第20話 準備
「この二つの魔脈のラインを見てください。リューゼリオン直下を通る太い魔脈と季節変動する魔脈の関係から、火竜は想定よりも西よりの進路を取ると予想されます」
地図に書き込んだ魔力の流れを指さしながら俺は説明する。向かいに座る赤と黒の髪の同級生女子は真剣な表情で聞いている。
「したがって導き出される最適の迎撃場所は北西にあるあの山と考えられます」
学年代表室の窓から見える山を指さした。二つの魔脈が交差するホットスポットだ。リューゼリオン襲撃に備えて火竜が移動で減った魔力を補うのに最適のポイントだ。
「報告されている実際の経路と比較しても間違いなさそうね」
「都市から近すぎるのが心配ですが、他に適当な場所が見当たらないですね」
「いいじゃない。デュースターに見せつけてやりましょう。一番槍が主導権を取ると言ったあいつらが何の言い訳もできないように」
ご令嬢は冷静、王女様に至っては大物を前にはやっているようにすら見える。
「具体的に計画を考えましょう。火竜がリューゼリオンに至るのは早くても三日後の昼以降かしら。私たちは前日夜のうちに出発。水路で山のふもとまで移動して火竜を待ち構える。午前中に火竜がホットスポットに止まろうとしたところに仕掛ける。こういった想定でどう?」
「わかりました。私が鎖で何としても動きを止めます。リーディアは一撃を与えることに集中してください。一番槍を達成したらリューゼリオンに引き返す。リューゼリオンへの合図を決めておくべきでしょう」
「そうね、一番槍をもってリューゼリオンの騎士を組織。火竜が都市に近づくのを妨害する。実際の指揮はベルトリオン翁に任せて、私たちはすきを見て攻撃を繰り返す。火竜にリューゼリオンに手出しすることは消耗に見合わないと思わせる」
目の前で出来上がっていく無謀な計画。俺は沈黙を守る。
「時間的には本当にぎりぎりだけど。他に手はなさそうね。レキウスの意見は?」
「…………他に手はない。その通りだと思います」
言葉短く答えた。本当なら反対したいけど口に出せない。二人の無謀はリューゼリオンにとっての現時点でのほとんど唯一の方法なのだ。今の俺が口出しをする余地はない。
俺にできることはあくまでその無謀への協力だ。持ってきたカバンから厳重に布に包まれた三本の瓶を取り出し、机の上に置く。
「精製が終わった超級色媒です。三色分、量はいいでしょうか」
「もう出来たの? ええ、この前よりも多いくらいじゃない」
「新しく入ってくれた助手が頑張ってくれました。工程についても改良が進んでいます」
魔力を感知できる作業者が二人に増えたのは大きかった。異なる色を並行して進めても各工程の時間を正確に守れるので質を担保できる。収量もシフィーがそれこそ最後の一滴まで回収してくれた。一人だけなら劣化を恐れて出来ないやり方だ。
「実は原料を少し工房側に残させてもらっています。実験やテスト用に、構いませんか?」
「ええ、これだけあれば十分だわ。あなたが必要だというのなら判断に任せる」
「カイン殿でしたか、はやっぱり間に合わないですよね」
「パーティーとしては三色揃えばだいぶ違うのだけど。あなたから提供された
あの術式は特別に魔力が少ない俺用に調整している。カインという騎士は平民出身者の中でもとびぬけた魔力の持ち主って話だ。そもそも攻防一体のバランス型が、“超”級魔獣に通用するわけがない。
「ただ、あなたから事前に提供された触媒には本当に驚いていたわ。移動と防御用に使う方向で試してもらっている。もったいない使い方だけど、王家の騎士の先頭で火竜を引き付けてもらう役割になるから」
