霊を召喚し、この森を形作ってもらったのだという。

 はじまりは、もう何百年も昔の事だそうだ。




「工房の責任者はいらっしゃいますか」

「あ、責任者と言うか……私一人です」


 騎士は帽子のつばを上げ、若干眉をひそめ私を見下ろした。少し垂れ目で明るい金髪の彼はまだ若い。

 街からわざわざ伝令に来たのだろうか? こんな事は初めてだ。


「盗賊団の目撃情報があり、しばらく城門を閉鎖することになりました」


 盗賊団……!?  そんなものが街に近付いてるの!? この大都市に向けてってどれだけの大群で!?


「錬金術師さんなら護りの結界もお得意でしょうが、戸締りを厳重にし十分に注意してください」

「あ、は、はい」


 でも私……見習い錬金術師だし、ごめんなさい……私に結界の術式はまだ使えません。

 まあでも、先生が護りを置いて行ってくれているはずだし、盗賊団が捕縛されて城門が開くまでだ。引きこもっていれば大丈夫だろう。


「再び城門を開く際には鐘を鳴らします。我々もまた報せに出ると思いますのでしばらく辛抱してくださいね。それじゃあお若い錬金術師さん、お気をつけて!」


 騎士は私にニコリと笑いかけ、馬脚を翻し駆けて行った。


「……そんな不安そうな顔しちゃってたかな?」


 両手で頰をぐにぐに押してしてみる。

 あの騎士さん、最初は事務的な話し方だったし無表情だったのに、最後はちょっとくだけた口調にしてくれて……。


「やだな、しっかりしなくちゃ」


 一人なんだから付け込まれるような隙を見せてはいけない。騎士さんとは言え男の人なんだし、もうちょっと用心しなきゃだったよね。

 もしあの人こそが盗賊だったら――想像するだけでゾッとする。


「もっとツンケンしてビシッとして格好良い錬金術師っぽい身のこなしをしよう!」


 そう! イリーナ先生の優雅さとペネロープ先生の冷たさを足して二で割ったような!






 それから一週間。

 開門の鐘も報せも無く引きこもり続け、とうとうあの天啓を受ける事となる。


「そうだ、パンがなければ焼けばいい!」


 ああ、本当に私は甘かった――。



 ◆◆◆



 そして至る現在。


「は〜〜満たされたぁ!」


 唇をペロリ舐めてから、お皿につい頭を下げた。

 一人では広いダイニングテーブルには、まだ香ばしいパンの匂いがふんわり漂っている。


「ああ~……焼きたてパンの朝食は最高……」


 焼いたパンは全部で四枚。

 まず一枚目は瓶詰めの栗を乗せていただいた。二枚目は栗のシロップ漬けのシロップを、たっぷりつけて食べてみた。温かいうちにかけておいたからよく染み込んでいて、噛むと染みたシロップがジュワァと口に広がった。

 その食感と甘さに頰がゆるむのを止めれない。


 とはいえ二食ぶりの固形物なのだ。ゆっくりよく噛んで食べなければ……と思いつつ、ついついがっついてしまった。

 実は今ちょっとお腹が痛い。でもいいんだ。美味しいものでお腹いっぱいなことは素晴らしい!


「素晴らしい……素晴らしいねぇ……」



 私、アイリス・カンパネッラ十七歳。

 ぺたん。と、一人には広すぎるダイニングテーブルに突っ伏した。そしてこの十日間を振り返った。


 結論から言おう。

 私は一人暮らしを舐めていた。一人での実習も言わずもがな。


 この実習工房で先生から落第を宣告された私が、特別に実習を続けて良しと掬い上げられ、浮かれていたのだと思う。

 錬金術師の見習いというのは、魔力の高い貴族階級の者、金銭的に余裕のある商人の子、それに代々錬金術師の家系の者が多い。私のような平民はちょっと珍しいのだ。


「浮かれちゃっても仕方ないよねー……」


 はぁ。ペネロープ先生は何だかんだ言って、私をよく見ていてくれたんだなぁと今になって思う。あの溜息も眉間の皺も、嫌味じゃなくて苦言のひとつだったんだ。

 二人の先生にあれだけ「自分で考えろ」と言われたのに、私は工房に一人になってもまだよく考えていなかった。


『一人での実習』の意味をきちんと理解していなかったのだ。

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