第19話 出来ることは?

「こんなに!?」


 布袋に詰まった銀貨を開けるとレイラ姉がびっくりした顔になった。


「急ぐから特別料金なんだ。三色分だから大変だと思うけど薬品とかの手配をお願いできるかな」

「わかった。大丈夫、これだけのお金があればどこだって文句は言わないから」


 大金を前に固まっていたレイラ姉だったがすぐに気を取り直して外出の準備を始める。急いでくれと言ったのは俺だけど、着替えるためにボタンを外すのは部屋にもどってからにしてほしい。


「レキウス様。私は何をすればいいでしょう」

「あ、ああ。シフィーにはいよいよ超級色媒の作業を手伝ってもらう。これまでよりも難しい作業になるけど、ちゃんと教えるから」

「はい。絶対にお役に立って見せます」


 シフィーは掌を握ってやる気を示す。


 外出着で注文書を確認しているレイラ姉。背中を向けた俺の耳に「これであの工房も冬を越せる」という言葉が聞こえてきた。シフィーは俺が渡した手順書を真剣な目で見ている。職人の流儀に従って一つ一つ道具を指さしながら手順を確認している。


 嬉しそうな二人から思わず目を反らした。二人が明るいと思っている将来を俺は信じることが……。


「レキウス、薬品はこれで足りる?」

「レキウス様、準備はこれでいいですか?」


 気が付くと注文書をもったレイラ姉と試験管を手にしたシフィーが俺を見ている。


「えっ、あ、ああ。うん。ええっと……そうだね、これだけあれば大丈夫なはずだ。シフィーは俺が緑を精製するのを見てもらおう」


 笑顔を取り繕って二人に答えた。今俺がやるべきこと、やれることはこれだけだ。それだけは間違いがない。


 …………


「じゃあ俺は学院でちょっと調べることがあるから戻るよ。明日また来るから」


 二人にそういって工房を出た。火竜は既に猟地に入った。魔脈の調査の方も一刻を争う。悲観的になっている暇なんてないんだ。


 △  ▽


 学院資料室はいつにもましてがらんとしていた。ただでさえ冬の禁猟期前で演習が無くなるのに加え、この火竜襲来だ。


 騎士院から火竜の襲来は公表されており、リューゼリオン騎士の総力を挙げて撃退にあたるという方針が通達されている。俺達学生も役割が割り振られている。都市の一番外側の巡回だ。結界に異常が生じた箇所がないかの監視役だ。


 街から出ることもない安全な任務なので危機感を持っている学生はいない。学生たちが気にしているのは全く別のことだ。


(総力を挙げて、か……)


 学院にもどる途中で見た光景を思い出す。


 デュースター屋敷の前に並ぶ大勢の列だ。火竜戦で少しでも安全な役割を求める騎士達だ。主導権を握るのがデュースターだと殆どの騎士が思っているという証だ。いや、もっと言えば将来の王家への挨拶か……。

 表に出ている情報だけならそう考えるだろう。デュースター家は火竜襲来の情報を真っ先に知らせ、対抗できる狩猟器を用意し、しかも後継者が先陣を切るといっているのだ。誰も文句を付けられない。


 実際には……。


 手に持った獣皮紙がゆがんだ。慌てて首を振る。余計なことを考えている場合じゃない。火竜は今もリューゼリオンに近づいているんだ。


 資料室の机に大量の獣皮紙を重ねた。黙々と狩猟記録に目を通しては地図に印をつける作業を繰り返す。手間はかかるがやることは難しくない。リューゼリオン真下の魔脈という明確な目印があるから、北区のよりも簡単なくらいだ。


 問題があるとしたら火竜が侵入してきた西の猟地境だ。猟地外の資料がないのでどうしても不完全になる。とはいえ肝心なのは都市リューゼリオンに至る経路だ。


 通常の動かない魔脈と、この季節のホットスポットを合わせて進路を想定していく。それが終わったら七年前との比較で答え合わせだ。慎重に確認しながら作業を進める。


「……やっぱり最初がズレるな」


 七年前と今年、二枚の地図を見比べる。俺の予想を示す点線より騎士院に報告されている実線が北にずれている。起点がずれるのは予想通りだし、この南北のずれは都市に近づくほど収束していく。ずれの大きさも思ったよりも大きい。


 いや、実際に火竜を迎え撃つのは都市の近郊。基本的には問題ないはずだ。まずはこのまま進めよう。


 予想進路からすると第一候補は西北の山だな。通常の魔脈と季節変動の魔脈が重なってホットスポットになっている。火竜がリューゼリオンを襲う前に羽を休める場所としてはうってつけだ。


 仮に、通常の魔脈だけを判断基準にしたら真西からと予想するだろうから、デュースターも出し抜ける。欲を言えばもう少し都市から距離があった方が安心だが、これ以上の場所はない。


「念のためもう一度確認するぞ」


 実線と点線のずれの周囲の記録を再チェックする。地図の上でのわずかなずれも人間の足なら数時間の距離になったりする。それを考えると確認しないわけにはいかない。


 よし、ホットスポットに引き寄せられるということを考えたら大丈夫だろう……。


 資料室の窓から北西を見る。平地に一つ突き出た山が見える。あの山の上に火竜が舞う光景を想像してしまう。恐怖と同時にそれにたった二人だけで対峙する少女が目に浮かんだ。