「ああなるほど、そっちの方が単純ですよね」
「私たちも自由に動きやすくなるわ」
ベルトリオン翁が後ろでカインという騎士が前で騎士集団をまとめるって感じか。そして、それは火竜に直接対峙するのはあくまでこの二人ということだ。
「じゃあこれで決まりね。色媒のことといい。この調子なら今回の火竜さえ凌げば希望が持てるわね。レキウスのおかげね」
そんな笑顔で言わないでほしい。俺の色媒と術式の改良がこの二人を死地に追いやってる気になる。とはいえ、俺としては現時点でやれることはやった。後は……。
「ちょっと休憩しましょう。レキウスもお茶でも飲んでいって」
「すいません、私は今から王宮の地下に行こうと思っています。結界の方で少し調べることがありまして」
「……そうだったわね。レキウスには本当に無茶ばかり頼んでいるわね」
「どこまでできるかわかりませんが、いろいろ考えてみます」
そう言って俺は立ち上がった。ここからは時間との勝負だ。
△ ▽
結界室に入った。
ひんやりとした空気と下を流れる圧倒的な力の気配。誰もいない空間は現実離れした荘厳さで俺を迎える。軋む階段を上がり、改めて結界器の表面を目にする。
教室くらいの広さの六角形の表面は六つの三角形に区切られ、一つ置きに各色の術式が描かれている。びっしりと刻まれた三つの三角形の中心には丸い穴が空き、そこからドーム天井を貫く白い光の柱が立つ。
何度見ても圧倒される。人間が作ったとは思えない代物だ。
火竜が来るまでのたった三日で出来ることなど何もない。いや、三日が三年でも変わらない気すらする。改めて見る前からわかっていることをいやでも認識させられる。
ただし、それは“これ”を何とかしようとした場合の話だ。今回の俺の目標はそれに比べれば遥かに小さなものだ。その小さな目標すら俺にとってはどれほど大きいかはこの際考えない。
資料室書庫から持ち出した原本を取り出し、最後のページを開いた。そこには目前の術式とは比べ物にならないほど小さい、しかし同じように三色で描かれた一つの術式がある。
グランドギルドが唯一外に対して解放した知識、俺が教科書原本と呼んでいる『魔力原理 一巻』には基本的に単色魔術しか載っていない。
二巻の内容が個人使用の白魔術であることを示す目次と、その二巻の内容の触りとしてのこの白刃の術式が例外だ。個人使用の白魔術はグランドギルド時代に『白“騎士”団』が使っていたものだ。その力は有色魔術しか使えない魔獣狩りの猟士、つまり現在の騎士をはるかに超えたという。
本当なんだろうなと思う。白刃はおそらくその白魔術の初歩だろう。術式の規模は一色一色が小さい。三色合わせても俺たちの言う中位術式程度だ。それでも、その効果は「小型の結界効果を打ち出す」とあるのだ。
せっかく残っている術式だが、現在の騎士が使うことは不可能だ。理由は二つ。一つ目が色媒だ。色媒は違う色同士干渉する。異なる色の魔術を使う騎士同士が近くで行使する時にすら邪魔するのだから、同じ狩猟器に異なる色を並べるなど論外だ。
アントニウス・デュースターの入手したという狩猟器は二色を用いるらしいが、青と赤が時間差で発動するようになっているときく。同色干渉を避けるための工夫だろう。
この制約については突破済みだ。俺が精製した超級色媒は魔力伝導率が通常の最高の色媒よりもはるかに高く、魔力を流しても周囲にほとんどそれを漏らさない。結果として他色干渉を起こさないのだ。
そういう目で見ると、目の前の結界器の術式を描いている魔力色媒はそれ以上だな。色媒というよりもそういう色の宝石を溶かして流し込んだ浮彫細工のようにすら見える。数百年も劣化しないってどういう品質だ?