 もしも、予想を外せば彼女たちの無謀な試みを止められる。そんな誘惑に捕らわれる。


「馬鹿なことを考える。あの王女様達なら無理してでも挑むぞ」


 小細工は逆に二人の危険を増やすだけだ。俺ができることは万全の体制で火竜に挑んでもらうこと。それに第一、そうしないと俺たちの将来は…………。


「そもそも、火竜が都市を逸れるのが一番いいんだけどな……」


 火竜が都市に来なければ二人の危険も結界へのダメージも考える必要がない。例えば、火竜の餌になりそうな大型の魔獣を使って違う方法に誘導できないか……。


 十中八九時間の無駄になる。そう分かっていても、わずかな希望に縋って考えてみるのをやめられなかった。


 …………


 グシャ


 せっかく作った三枚目の地図を両手で握りつぶした。頭の中が怒りで沸騰しそうだ。


「すでにそう誘導済みってわけか……」


 火竜の猟地への侵入角度、俺の予想とのズレの正体、それが火竜が確実にリューゼリオン猟地に侵入するように誘導した可能性であることに気が付かされた。デュースター家……いや王の言っていた外の勢力か。


「こんな奴らの為に街を潰されたり、あの二人が危険な目にあうってのか」


 資料室に木を叩く音が響いた。ペンが転げて机から落ち、床に跳ねてズボンに赤いインクを飛ばした。


 痺れる手を机の下に伸ばした。あざ笑うように転げていくペンを何とか拾い上げ、机の上に置いた。


 必死に心を落ち着かせる。証拠は何もない。何かやったとしたら猟地の外でだ。デュースターを糾弾してもとぼけるだけだ。下手したら実行犯は別の都市の騎士なんだからな。


 だけど、だけどだ、絶対にこんな奴らの好きににさせるわけにはいかない。

 この企みを防ぐには今できることをやらないといけない。俺が実際にやれることを見つけないといけない。七年前どれだけ祈っても……。


 呼吸が落ち着くのを待って新しい紙を広げる。白い紙面に向かってペンを構える。やれそうなことを書き連ねる。上位術式の改良。付け焼き刃でも王家の騎士に超級色媒と術式の改良を覚えさせる。いや、それくらいなら俺が一緒に……。


 …………………………


 資料室に鈍い音が響くと同時に頭が揺れた。焦点の合わない目がバツ印だらけの紙を映す。どれだけ考えても無理と無茶しか出てこない。デュースター屋敷に忍び込んで狩猟器を盗み出すって案まである。出来るわけがないし、手に入れても使いこなせないだろう。


 頭を上げ、胡乱な目で皺の寄った地図を力なく広げる。結局は魔脈調査と色媒精製以外にできることは思いつかなかった。


 結局肝心な時にはあの時と同じ、都市の中で祈るだけか……。いや、今回は街の外側で見回りだったか。


「結局は結界をまともにしないとどうしようもないんだよな」


 さっき否定したどの方法よりもけた違いに困難な話だ。グランドギルド時代の魔術がどれだけ隔絶しているかは、最近思い知ったばかりじゃないか。それが出来るなら、火竜だって何とかなるだろう。


「都市は元は火竜の巣だったか……。グランドギルド時代の“騎士”なら火竜を狩れたんだろうな」


 目録通りなら教科書原本の二巻目は個人使用の白魔術が記されているんだった。白騎士だったか、シフィーの先祖かもしれない“本物の騎士”が使っていたのがそれだろうか。もしも……。


 一巻の内容である上位術式を改良すら出来ないのに、二巻の白魔術の復刻なんてできるはずがない。


 大体、俺は一度やろうとしてあきらめたのだ。教科書原本の最後にあった『白刃』を超級色媒三色で復刻できないかって考えたんだった。術式としての規模は小さいのに書き順が分からなかったんだよな。


 そして肝心の結界はそれをさらに複雑かつ大規模化した術式だ。今回の火竜を凌いだとしても、あんなものどうしたって…………。


 頭の中で思考の歯車がカラカラとむなしい音を立てる。どこにもつながっていない歯車はくるくると良く回る。もちろん何も作り出さないむなしい回転だ。


 気が付くと窓の外は夕暮れだ。完全に時間の無駄をした。


 そりゃそうだ。怒りで不可能が可能になるわけじゃない。俺にできることなど本当に限られているのだ。


 頭を振って目の前にもどる。改めてペンを取る。進路予想を狩猟計画として提案できるようにまとめるのが結局のところやるべきことだ。


「いや、待てよ。本当にそうか? できること、ほかにないのか……」


 思考の歯車が元に戻ろうと逆に回転した。その時、なぜかかみ合った音が頭に響いた。


「もしかしたら、俺は考える順番を間違えているんじゃないのか。結界は理解できなくてもそこに実物がある。そして……」


 俺は背後にある書庫の扉を見た。

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