もしこのクラスが白魔術に必須なら絶望的だな。
まあ、今は色媒のことはいい。問題はもう一つの制約だ。
以前、白刃の規模の小ささに目を付けた俺はこれを復活できないかと考えたのだ。だが、それを断念したのは教科書原本の白刃の術式には“書き順”が乗っていなかったからだ。
術式を構成する魔術文字には一文字一文字、魔力の流れる方向がある。例えば【〇】という最も単純な一文字でも右回りと左回りかの二通りがある。もっと複雑な文字では一文字でも多数の可能性があり、しかも前後の文字の配置で変わる。
これが書き順と文法だ。学院で術式を学ぶときはまずは教官が示した魔力を通した状態の魔術文字を見て書き順を理解する。それが終われば術式に描かれた矢印を見てその流れになるように再現する。
『白刃』は使われている文字もその並びである文法も全くなじみのものとは違う。描かれている表面的な図だけで再現することは不可能だ。失われた白刃を復活させるためには失われた白刃が存在しなければならないというわけだ。
だが、俺は気が付いたのだ。白魔術の生きた見本は存在する。つまり、目の前にある結界器それ自体である。
ここに来たのはまず理解不可能なこの複雑な結界の術式を何とかするためではない。これを使って白魔術の初歩の初歩である『白刃』の書き順を復刻するためだ。
改めて目の前の隔絶した魔術を見る。
規模は関係ない。注目するのは一文字一文字だ。予想通り、白刃の術式に用いられている文字と同じものが見つかった。文字に流れる魔力の方向を確認して、白刃の術式と突き合わせてみる。
馴染みのない文字を探し前後の関係を考えながら魔力の流れを確認する。おいおい待ってくれ、術式の脈動の度に魔力の流れが変わっているぞ。つまりあれか、時間的に複合術式になってるってことか。
予想以上の複雑さに頭が痛くなる。だが、じっくりと一文字を見続けるとパターンが分かってくる。
一文字にこんな時間をかけたら教官なら切れるところだ。だが、結界は常時発動している魔術だ。しかも、大規模な術式のおかげでパターンはいくらでも揃っている。
理解不可能な大規模術式がよくできた辞書みたいに使えるじゃないか。
一文字終わった。魔力の光を見すぎて目がちかちかする。頭は複雑なパターンでぐちゃぐちゃだ。額の汗をぬぐって次の文字を探す。
「二文字目は複雑だな。可能性が何通りあるんだよ。無視して逆をたどるか……。いやまてよ、同じパターンが向こうにあったぞ……」
…………
「頭の中に霧がかかったみたいだ……」
油のきれた歯車のように軋む重い頭を抱え、頭痛を抑えながら結界室を出た。寮にもどり一階の食堂で余り物の干し果物を口に放り込み、階段を上がる。自室に戻った俺はそのままベッドに倒れ込んだ。
半日かけて緑の半分も終わらなかったか。火竜襲来まであと二日。このペースでは間に合わないか。いや、感触はつかめた。明日からもっとスピードを上げることが出来るはずだ。
△ ▽
やっと緑が終わった。次は赤だ。根本的に馴染みがない色だ。いや待て、王女様の術式改良を手伝った経験がある。文字や文法が違っても魔力色の特性に基づいた大まかな流れに類似点があるかも……。
よし、思ったよりも読める。それに緑を終わらせたおかげで、白刃のどこが結界のどこと似ているかの大まかな配置が何となくだが見えてきた。小規模な結界効果を飛ばすという白刃の説明は本当のようだ。
だが、こんがらがった複数の要素を頭の中で組み合わせて、未知の術式を読み解くのは変わらずきつい。光で飽和する眼球を抑えながら結界器を降りた。テーブルに抱えていたメモを広げ整理をする。急いでも進まない。問題が出たらなるべくそれだけを取り出す。職人の基本だ。
よし、頭にかかった霧が少し晴れた。ところで今は何時くらいだ?
そう考えた時だった。背後でドアが開く音がした。慌てて振り向く。入ってきたのは白い服を着た赤毛の女の子だった。
「ここにいるって聞いたから。今大丈夫かしら」
見慣れない夜着姿の王女様が言った。
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